LOVER INDEX

#01 トベナイ天使


「…上に、『EARTH(アース)』がある………」

うつぶせに倒れていた。やっとのことで片目を開く。もう片方の目は黒い地面に埋まっている。雨が降っていた。大粒の雨が全身をうちつける。目を閉じた。
季節は春だが、それでも夜はまだ冷える。加えて折からの雨だ。寒さに体が悲鳴を上げているのが分かったが、手足が全く動かなかった。骨が、折れているのかもしれない。それでも、左手は何とか動いた。背中に触れてみる。指に生暖かいものが、べとついた。痛くない。

ザーザーザー

 雨の音なのか、車が走る音なのか、自分の鼓膜の中での音なのかそれすら判断できない。ただ、うるさい。頭が痛いのかもしれない。
 目を開けた。焦点の合わない瞳で辺りを見ようと思うのに、赤いものが視界を邪魔する。瞬きをするたびに顔を伝うものが血なのか、雨なのか。それとも、涙なのか、それすら、わからない。
それでも、目の前に見えるものが何なのか無理に焦点をあわせる。一本の刀だった。自分があそこを出るときに唯一持ってきたものだ。どうやら、無くさずにすんだ。そして、息をつく。
―――行かなければならない。目を閉じた。

 今度も、雨かと思った。容赦なく、全身を叩きつけているのだから。でも、しばらくして、首から体温が伝わってた。何をしているのかと思っていたが、どうやら脈をとっているらしい。今度は、人の手だった。

「おい……」
 雑音が混じって聞き取りづらい。それでも、目を開けた。焦点がますます合わなくなっている。
「…を…るな…」
聞こえない。相手にはそれがわからないのか、苛立っているかのように何かを自分に語り続ける。
(…誰?)
自分では、声を出したつもりなのに、実際は唇さえ動いていない。どうしたらいいのか、考えた。頭痛の激しい頭で。ただ、眠い。
瞳なんか閉じたくないのに、とうに限界を迎えた身体は、言う事を聞かない。
そして、誘惑には逆らうことが出来ず、ゆっくりと瞳を閉じる。
今、気がついた。ずっと全身を打ちつけていたあの雨が、今はあたっていない。意識が次第にハッキリしなくなってきた。
そんな、夢と現実の狭間で聞いた音がこの時の最後の記憶。

「リリーナ」

この世界でも数えるほどしか知らないはずの、わたくしの本当の名前。



人々の頭上、空高く浮く浮島『EARTH(アース)』
そこは、全世界で、最も巨大な国である『OZ』の城が高くそびえ立ち、現在世界中に侵略の手を伸ばす国でもある。
『EARTH』には、一部の階級の者しか立ち入りを許されず、それ以外の大多数の者は犯罪と欲望にまみれた地上に住む。
ここは、そんな国だった。





「起こしてしまいましたか?」
気がつくと、そこはベットで、寝かされていた。
「……ここは…?」
声が出た。
すると、目の前の金髪の少年が少し微笑んで、言った。
「昨日も同じことを言ってましたよ。でも、あの時は、まだ意識がしっかりしていなかったんですね。気分は如何ですか?ここは、僕の屋敷です。」
ゆっくりと優しい声で金髪の少年が話しながら、右手を自分の胸にあてて、言う。
「では、昨日も言いましたけど、改めて。はじめまして、カトル・R・ウィナーです。この家の当主です。だから、安心してください。」
ベットに横たわる少女がそれを聞いても、何の返答も返ってこないのを察して、カトルが聞いた。
「ウィナー財閥…知りませんか?」
「……ウィナー……ごめんなさい」
ウィナー…聞いたことがない。それどころか、わたくしは今、この地上で知っていることは何かあるのだろうか?
そう、少し眉を寄せていると。
「ううん。気にすることじゃないよ。…ただ、結構この国じゃ、それなりに名が通っているから、少しでも安心して欲しかっただけだから。まぁ、兎に角、ゆっくり休んでください。貴方には休養が必要です。怪我の治療もあるしね。今、何か暖かい飲み物を持ってきますね」
そう言って出て行こうとするカトルに、あわてて、礼を言う。
「ありがとうございます。貴方が、わたくしを助けてくれたのですね。」
それを聞いたカトルは、静かに振り返り、かすかに微笑みながら首を横に振って、言った。
「違いますよ。僕はただ、彼から貴方を預かっているだけです。貴方をここに連れてきたのは別の人物ですよ」
「…そうなのですか?」
…あのとき、最後に聞いた声の雰囲気にとても似ていた気がしたのだけれど。
違うらしい。
「昨日も、一度来たんですけど……そのうちまた、来ると思います。さぁ、少し待っていてください。今、暖かい飲み物を持ってきますから。それと、何か食べるものも。体力をつけないとね。待っていてください」
そう言うと、今度こそカトルは部屋を出て行ってしまった。
 一人残されてしまったので、動かない首を無理に動かして、辺りを見る。ベットの脇に刀があった。その時気がついた。まだ目の焦点が合っていない。それでも、この部屋が、人一人が眠るためには十分すぎるほど優雅な部屋だということは分かった。
窓の外には緑の葉をつけた木々が風に揺れている。しばらく、その様子をじっと見つめていた。
そうしていると、とろとろと睡魔が襲ってきたので、再び重たい頭を上に向けると、天窓が部屋の隅についていた。
「……『EARTH』が上にある」
浮島『EARTH』が、いつもと変わらず空に、浮かんでいた。


次に目覚めたときには、また別の少年がそこにいた。
「ごめん。起こしちゃったか」
彼女が目覚めたことは自分のせいだと、片目をつぶりながらそうおさげの少年が非礼を詫びて来た。
「いいえ、十分眠っていたから、それよりも、…その…あなたが、わたくしを助けてくれた方ですか?」
「へ?」
あまりにも彼女の質問が予想外で。突然で。彼は質問の内容を少し考える。
「え、…あの、違ったら申し訳ありませんが。ここに運ばれたときの事とか、全く覚えていなくて…その…」
「あ、いや、ごめん、そうじゃなくて。何?お嬢さん、あいつと知り合いとかじゃないの?」
「あいつ……?」
「ごめん。いいんだ、それならそれで。」
 にっこりと屈託のない笑顔を向けて彼はそう言った。
「それから、遅れたけど、オレは、デュオ。デュオ・マックスウェル。ここの坊ちゃんとは結構長い付き合いなんだ。普段は教会に居るんだけど。今は2番街の教会にいる。お嬢さんは、来たことある?」
「2番街…」
「そう、ここから、2ブロック先の2番街の大聖堂」
「……スミマセン…行った事がありません」
 わたくしは、そもそも地上で行った事があるところはどこなのだろうか?
「そっか、でもまぁ、オレもいつも同じ場所に居るわけじゃないしな。まぁ、でも、オレが居るときならお茶でもご馳走するよ」
 デュオは初めと全く変わらない笑顔でそう答えたとき、部屋の扉が静かに開き、カトルが姿を現し、この部屋に当たり前のように居るデュオと目があう。そして静かに告げる。
「デュオ。いくら君でも勝手に入るのは駄目だよ」
 態度や声は普段と変わらず落ち着いているというのに、目が笑っていない。
 こんな状態のカトルは、決して短くない期間の付き合いのあるデュオだからこそ、分かる。怒っている。しかも、相当に―――
「いや、扉が開いていてさ、そしたらさ――」
「デュオ」
両手を挙げて、何とかカトルを宥めようとするデュオの言葉をカトルが静かに遮る。
「…………」
「…………」
冷たい沈黙が流れる。
「…………」
「…………」

 その沈黙に耐え切れず、デュオが目を閉じ、今度こそ両手を上げて降参のスタイルをとった。
「あ〜、ごめん。悪かったよ。いやさ、あいつのお客だって言うからさ、気になったわけよ。」
「デュオ、彼は僕ほど優しくないよ。」
「分かってるって!悪かったよ。だってさ、もしかしたら、お姫さんかと思ったんだよ」
 思ったというか、本当は確信していた。姫に対する忠誠心以外、自分の事すらどうでもいいようなあいつの客なんて、姫以外にいるとは思えなかったのだ。それも、ウィナー家の一番奥のカトルが私邸として使っている部屋だ。
「じゃぁ、王女じゃないなら、依頼は手を抜くのかい?」
「オレは、引き受けた仕事は、相手が誰だろうと手は抜かねぇよ!」
デュオは、それまでと違いきっぱりと言った。カトルはその答えに満足したように、やっと柔らかい微笑を浮かべる。
「それならいいよ、今回は特別に見逃すことにする。」
 そのカトルの笑顔を見てデュオもやっとホッと胸をなでおろす。
「でも、そうだよな!お姫さんだったら、いくらウィナー家だからって、一人じゃ残していかないし、何よりも姫さんに関する事なら、魂ごと捧げている様なあいつがやるよな!あははは」
 そう、デュオが笑っているその横で、少女がシーツをきつく握り締めていた。
姫?…聞き間違いだと思いたかった。もしかしたら、自分を助けたというその人物は……――――。嫌な予感がする。
だから笑うことにした。
「仲が良いのでね」
相変わらず身体はそこいら中で悲鳴をあげ全く言うことを聞かなかったから、首だけ彼らに向けて、言った。その様子に、カトルが驚いて近づいてくる。
「すみません。騒がしくしてしまって。どうですか?昨日もあの後、結局また眠ってしまっていたから」
「大分、楽になりました。お世話をかけて本当に申し訳ございません。傷の手当てまでしていただいた上、ベッドまでお貸ししてくださいまして…ですが、あの…」
「何ですか?何か不満な点があったら遠慮なくおっしゃってください。貴方は彼からの大事なお客様なのですから」
「いいえ、不満な点なんてとんでもございません!」
 彼の言葉にビックリして、あわてて彼女はカトルに答えた。そして、続けてゆっくりと告げる。
「そうではなくて、こんなに暖かい施しを受けても、わたくしにはお返しをするすべがありません。」
 今の自分には何もない。唯一あそこから持ってきた刀は、あげる事は出来ない。彼女はシュンとして答える。
 そんな彼女の言葉に2人は顔を見合わせて驚く。
「何、言ってんだよ、お嬢さん。そんなこと、高給取りのあいつに任せておけばいいんだよ。それに、カトルだって別にそんなこと要求何か、しやしねぇよ。なぁ、カトル?」
「そうですよ。貴方はそんなこと気になさらないでください。それに、既に、彼から十分過ぎるほど預かっていますから」
彼女を安心させようとカトルとデュオが口々に言う。しかし、二人の言葉を聞いた彼女は更に納得できなくなった。
「先程から、話されているその方なのですけど、わたくしはその方を知りません。その方はおそらく、わたくしと誰かを勘違いしているのです」
 どんなに笑って、平静を装っても、一度疑いだすと、キリがない。次々と頭に不安な囁きが響いてくる。本当は瞳を閉じたい。
自分の悪い予感は昔から良くあたるから。

自分の事を知っている人間はこの世界で本当に数人しかいない。
 そして、もし仮に本当に彼らの言うとおりその人物が自分を知っているのならば、間違いなく『OZ』の人間だ。自分が逃げ出した事で、彼らは間違いなく探している。
自分を――。

「貴方の体は魔導の力が効き難いそうですね。」
不意にカトルが彼女に向かって言った。
カトルは自分を見つめる彼女の瞳が、静かに見開かれていくのが分かったが、それには構わず話を続ける。
「だから、治療は薬を優先するようにと。…魔導を扱う僕ですら、見ただけでは分からない事を彼は知っていた。偶然会っただけならば、そんなことは言えないと思います。少なくとも魔導の面では彼よりも僕の方が勝っていると思う。うぬぼれ何かじゃありません。だからこそ言える。例え貴方が知らなくても彼は貴方を知っている。間違いなく――」
 
 姫とはやはり、『OZ』の姫だ…――
現在、軍によってほぼ実権を握られているといっても過言ではない『OZ』にも一応、王室がある。しかしそれは、『OZ』自体が軍事国家というイメージが強いこともあり、人心の気を少しでも別のモノに引き付けるといった、王室を平和の象徴的な存在として残しているのが本音だ。

 その姫を命を賭して護る者…――悪い予感が確信へと変わる。

でも、それ以上に彼女には、信じられないことがあった。 
確かに自分の体は魔導の力が効き難い。事実だった。ただ、何故、そんな事まで知っているのか。それは、『OZ』でも極秘事項だったはずだ。それも、最もレベルの高い場所に位置する秘密だ。例え、どんな事情があるにしろ『OZ』にとって、外部に知られていい情報ではない。だから幼い頃から自分の体を診るのは一人の科学者だけだった。半身を義手や義足で覆われた、多少人間的には壊れているところもあったが。それでも、どんな時でも彼は自分の調子が悪いときは必ず現れた。
 しかし、カトルはそんな彼女の混乱をよそに更に続ける。
「その折れた羽の治療の仕方も彼は支持していきましたよ。」
 世界には遥か昔から、背中に羽のある『羽ビト』と呼ばれる人種が居た。飛べる、という点を除けば人間となんら変わらなかった。ただ、数十年前に羽ビト達の国が『OZ』によって侵略され、もともと少なかったその数は今や居ないと言って指し違いがないほどに少ない。  
そして、現在生き残っている者達も、人間とのハーフやクオーターが殆どだ。そんな彼らの翼は純血の者たちと違い、見た目で分かるほどに、小さい。だから彼らが空を飛ぼうとすると、体重を支えきれずに、無残にも羽の骨が折れてしまう。
ベットで横になる彼女は羽ビトだった。そしてその背中に見える羽は、体に巻きつける様に折ってしまえば、全く外見からは分からないほどに小さい。
「僕は、以前にも羽ビトの折れた羽を処置したことがあるから、添え木を当てて、包帯を巻いたほうが良いと言ったんだけど、彼は、貴方はきっと翼に何かに巻かれるのは嫌がるからと、多少治りは遅くても、別の方法を求めた」
 驚愕だった。彼らの言うその人物は、『OZ』側の人間で、間違いなく自分を知っている。
でもそれならば、…――――貴方は誰?
 最初の魔導が効き難い体質の事は、極秘とはいえ記録には残っている。加えて自分が動かせないほどにひどい怪我であるならば、伝えていくのかもしれない。彼らにとって自分は生きていなければ意味がないのだから。
…しかし、後の羽に関する件は、それとは違う。あの時の事を知らなければいえないことだと思う……。
 
彼は、自分のこの羽の事情も知っているのだろうか…。わたくしがこの羽に関してどう思っているのか…
どちらにしろ、今すぐここを出なければ。考える余地など無い。
今度戻されれば、自分に次はない。


「結局、彼女誰なの?」
「さぁ…。」
 今日こそ、何か食べた方がいいと、彼女を残しデュオと部屋を出た。実際はデュオと少し打ち合わせもしたかったのである。
「さぁって…本当に知らないのかよ?」
「ああ…だけど、間違いない。彼女は、狙われている。その姿も、名前も表には出てはいないけど、国単位で動いている。」
「確かに、それは事実だな。」
 写真こそ、出てはいないが、彼女を見て確信した。現在、裏のその手の者達の間で騒がれている人物と、その外見的特長、他、全てが、彼女を指している。続けて、デュオがニヤリと不適に笑い、呟く様に言う。
「しかもその筆頭が、『OZ』。どこよりも大金だし、どこよりも敏感に動いている。」
「うん。それも、間違いないと思います。」
「あ〜あ。それもあったからさ、本当に姫さんだと思ったんだけどな…。あいつが、やっと『OZ』から、かっさらてきたのかと思ってた。駆け落ちとかさ。あれだけ、姫にぞっこんなんだから。」
 そうデュオは、腕を頭で組みながら楽しそうに話す。
「僕も詳しくは聞いていないんだ。でも、今も『OZ』が彼女を探しているということは、彼は『OZ』に伝えていないとういことだ。かと言って、極秘に王室に直接頼まれているような感じでもないんだ。彼、個人で動いていると考えた方が、しっくりくることの方が多いと言ってもいい。」
「ふ〜ん。まぁ、でもさ、綺麗な子だよな。話し方も一つ一つ丁寧だし。それから、気がついたんだけど…似てた。彼女の髪の色と、お姫さんの髪の色。案外、二股だったりしてな」
 デュオは更に楽しそうに言う。
「それは、彼に限ってありえない。」
 きっぱりとカトルが言う。
「そうか?結構ああいうタイプに弱いのかもしれないぜ。」
「まぁ兎に角その事は僕の方でも、もう少し調べてみるつもりだから。それよりも、早速彼女の事、任せたよ。くれぐれも、護衛のことは…」
「分かってるって。オレはプロだぜ。お嬢さんには知られないし、勿論あいつにも…。」
知られないようにやる――。そう続けるはずだったデュオの言葉をさえぎる様に、知った声が廊下に響く。
「必要ない」
 その声のした方向に2人は同時に目を向ける。漆黒の髪の少年が足音もせずに近づいてくる。
「ヒイロ!どうしたの、こんな時間に!?」
カトルが、驚いて聞く。普段、彼がこの屋敷を訪れるのはとうに夜半が過ぎてからで、こんな昼近くに訪れたのは記憶に無かった。
 それは、ヒイロと呼ばれる彼らとそう歳も変わらないこの少年が、『OZ』の王室護衛騎士団の一人で、それも、姫と年齢が近いということもあり姫の直属部隊に位置する。そんな彼が、こんな時間に姫から離れて居ることは余程の事情でない限りありえないからである。
「よぉ、久しぶりだなぁ。とうとう、お姫さんに王宮を追い出されたか?」
 片手を挙げて、デュオは茶化すように声をかける。
 しかし、ヒイロはそんなカトルやデュオの質問を聞いていないのか、それには答えず、再びハッキリとカトルに言う。
「護衛は必要ない。」
 その言葉に、デュオが呆れたようにヒイロに向かって告げる。
「必要ないって、分かってるのかよ?もぅ、バレちまったんだからこの際聞くけどよ、大体、あのお嬢さん、何なんだよ?裏で、桁違いな賞金が、かけられてるぜ。」
 だから、他の国にいた自分がわざわざ呼ばれた。デュオは金さえもらえばそれなりに何でもやる、いわゆる『何でも屋』といったところだ。それも、その世界ではトップクラスの腕の。彼女にかけられている金額はそれほどまでに桁違いだった。しかし、それでもヒイロは、振り向きもせずに告げる。
「お前には関係ない」
 だから、黙っていろと、深く凍りついた群青色の瞳が告げている――。
「お前にだって関係ないだろ。カトルが問題だと思ったから俺は雇われたんだ。カトルだって四六時中、お嬢さんに付いている訳にはいかないんだからな」
「だから、オレが居るから、いいと言っているんだ」
「は!?」
 デュオは、あまりに予想外の彼の返答を聞いて、しばらく唖然と更に言いつのろうと開いていた口をそのままに、立ち尽くす。
 そんなデュオをほうったまま、カトルが口早に確認のために聞く。
「居るって、ヒイロ、君が?」
ヒイロは何も答えない。つまり肯定ということだ。信じられなかった。だから、しつこく何度も、確認をしてしまう。
「でも、彼女が最低でも動けるようになるには悪いけどあと、2週間はかかる。その間、シルビアさんの護衛はどうするの?」
 デュオ程ではないが、カトルの目から見てもヒイロの姫に対する忠誠心は相当なものだと思っていた。自分の全ては姫のものだと訴えているようなその普段の行動からもわかるように、2人のその関係も、姫とただその護衛といった間柄ではないと、周知の事実として認識もしていた。 だからこそ、ヒイロの今回の行動が信じられない。だって、2週間も離れるのだ。正直、自分の耳が信じられない。

例えば窓。普段からあれだけ、窓を開けに行くだとか、雨が降りそうだから窓を閉めに戻るだとか、自分たちがどれだけ城の誰かに電話で頼めばいいと言っても聞かず、この国のどんな場所にいても『EARTH』に戻った彼がだ。

 しかし、ヒイロは事も無げに告げる。
「他の王室護衛がいる」
「え、でも…」
更にカトルが、言いつのろうとしたときわずかに大気が揺れる。
その直後、ヒイロは2人をその場に残して奥の、少女のいる部屋へと駆け出した。


麻酔をしたようなものだ。
2人が出て行った後、悲鳴を上げる体を無視して無理に立ち上がり、立てかけてあった刀を握る。だが、指一本動かすたびに激痛に震えていてはいつまでも、ここから逃げ出せない。時間がないのだ。だから、自分で自分の体に魔導の力を使う。
今の自分の状態では上手く力の配分も出来ない。おかげで思いがけないほどの力がでてしまった。それは、大気がわずかに揺れるほど。
しかし、そんな自分の状態を差し引いても、まさかここまで自分の体が魔導の力を受け付けないとは、正直思わなかった。でも今はそんな泣き言を言っているときではない。痛みに顔をしかめながら刀を杖代わりに、四肢を引きずり、窓の縁に手をかける。がちゃがちゃと音がするだけで、全く開く気配がしない。開け方を知らない。こんな時に感じる。 自分は窓一つもまともに開けたことは無いのだと。

「やめておけ」
突然、後ろから声をかけられる。びくりとして、振り返ると漆黒の髪の少年が立っていた。心臓がドキドキする。いつこの部屋に入ったのかさえ、分からない。そして、その彼が身に纏う服を見て、彼女の鼓動は更に早まる。
―――王室護衛騎士…。
 彼女は持っていた刀を鞘から抜き、少年に向ける。重い。一度も会った事が無い兄からの、預かり物だ。
 そこに、カトルとデュオが遅れて現れる。そして、部屋の状況を見て驚く。
「げっ!?ヒイロ!!けが人相手に何してるんだよお前は!!?」
 そうデュオは怒鳴り、二人の間に割って入ろうとするが、軽くヒイロに制される。
「無茶苦茶だ…貴方の傷は塞がっていないんですよ!」
――そんなことは、十分すぎるほど分かっている。ただこうして、立っているだけでこれだけつらいのだから。
彼女は黙ったまま、彼を睨みつける。それに対し、彼の目つきは鋭いが、決して彼女を睨んでいるわけでは無い。
ヒイロは彼女に向かって一歩近づく。銃は2丁ともホルスターに入ったまま。そして、静かに再び告げる。
「やめておけ。次も上手くいくとは限らない。」
 また一歩、彼女に近づく。
 それに対し、彼女は彼を鋭く睨みつけたまま、静かに反論する。
「貴方にそんな事を言われる筋合いはないわ。」
一向に引く気配の無い彼女にデュオも説得するように語り掛ける。
「お嬢さんも、落ち着けって。ここは4階何だぜ?こいつの言うとおり、やめた方がいい。例え体調が万全だったとしても、その羽の大きさじゃ分かっているとは思うけど、飛ぶのは無理だ。」
 その言葉に、彼女の瞳がわずかに揺れる。ヒイロはその一瞬を見逃さない。瞬く間に彼女との間合いをつめる。それでも、やはり銃は抜かず、ホルスターに入ったままだ。
そして、わずかな動きで刀を避け彼女を難なく後ろから拘束する。しかし、その動きは常の彼を知るものが見れば信じられないほどに優しい。彼はその相手が、子供だろうが、女だろうが容赦はない。
彼女の腕を手荒にならないように押さえ込む。しかし尚も、彼女はその腕から逃れようと暴れる。しかし、彼のその腕はピクリともしない。その様子を見てカトルがあわてて向かってくる。
「落ち着いてください。詳しくは聞いていませんが、ここに居る間、貴方の身柄は保証します。僕の名前をかけて誓いますから」
 それでも彼女は、納得しない。
――当たり前だ。彼らは信用ならない。自分の事をずっとあそこに閉じ込め『EARTH』を利用して、世界を壊し続ける、彼らのことなど。
本当はずっと昔からあの城に火を放ってしまいたかった。
――でも、そんなこと、…神がお許しにならない。唇を噛み締める。
麻酔は麻酔でしかない。
血の気の引いた真っ青な顔で怒りを抑えて彼女は言う。
「王室護衛騎士と知り合いの貴方の事をわたくしは信じることが出来ません」
それを聞いてデュオが微笑を浮かべて言う。
「それは、オレも同感。『OZ』は信用ならない。」
片目をつぶって彼女に笑いかける。
「心配いらない。お嬢さんのことはオレが護ってやるから。俺はカトルに雇われたわけで、王宮とは、『OZ』とは関係ない。それに、オレも、『OZ』は大嫌いだから。」
「何度も言わせるな。お前は必要ない。」
 すかさずヒイロが鋭くデュオを睨みつけ、今度こそ怒号を込めて告げる。
「だから、お前こそ聞いてたのかよ!?お嬢さんは嫌だって、言ってるんだよ!『OZ』は信用ならないって、言ってるんだ!」
 それまでの彼は何だったのかと思うほど、険悪な目つきでヒイロに怒鳴り返す。
「だから、辞めた」
「そこ王女様の忠実な狗(イヌ)なんて特に………辞めた?はぁ?」
デュオは気がついてから一瞬で理解したその意味に、今度こそぽかんと口を開ける。それは、黙って2人の会話を聞いていた彼女も同じで。
静かに腕が解かれる。
ゆっくりと振り返り群青色の瞳を見つめ、聞く――
「貴方は誰?」
 そして、とうに限界を超えた彼女の体が大きくぐらつき、倒れる。
 しかし、その身体か地面に触れる事は無かった。




そして、現在。季節は夏―――
わたくしは、彼が「ゼロ」と呼んでいる自転車に機械が付いたような乗り物の後部座席に乗っている。わたくしの為に、背もたれをつけてくれた。長い時間走ると、体力が消耗するから少しでもそれを抑えるためなんだとか。彼はメンテナンスも全て自らやるから、すごいですね。っと、以前言ったら、「ゼロ」はカトルさんが作ったオリジナルだから、確かに早いし頑丈だけど、独特で癖が強いから、そこいら辺の整備屋さんでは出来ないとか何とか、と彼は言っていたけど、本当は自分で触っていないと気がすまないんじゃないかと思う。
「ゼロ」について、もっとちゃんとした名前も、説明も沢山してくれたのだけれど、どうも良くわからなかったら、デュオさんが簡単に説明してくれて、機械付き自転車になったのだ。だからわたくしは会う人会う人全てに、こう説明しているのだけれど、皆、実物を見ると絶対に何かしら文句をぶつぶつ、言っている。それを、はたから見ている彼も、呆れたような目でいつも見ている。

今は長く平坦な草原を一定のスピードで走っている。
まだ日は高く、日差しが強い。汗ばむ陽気にわたくしの格好は、胸を覆い羽が出せるコルセット型の服に、「ゼロ」に乗りやすいように青いジーパンを身に着けている。ただ、羽は目立ちすぎると、彼は自分が着ていた上着をこの旅の最初にくれた。わたくしには今も尚、賞金がかけ続けられている。でも、特徴しか書かれていない手配書ではこれだけでも本当に分からないみたい。『OZ』でも自分は本当に秘密で、写真を不用意に出すことは彼らにとっても避けたいのだと思う。でも書かれている特徴の中に髪の毛のことも書いてあるみたいだから、髪の毛も切ると言ったのだけど、必要ないって。
だから、こんな陽気でもわたくしは長袖の上着を着ている。
 空は蒼く、高い。  

何となく声をかけてみる。
「ヒイロ」
「……どうした?」
彼がそう聞き返してきたが、何も答える様子がないのを感じたのか、再び何もなかったように走り続ける。

次の街にはいつ着くだろう?

2004/2/3



#02死にかかった話

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