LOVER INDEX

#02死にかかった話


「雨が降るって」


 普段よりも少し遅めの昼食の用意をしていた彼に、唐突にそう彼女が言ってきた。


 それは、彼と彼女がゼロと呼ばれる、機械付き自転車(彼女の説明だ)に乗り『OZ』国を出発した最初の頃のこと。

 ひたすら伸びる草原の中で、やっと木陰があったことで、彼女のために昼食にすることにしたのだ。ヒイロの食事は不規則で食事をするという、考え自体があまり存在しない。
   そして、話しかけられた彼は、昼食の準備をしていた手を止め、見上げる。
 空は雲一つ無い、深い蒼。
「…何だって?」
「だから、雨が降るって言っていたの」
 やはり、自分の聞き間違いではなかったらしい。
 加えて更におかしな言い方をする。
「言っていたって、誰が?」
 リリーナは、まるで第三者がそこに居るかのように話をする。
 その上、その話している内容も全く的を得ていない。
 この時期この地方に雨が降ることはまずない。
 しかし、リリーナは真剣な面持ちで後ろの木を指し、更に彼を混乱させることを言う。
「誰って、ほら、そこの羽が黄色の鳥が」
「…………………鳥……?」
「そう。鳥」
 またしても、自分の耳は正常らしいことを確認した。
 そして、それを確認するとヒイロは何事も無かったように、曖昧に返事をし、再び昼食の準備に戻る。そんな彼を気にすることも無く彼女は空を見上げながら、更に続ける。
「荷物にシートをかけた方がいいかしら」
「ああ、そうだな…………」
「では、シートの方は、わたくしがやりますね!」
 そう、リリーナは自分に任せておけと自信満々に言うと、早速ゼロに積まれている荷物から防水シートを取り出しにかかった。


 リリーナは、何でもやりたがった。それが出来る、出来ないに関係なく。それをヒイロも別に止めたりはしない。どんなに、あとで手間が2倍、3倍とかかると、分かってはいても何もいわなかった。

 
 そして、例に漏れず防水シートも彼が手伝う運びとなった。

 昼食後、自分にも防水コートを着たほうが良いと彼女が勧めてきたが、必要ないと丁重にお断りした。
 鳥の忠告に耳を貸すほど自分は柔軟には出来ていない。

 走り出してからまもなくして、雷雨だった。


 激しい風と雨が容赦なく2人と車体を打ちつける。
 視界は数メートル先も見えない程の、雨粒の激しさが途切れることなく続く。
 時折、空が明るく光り、轟音を辺りに響かせる。ヒイロはその度に、後ろの気配を慎重に探るが恐れている様子も無ければ、驚いている様子も無い。あまりに静かなので、声をかけようとしたその時、静かに笑い声が聞こえた。
「フフフフフ……すごい。雨ってこんなにすごいんですね。わたくし初めてです。素敵!」
「……………いつ止むとは言っていなかったのか」
 彼女の様子に半分投げやりに聞く。
 鳥が言った?そんな話聞いたことが無い。単なる偶然だ。
 内心で軽く悪態をつく。


「それは、聞いていません。でも、まるで空のシャワーのようですね」
 リリーナは本当に楽しそうだ。
 防水コートを着ていないヒイロは、頭から足の先まで水が滴り落ちている。
 暗褐色の長い前髪はべっとりと額に張り付き、まさにずぶ濡れだ。
 しかしそれは、防水コートを着ているリリーナも身体の出ている手や足、顔といった部分は、水が流れていく。
 先程まで辺りの草原に居た大型動物の姿も無い。
 雨はますます酷くなる。
 流石に自分独りならまだしも、彼女が共に居る今はこのまま走り続ける訳にもいかない。だから雨宿りが出来る場所を、ヒイロは先程から探している。
 だが、昼食のときもやっと木陰があったのだ。この草原はそれほどまでにそういうものが無い。そのせいもあってこんな嵐でも、無理して進んでいる。テントを張ることも考えはしたが、舗装もされていない道路は先程から半分、川になっている。


 いっこうに止む気配の無い雨のせいもあってか先程から、自分の腰に回されているリリーナの手が少しずつずれている。
 一度、両手でしっかり掴むように促そうと、ヒイロはこんな状況にもかかわらず、片手をハンドルから離し彼女の手に触れたとき、彼女の手の余りの冷たさに動きが止まる。
 春の雨はまだ冷たい。

「ヒイロ?」

 自分の手を掴んだまま動く気配の無いヒイロに声をかける。
 リリーナの声はそれほど大きい訳でもないのに、雨音の中でもよく通る。


 その日は、それからしばらくして小さな小屋があった訳だが。



 全身から水を滴らせているヒイロに向かって、リリーナが言う。
「だから、防水コートを着たほうがいいって言ったのに」


 どこに鳥の忠告を聞く奴が居る。そんな話、聞いたことが無い。
 乾いたタオルでリリーナの髪を拭きながら、思う。

 その間リリーナは、永遠、彼らの声を聞くためには、『目を閉じろだとか』、『耳を澄ませば』だとか、言ってくる。


 そんな彼女に『うるさい』と、言わなかった自分の成長に拍手を送りたい。


 そして、それから暫くしたある日。
 川で水を汲んでいるときに、木々の間から息を潜めて今にも自分に襲いかかろうとしている獣がいることに気がついた。


 このときの俺の判断を後で散々後悔するわけだが、その時は何故だがそうしてしまった。

 どうかしている。

 オレは、静かに瞳を閉じた。
 そして、耳を澄ます。
 別にあいつにそう言われたから、そうしているわけではない。

 川のせせらぎや風が木々を揺らす静かな音だけが聞こえる。
 後は、静寂のみだ。


 突然何か感じるところがあって、オレは顔をサッと横に避ける。
 ツーっと頬を流れる液体を感じる。

 そして、横を静かに見ると牙をむき出した獣がすぐ隣にいた。


 やはりどうかしている。

「ヒイロ!どうしたのですか!頬から血がすごい出ているじゃないですか!」
「ああ、そうだな。」

 二度とあいつの話を真に受けるのはやめようと、心に誓った。




2004/2/14


#03軍医

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