++■sorcier■++

 −プルシャンブルーの魔法使い−




捕らわれた――一瞬で。

何だろう?
 不思議な、そう、――何かを感じる。
しかし、見た目はただの古い壁。
でも――何だろう?
言葉で言えば、純粋な恐怖―――。
しかし、それ以上に興味が勝った。
指を、手をそっと壁へと差し出そうとした時――
『お嬢さん?』
「!」
突然掛けられた声に驚いて振り向くと、そこにいたのは同い年くらいの髪を結った青年。
黒いどこかの制服を着ていた。
「貴方は?」
「お嬢さんと同じ、客人の一人。オレはデュオ」
「あ、申し訳ありません。わたくしはリリーナと申します」
驚いていた為、名乗ることすら忘れていた。
しかしそんなことよりも、話を戻される。
「で、その壁が何か?」
「え――いえ、その」
わたくしは説明しようとして、次に壁に視線を向けたときには、いなかった。
そこにあるのはただの壁で。
「……あっ…………………」
 しばらくぼうっと壁を見つめていた。
「お嬢さん?」
 黙ってしまったわたくしに、青年は人懐っこい笑顔で声を掛けてくれる。
「いいえ。何でも…何でもありません…何でも」
わたくしが笑みを浮かべると青年も笑った。
そして、納得したように言われる。
「お嬢さんが今回噂の――デビュタントか」
 青年の言葉にわたくしは更に微笑んだ。負けないように。
「噂になっていることはわかりませんが、確かにわたくしはデビュタント。初めての舞踏会です」
 凛とした声が廊下に静かに響いた。

 
 
 リリーナが去っていく後姿を眺めながら、デュオは苦笑する。
「何だよ?不満か?」
デュオの横に音も無く男がいた。
暗褐色の髪をした細身の男。
気配も無く、突然現れたとしか言い様がない。
「デビュタント。可愛いじゃないか。噂よりもずっと」
「どう言うつもりだ――」
 感情の殺された低い声に、デュオは肩をすくめる。
「どうも何も、助けてやったんだろ?」
男の瞳が細められる。
「あのままじゃ、見つかってた。間違いなく」
「………………………」
「まずいだろ?仕事前だ。騒ぎを起こすわけにはいかない」
「………………………」
「それにしても、何で?偶然?お前、調子悪いんじゃねぇの?」
デュオはからかう様に言うが、やはり返事は無かった。
男は、廊下の角を曲がったリリーナの背を見つめたまま。



わたくしが部屋に戻ると叔父の執事が待っていた。
「お嬢様。旦那様がお探しております。すぐにいらして頂かないと」
「少し城を歩いていただけです」
「準備もあるのですから、少しは理解していただかないと」
そんな執事の声には明らかに苛立ったものが混じっていた。
当然だ。
叔父はどうしてもわたくしを、この舞踏会に出したい理由がある。
先ほど廊下で会った彼にも言われた。
噂にまでなっている。
呆れてしまうが、真実なのだから受け入れるしかない。

わたくしは小国の王族だ。それも直系の。現在第一順位にいる。
そんなわたくしの両親は亡くなった。もうすぐで一年になる。
ただ、少しだけ事情があり、わたくしはまだ後を継いではいない。
後を継ぐには年齢が若いと言う事は確かにあるが、それ以上に問題がある。
無理に事を運ぶと、争いごとが起こるのだ。それも血なまぐさい。
既に表に出ているだけで、四人――亡くなった。
そこで後を継ぐには未熟だと言う強引な理由で、少しだけ王位継承を延ばしている現在。
その間に何とか、血生臭い政権内部の混乱をまとめたいと、わたくしは少し遠い叔父と共に、働きかけてきた。
そう、共にだ。
そこまで親しくも無い叔父の力を借りたのは、突然任された国の政務にわたくしだけでは名ばかりで、実際の人との繋がりが薄く、とてもではないが国を維持することなど不可能だったからだ。
だが、叔父が力を貸してくれるのも別に善意からではないと言う事を――悲しいことだが、わたくしは知っている。
別に隠されているわけでもなく、今では殆ど周知の事実だ。
しかも、国外まで。
叔父は、国の当主の座を欲している。叔父は第二順位に位置する複数の者の一人。

そんな、叔父も狙っている国の当主の座。
多くの国民がわたくしをと望んでいる声があるのも勿論、知っている。
しかし、実際わたくしでは後を継ぐには年齢が足りない。
それでも、わたくしが男子ならば意見も無理矢理通すことも可能だと言われてはいた…。
でもわたくしは世界的には身分が低いとされる女で、加え――まだ社交界にすら出た事も無い。
国外的には無名な一人の娘。
推すには難しかった。叔父の主張を抑えることで精一杯。

ただ、情勢はわたくしの年など待ってはくれない。
この一年ですら、大きく変わった。
代表がいない国は脆い。
だと言うのに、わたくしには議会を動かす…力も伝もない。
殺されて―――しまったのだ。
わたくしの力になってくれた多くの者が。表に出た者が四人と言うだけ。実際は両手の指では足りないと…言われている。
それ以来、誰もが恐れ、今では孤立さえしている。

そんな状態だ。
叔父は一刻も早くわたくしを追い出し、国の当主をと望んでいる。
少数の国民も今では安定をと、叔父を受け入れ始めている。

だから叔父は一刻も早くわたくしを、どこかの有力な貴族に嫁がせたくて仕方が無いのだと、社交界ではその噂で持ちきりだと何度も言われた。
面白おかしく、貴族たちの暇つぶしの対象になっている。
本来、国の事を思うのならば正式に外国の王族を婚姻相手とすべき所を、今回のような事になっているのだ。貴族相手。
噂にだってなる。
普通、王族との婚姻は簡単には行かない。
時間もお金もかかる。
国の為になるのならば貴族との婚姻も受け入れるが、そうではない。
殆ど脅迫に近い形でわたくしはここに連れてこられた。
ただ、わたくしも、国をこのまま大国に飲み込まれるような事は臨んではいない。
何しろ婚姻で国と国の強い繋がりが出来る事も確かだ。
その相手が王族が勿論一番良いが、貴族が現状では限界。
どこかの王族との婚姻をまとめるほどの、時間もお金もわたくしの国に無いことはわかっている。
だから、脅迫のような形で連れて来られた舞踏会だが、出る事に決めた。

わたくしにとってはデビュタントだ。
デピュタント――舞踏会に初めて出る日。
社交界へのお披露目。大人として認められる初めての日。
「―――こんな風に迎えたくは無かったけれど」
気持ちを抑えるように、視線を前へと向けた。下ではなく。
通常デビュタントする年齢より、わたくしは少し年齢が足りない事は十分わかっているが、そんな事を言っている場合ではないから。
しかもこうなってしまったならば国の為にも、立派に役目を果たそうと思う。
わたくしはそっと瞳を閉じた。
だから強引に納得をさせる。今回の舞踏会でわたくしは、叔父が選んだどこかの貴族と婚姻させられる事を。
噂の言葉を借りれば、一枚でも金貨を多く払った者の所へ行かされる。
ため息をそっと殺した。
そして、いい加減に自分を呼んでいると言う叔父の所へ向かおうとして止められる。
「リリーナ様 手袋を…」
 メイドが困ったように声を掛けてくるが、わたくしは首を横に振る。
「必要ありません。好きではないから」
するとやはり叔母様から叱咤を受ける。
その事でわたくしは叔父が呼ばれている理由を知った。
わたくしは正装で叔父が待つ部屋へと行くと、やはりいた。
見たこともない、男性達が五人。
とても穏やかそうで、優しそうな人達である事は間違いない。
わたくしの舞踏会のパートナーだという。
一応わたくしの意見も取り入れると言う事で呼ばれたらしい。
だから考えておくと、わたくしは挨拶だけ済ませ、部屋を出てきた。
あれ以上あそこにいたくは――無かった。

知らずうちに足が速くなる。
これで良い。
無用な争いも終わり、国も当主を得た上、財政も安定する。
国に残り、味方のいない議会でわたくしが出来る事は――無い。
それならば、この国の王族との婚姻は結べないまでも、有力な貴族と強い繋がりが出来れば、国にとってとても有益。
わかっている。
でも――それならば…わたくしは…?
「…お父様…わたくしは…」
そんな想いに支配されそうになった時、再び奇妙な感覚に襲われる。
「―――――――――…何?」
胸がドキリとする。
辺りをそっと見回すも、特に変わった変化は無い。
客間のある重厚な造りの屋敷はそのままだし、この屋敷の使用人たちも変わらず仕事を続けている。特に変わった事は無い。
だが、見つける。
やはり――壁だ。壁から目が離せなくなる。
「?」
目を細め、息を潜めた。耳を澄まし、空気を読む。

そして手袋をはずし、誘われるように手を伸ばした。
「…あ」
壁に触れる寸前、指に感触がある。水に触れたような、翼に包まれるような、何とも表現しがたい感触が。
直後――深い、海の底の様な黒ではない蒼に出会う。

わたくしはあまりに驚いて、声が…出なかった。
一瞬で奪われた。
だって、そこに、…――いた。
どうやって、いつだとか、まるでわからない。
でも、目の前に確かにいる。
わたくしよりも頭が一つ分程高い、しなやかに鍛えられた細身の青年。長い前髪に隠された端整な顔立ちに惹かれる者はきっと、多い。暗い気品を持っていて、惹かれるのだ。
でも、それ以上にまとっている雰囲気に圧倒されることも確かだ。
冷たく、絶対の拒絶。
でも――その先にある感情をわたくしは…。

だから、突然、楽しくなってきた。
彼の正体がわかったからだ。
「貴方は魔法使いですね」
途端に眉が歪む様子が、やはり面白い。
「貴方はここで何をしているの?」
「答える義務は無い」
声は感情も無い、低く冷たいものだが、耳に残る静かな音だった。
だからわたくしは深く微笑んで応える。
「でもそれでは、わたくしは他の者たちに貴方の事を不審者として報告しなければならなくなります」
「――――――――――――」
瞳がスッと逸らされたので、わたくしの勝ちだ。
「わたくしはリリーナ・ドーリアン。貴方は?」


「ヒイロはここで何をしているの?」
聞いてはみるが、やはり答えはなかった。
わたくしたちはあれからテラスへと場所を移した。
ここからは城が良く見えた。明日はあそこで舞踏会だ。
気は重いが、今はそんな重い気持ちを吹き飛ばす程に、興味があることが出来た。
「わたくし、魔法使いは初めて見ました。何しろ、貴方たちはあまり外には出てこないから」
事実だ。魔法は常に歴史の裏を暗躍し動かすモノ。表に出て来ては意味が無い。
だから、彼女に見つけられては話にならない。
ヒイロはため息を殺し、リリーナにまっすぐに視線を向ける。
「――二度と俺に話しかけるな」
「何故?」
「――任務中だ」
言う事はそれだけだと、去ろうとしたとき、壁の向こうから声が響いてきた。
『カトルからの連絡。あのヤローは舞踏会当日。会場だと。それまでは表に出しもしないんだと』
そして壁から透けるように出てきた。
若干うんざりしたように、髪をかくデュオが。
「どうする?まずは招待状をどっかで…って、え?!」
そこでようやくデュオが、気づく。
ヒイロ以外の、いるはずの無い存在。
本当に驚いたように瞳を向けてくるリリーナとしばし視線が絡んだ。その先ではヒイロが瞳を閉じ、どう思っているかなど聞くまでもないが、相手にすらされていない。
「…どう言うこと?」
デュオがようやく出た言葉は、そんな事だった。


「偶然じゃなかったのか。すごいな」
デュオは素直に感想をつぶやいた。
「素敵。わたくし、一度魔法使いに会ってみたかったのです」
 デュオがうんざりしたように息を吐いた。
「二人は何を探しているのですか?」
「秘密。国家間に関わるから」
「ですがわたくしは知ってしまいました」
実に隠しもせず、含んでそんな事を言われ、デュオは苦笑する。
確かにそれは、オレのミス。
「それでも知らない方が良い。知ったら、面倒な事になる」
「二人も舞踏会に出るのですね」
「………………………………」
「今回の舞踏会は王家の方々も出席されるから、警備も厳重で入り込む事は難しいと思いますが」
デュオがヒイロに視線を向けるが、無視される。
「お嬢さん。俺の話し 聞いてた?」
「ええ。関わらない方が良いと。勿論聞いています」
デュオは頭を抱えたくなった。
自分の不注意だとは言え、第三者がいるとは思わなかった。
何しろ、ヒイロだ。誰かといるなどと考える事すらしなかった。それが不注意だと言うことだが…。ヒイロだ。考えないだろ?普通。
デュオの眉間のしわが、ますます深くなる。
「ねえヒイロ」
リリーナの声に閉じていた瞳を開けた。
「――――――――――――」
「わたくしと取引をしませんか?」 
「――取引?」
いぶかしむ様に細めた瞳に、わたくしは深く微笑む。
「わたくしをエスコートしていただけませんか?パートナーとして。舞踏会の」
ヒイロの瞳が一瞬だけ狼狽したように開かれたが、すぐに元に戻った。
「悪くは無いでしょう?貴方は舞踏会に参加できる」
「……………………」
「しかもわたくしは噂の人物ですから。自由に舞踏会は動ける」
 黙ったままで返事がないが、一歩も引かない。
「まぁ、多少は目立つと思いますが、望めば対象人物に近づけると思います。何の問題も無く。いけませんか?」
「――何が目的だ?
低く、警戒する声に苦笑するしかなかった。
「何も。わたくしには何も出来る事などありません。噂の通り」
デュオが再度の『噂』と言う言葉に思わず苦笑した。
「例え、婚約相手がいたとしても、わたくしの処遇はかわりません。何も…」
リリーナの言葉に眉をひそめるヒイロと違いデュオは笑う。
「お嬢さんは嫌なわけだ。婚姻は」
 デュオの誤魔化しもしない指摘に、気がついた時には自分でも驚いた程、素直にうなずいていた。
「ええ―――とっても」
 納得出来ていない。
「だよな。女の子を売るなんて、酷いな」
空色の瞳を遠くの空に向けた。
それでも様々な気持ちを抑え込む。強引に。
「ただ、国の為です。国民の―――王族などその為だけにいるのだと思います」
「すごいな。感心する」
 リリーナは普通に笑った。
「それでも――わたくしは幼い頃から舞踏会は…楽しみにしていたから。わたくしの我侭ですね」
黄昏に染まるリリーナの横顔をヒイロは黙って見つめた。

わたくしは部屋に戻ると、早速叔父の執事に言付けを頼んだ。
舞踏会のパートナーの件だが、必要ないと。わたくしにはいるのだと。初めての舞踏会で相手を務める約束をした人が。
っと、もっともらしく大げさに。
するとすぐに激怒した叔父に呼ばれたが、わたくしは応じる事を止めた。
決めてしまえばなんて事は無い。
久しぶりに、普通に笑う事が出来た。
唯一、共について来てくれたパーガンもそれで構わないと言ってくれたのが、本当に嬉しかった。
そして、そんなことを続けていると叔父も最後の我侭だと、それ以上は何も言ってくる事は無かった。
どうせ、最後は何も出来ないのだと。
確かにそれは、真実かもしれない。
でも、舞踏会は楽しめる。
叔父を含め、反対勢力にいいように連れてこられた会だけれど、きっと良い事だってある。
最近、本当に悲しい事が多かったから――。
そう思った途端、気持ちが楽になった。
子供の頃からあれだけ楽しみにしていた舞踏会だけは楽しもう。
デビュタントは一度しかないのだから。
それに何よりも相手は、魔法使いだ。
幼い頃、その存在を知ったときから、魔法使いに会って見たかった。
信じられない!
世界中のどこの国家の裏でも、常に動いていると言われる魔法使いが相手なんて、絶対にない。
何しろ彼らは、人前に現れる事が無い。
物語としてしか、信じない者だっている程の存在なのだ。
実はわたくしも半分疑っていたと言うか、すっかり頭の片隅に追いやられていた。
それ程に隠されている存在。
伝説級。すごい。胸がときめくなんてモノではない。
だから、叔父の考えとか社交界でのわたくしに対する噂とか、どうでもよくなっていた。
心が奪われて仕方ない。
「魔法使いは、ダンスが上手なのかしら?」


しかし、次の日、問題は起こった。
否。わかっていたはずなのに、わたくしは甘く考えていた。叔父達の事を。浮かれていた。

舞踏会の準備を終えた所に、断りも無く入ってきた。
勿論、パーガンは止めようと言葉を発しようとしてくれたが、わたくしがそれを止めた。
平気だと。
でも、彼らにかける言葉はなかなか見つからなかった。
叔父の横には、昨晩いた男性がいる。礼服で。
そう。説明は不要だ。
「………………叔父様…昨日お話しは」
どうにか言葉をつむぎ、訴えてみるも、止められる。
「リリーナ。お前の今晩のエスコート役。エドワード侯爵のご子息だ。不満はあるまい」
「いえ、そうではなく」
 反論しようとするが、叔父の表情は鋭さを増す。
「リリーナ 失礼だろう」
叔父の声は一切の反論を封じる程には強い。
それでも、わたくしはどうしても今日だけは引きたくは無くて―声を出そうとして、また止められる。
「―――――――」
わたくしは感情を殺すことが出来ず、顔を床へと向けていた。
想いを抑えるために手をぎゅっと握り締める。強く握りすぎて震えてまでいる。
でも、涙だけは流してはいけない。
だって!
だが、次の瞬間―――

「リリーナ」
部屋に響いた感情が含まれない低い声に、一瞬で目が覚めた。
「!」
 勢いよく顔を上げた先に―――いた。
「…っ!」
 危なく声が出そうになった。
叔父たちの背に。違う。現れた。魔法で。
だから、驚愕した。
黒で揃えた、見たことも無い紋章の刺繍が施された上品な制服の装いで隙も無く、立っていた。
途端――頬が熱くなるのがわかった。
――どうしよう。

「誰だ お前は?いつからいた?」
突然の彼の登場にいぶかしむ叔父たちとは違い、わたくしは声さえ出ない。
何しろ魔法を隠しもせず使ってくるとは、思わなかったからだ。
そんなわたくしに、一切の無駄の無い動きで差し出される。
腕が。
叔父たちの問いにも視線にも、一切――答えず。
まるで部屋にはわたくしと彼しかいないかの様にさえ、取れる行動で。
心拍数が上がった。
でもどうにか呼吸だけは整え、わたくしは彼の手に自らの手を重ねた。途端、優しく握り返された行為に、胸が苦しくなった。
後ろで叔父の声が響いてきたが、耳に入らなかった。
あまりに今起こった事の方が、現実味が無くて――。

「驚きました」
「―――?」
眉をひそめ不思議を見るような表情に理解する。
ヒイロは本当に意味がわかっていないらしい。
だからとうとう、笑ってしまった。
「嬉しいと、言っているのよ」
ヒイロは瞳を細めた後、視線を前へと戻した。
「取引だろう――」
「ええ。素敵な取引で良かった――」
想いを抑えるようにそっと瞳を閉じた。
ホールに続く庭に着くと、執事に扮したデュオが見えた。
ヒイロの執事として彼は中に入るらしい。
「お嬢さん、似合ってる。流石本物は違う。綺麗だ」
「そんなことありません」
「隣は仏頂面でイマイチだけど」
デュオの言いようにヒイロは表情を崩すこともないことに、また笑いそうになってしまった。
「それでわたくしが何か、お二人のお手伝いが出来る事はありますか?」
 デュオが首を横に振る。
「会場に入れるだけでこちらは十分。何しろ王族が来るような会は、魔法返しもそこら中にあって、オレたちでもなかなか入れないから」
「そうなのですか」
わたくしは木の向こうに見える会場に目をやると、少しだけ緊張して来た。
そんなわたくしの想いが伝わったのか、絡めている腕はそのままに―――歩みを緩めてくれた。
「ねぇ、ヒイロ。魔法ってどんな感じなのですか?」
「―――――――――」
「例えば、空に花を咲かせる事とかも出来るのですか?」
「―――――――――」
わかってはいたが、返事はなかった。
でも続けた。緊張しているからだ。
話していないと、耐えられないほどに。
だから答えは大して気にしていなかった。
魔法使いが出てくる物語や、父から聞いた事等、一方的に話していた。
でも、次のわたくしの言葉に、唐突に返事がある。
「わたくしの国は小国だから魔法使いなんて、見たこともなかった」
「―――いない方が良い」
 驚いた。
「…何故?」
「…………………………」
沈黙が返って来たので、今回も返答はないと思っていた。
でも、遅れて
「俺たちの行くところには――戦いしかない」
「――――――――――――」
「俺は破壊する魔法しか――知らない」
感情が殺されたその声に、泣きそうになった。
だから気がついた時には歩みを止めていた。
 そして―――
「ヒイロ」 
切羽詰ったようなわたくしの声に、突然何事だと不審に思った彼の視線を受けても、想いは止まらなくて。
「わたくしの国に来ませんか?」
直後、本当に微かに、きっとわたくしにしかわからなかった。
それくらい微かに、ヒイロが瞳を開くのがわかった。
すぐにそんな変化を嫌ったのか、元の表情に戻ってしまったが。
「わたくしの国に、戦いはありません。素敵な魔法だってある。花を咲かせたり、誰かを、何かの力になる魔法が」
わたくしは、ただ必死に言っていた。
はじめてあの壁にいた彼を見てから感じていたことだ。
全てを、それは世界をも拒絶しているような彼を、ただ何だろう…助けたい等と、魔法使いの彼におこがましいとは思う。
でも――独りの彼を…放っては…おけなかった。
笑って欲しかったからだ。
独りではないと、知って欲しかった――。
「ヒイロ…わたくしは」
「…馬鹿な事を」
つぶやかれた感情のこもらない、冷淡とさえ感じるほどの声に、息が詰まった。
「内部が崩壊寸前の国に…――王女自ら売られるような国だ」
「―――――…」
「人の事を心配出来る身か」
それ以上言葉が出なかった。
同時に、それまで楽しかった心がどこかに行ってしまった。
現実に戻された。
そうだ、わかっている。逃げていた。
反論しても一切意見の通らない会議。身の回り全てを囲まれた。
暗殺者さえ放たれ…。二度。殺されかけた。
逆らえば命の保証がない。だから来たのか?
……怖かった。
ただ、怖かった。声が出ないほどに。
鋭いナイフが首に触れたあの感触を今でも忘れない。
彼の言うとおり、そんな国に来て、何になるのだろう?
昔はとてもいい国だったのに、わたくしが壊してしまった。
わたくしは涙をこらえるために瞳を閉じた。

その後、ホールに着くまで、わたくしたちの間に会話はなかった。
だが会場は入れるような状況ではなかった。
突然のこの国の王の登場に、大騒ぎになっていたからだ。
王自ら来るとはわたくしも聞いていなかった為に、流石にわたくしも驚いた。
王子は出てくるとは聞いていたが、王自身が出てくることは、予想外。
そんな会場内の一部でわたくしたちは成り行きを見守った。
人垣でわたくしは何も見えなかったが、ヒイロとデュオは瞬きさえしてない。見えているらしい。
そんな中、隣でデュオは微かに舌打ちをした。
それからヒイロの傍へと来て、何か話しをしている。
わたくしには二人が何を言っているのかまるでわからない。
知らない言葉だ。
その後、少しだけ人垣が割れ、二人が見ていた人物を知る。
王に王子だ。顔を見たことは無かったが、一目で装いからわかる。
だがその時、突如、引っかかった。
それからは、目を離せなくなった。
王が持つ、ある物から。
「…あれは…」
そんな事に気を取られていて、周囲に気がつかなかった。王や王子の姿を一目見ようと後ろから人が雪崩れ込んで来た事に。
わたくしは押され、倒れこみそうになってしまった。
これだけの人ごみで倒れる事の危険さを知らない訳ではない。
だから、一瞬で恐怖を覚えた。
でも、倒れる事は無かった。
「…!」
息を呑むよりも早く、抱き上げられていた。
驚きすぎて事態がよく、わからなかった。
視線が一度だけ合うと、落とした声でつかまっていろとだけ言われ、わたくしは素直にヒイロの首に腕を軽くまわした。

「人が多い。一度、戻ろう」
デュオの言葉にヒイロも続いた。
人がいない庭まで戻るのに少しかかった。
途中、人は減ってもわたくしは、抱き上げられたままだった。
下ろされたのは、木が数本生えた、少し人目につかない所。
そして、そこにわたくしたちを残し、ヒイロはすぐに闇に消えた。
残されたデュオは苦笑していた。
「悪いね。お嬢さん。でもどうせホールもしばらくは危険だろ?あの人ごみじゃ」
「いいえ。わたくしこそ、あのままでは怪我をしていました」
「気にしないで。レディを助けるのは男の役目だから」
 デュオは大げさにそんな事を言った。
「何かトラブルが?」
「ああ。はめられた。相手が王族となればこちらもこの装備じゃ無理」
デュオが降参する様に肩を軽くすくめた。
「でも、彼は諦めている様には見えませんでした」
抱き上げられている間も、ヒイロの瞳は鋭かった。
「そらそうだろう。オレだって本当なら諦めたくはない」
デュオはどさりと木の根元に腰を下ろした。
「…二人は何をしに来たのですか?」
わたくしの言葉にデュオは一瞬、考えるように瞳を細めた。その後、瞳が向けられた。
「魔法使いって、どうやって作られるか知ってる?」
「作られる…?なるのではなく?」
「魔法使いなんて、ろくでもない。なるもんじゃない」
ヒイロも同じような事を言っていた事を思い出した。
「生まれてすぐに契約させられるんだ。異の奴らと」
「生まれてすぐに異の者達?!」
わたくしには言っている意味がまるでわからなかったが、デュオは構わないらしい。
「何しろ戦争中だ。子供を売る親だって山ほどいるし、捨てられた子だってあふれるほどだ。成長すると魔法使いは作れないのさ」
何でも無い事のように言うデュオに、声が出なかった。
「で、オレやあいつは運悪く。契約出来ちまったって類」
デュオの言葉から考えれば、契約出来る者が多くないと言う事なのだろう。
魔法使いはいない。それが当たり前なのだから。
言葉のわりにデュオは落ち込んでいるようには見えなかった。
「デュオは魔法使いには…なりたくなかったのですか?」
「それこそ今更だろ?ここまで世界の裏を知っちまって、今更、魔法の力がどうこう言いやしないさ。でも――」
「―――でも?」
 デュオは含んだ笑みを浮かべた。それは、自嘲する様に。
「お嬢さんと一緒さ」
「わたくしと――」
「首輪はとりたいだろ」
デュオは空を見上げていた。
首輪――彼らも何かに縛られているのだろうか?

その時、風が頬を抜け、気がついた。
「―――――――――――」
木と木の間。何もないのだが、来るのがわかる。
黙って待っていると、デュオが笑った。
「完全に捕まえられてるな」
そして、現れたヒイロと一瞬、瞳が合う。
でもすぐに逸らされた。
その際、眉をひそめられた事に、少しだけ傷ついた。
ヒイロはまた知らない言葉でデュオと何かを話している。

その光景に、わたくしはデュオの話を考えていた。
何故なら、ふと――本当に少しだが、既視感を覚えたからだ。
デジャヴュ…だろうか?
直後。そうでは無い事を思い出す。
言葉も説明も隠されてはいたが、聞いた事があるのだ。幼い頃。
――父から。そして、
「あっ…」
突如、突拍子もないが―――自分の中で一つの仮説が立ってしまった。
否。違う。
きっとそれは、―――真実だと思う。
心がそう、言っている。
だって―― !

だが、現実に戻されるように、呼ばれた。
「お嬢さん。悪い、トラブルだ」
デュオは笑っているが、ヒイロは鋭い空気を隠しもせず辺りを見ている。
話をまるで聞いていなかった。
「トラブル――?平気なのですか?」
「ちょっと知り合いに呼ばれているらしい」
「知り合い?」
「そう。飼い主の関係。国のお偉いさんさ」
デュオの言葉に言いすぎだとヒイロが鋭い視線を向けたが、デュオは微笑んだままだ。
「で、悪いんだけど。エスコートは出来そうもない」
「それは構いませんが…平気なのですか?まだホールにさえ…入ってはいない」
「平気平気。仕事は完了していないけど。どうせ別の仕事の依頼だ」
「デュオ」
ヒイロの抑えられた声に、切羽詰っている事を知る。
だからわたくしはここで平気だと彼らに伝え、笑おうとして、失敗した。
だからなのか、ヒイロが少しだけ眉を寄せたのは。
それは、心配するように。
その視線に耐えられなくなって、わたくしは行ってくださいと再度願うと、二人はようやく闇に消えた。
わたくしの手の中に花びらを一枚残して。
部屋に戻るまでの御守りだと。
わたくしはしばらくその花びらを見つめた。
そして深呼吸をした後、顔を上げる。覚悟を決めた。
見つめる先は―――


*       *       *


沈むほどに豪華な絨毯の上に立って待つ。
重厚な扉は一向に開く気配が無い。
人を呼び付けておいて待たせることは、別に奴らにとっては日常だ。
だからデュオは隣のヒイロに話かける。
「驚いた」
ヒイロは応じないが、いつもの事なので気にしない。
そして今回は、濁す事をあえて避けた。
「ああそれはもう、吃驚した」
嫌味を隠しもしない。
「――――――――――――」
「理解出来ない。良いのかよ?次、いつチャンスが来るかわからない」
「少し黙れ」
感情は無いが、強い口調。
ようやく反応はあったが、望んでいたものではない。
だから出るのはため息だ。
「どうした?突然、同情心かよ?お前が?嘘だろ」
ヒイロの表情は少しも変化がない。
「全く」
デュオは腕を頭の上で組んだ。
結果から言えば、今回の自分たちの作戦は失敗に終わった。
違う。厳密に言えばヒイロの作戦が、だ。
オレにかかってくる事は一つもないのだから。

今回の作戦はいくつもの事象が絡んでいた。
オレたちはあるモノを追っていた。お嬢さんにもその事は知られている。詳しい内容までは知られてはいないが。
その代物は滅多に世間には出てこない。それがこの舞踏会で出てくると、ヒイロの主の息子から聞かされた。
主――つまり。この国の王だ。
オレの雇い主は別。教会だ。オレは主が幼い頃に死に、はぐれ魔法使いになった。でも教会に拾われた。
だが、ヒイロは違う。
この国の主。奴の主は、かなり厄介だ。
魔法使いにとって主は契約によって縛られる存在。逆らうことが絶対に許されないし、不可能。
そこが魔法使いにとって実に厄介なわけだが。人に言わせれば、それだけ強大な力を持つ者の代償だそうだ。
好き勝手に言ってくれる。
そうだ。
オレ達はお嬢さんには隠したが、この国の関係者だ。
利用する為に、彼女の取引に応じた―――と、思っていた。俺は。
何しろヒイロ自身がお嬢さんの提案に、『いいだろう』っと、驚くほど簡潔に了承していた。
しかし結果は、あの通りだ。呆れた。

兎に角、そんな事で、オレたちは息子の情報で動いた。
王の息子。つまり王子だが、そいつ自身が、例の代物を持って今回の舞踏会に出ると伝えてきた。
その代物の持ち主は王。
何故、そんな王の代物をまるで盗んでくれとばかりに情報を流してきたのかと、不思議でもあるが、無論。息子にも思惑があってオレたちに情報を流している。
あまりに強大で力のある父親が、少しばかり疎ましい気持ちがあるのだ。この国の王子は。
早く自分が後を継ぎたいというのに、未だに政務のひとつさえ任せてもらえない苛立ち。
代物を盗むことで、王に恥をかかせる。
その代物の価値は実に厄介なのだ。
そんな経緯で、オレたちはお嬢さんの取引にも応じた。
まずはホールに入らなければならない。
国のつてを利用するわけには行かない。何しろ後々、王にばれては、意味が無い。
ただ、お嬢さんとの取引が無くてもオレ達には他にも方法はあった。
何しろ魔法使いだ。しかもオレたちはそれなりに腕を持った。
だが、先ほども言ったように、あいつが応じた。
ヒイロ自身が、パートナーになることを受け入れたわけだ。
内心―――驚いたなんてもんじゃなかったが。

でもトラブル発生。そう。舞踏会のホールにさえ入れなかったあの騒ぎだ。
その代物を持って舞踏会に出てきたのが、王だった。
――王子ではなく。
王は一般には出てこない事になっていた。
わかってはいたが、王は王子が呼んだと、裏は取った。
つまり、はじめから仕組まれていた訳だ。
オレ達が絶対に奪いに来ると知って、オレたちで遊びやがった。
悔しがり、絶望感に苛まれる所を見たかったのだろう。
あの王子はそれくらい、いい性格をしている。

兎に角、王からは奪えない。
あいつにとっては主だ。
オレは教会の手前、流石に世界のお偉方が集まる中で、そんなことは出来ない。それこそ、国家間の難しい事態が生じてしまう。
まったく―――。
我ながら情け無いとは思うが、はめられた。
だが、同時に――その代物はそれ程オレたちにとっては引けないモノだと思い知らされる。
だからこそ、あそこで引いたヒイロが理解出来なかった。
確かにオレたちだけでは厳しかった。
オレたちだけでは王に近づく事は可能でも、触れる事は相当厳しい。しかも、全て仕組まれた中では絶対と言って良い。
だが、オレたちにはお嬢さんがいた。
小国とは言え王族の彼女が。
王に挨拶に行けば良いのだ。何しろ、オレたちはこの国の関係者だ。難しいことじゃない。
その際、触れる事だって可能だろう。
王には逆らえないが、彼女を利用すればいいだけの事。
彼女を介して触れさえすれば―――奴ほどの腕だ。
奪えたはずだ。
相手が主だったとしても―――。ここまできたら、ばれるばれないの話じゃない。仕組まれていたとなれば、尚更!
でも、奴はそれをしなかった。
ホールに入る事さえ―――。
理由は考えたくも無い。
オレ達にとってそれは譲れないもの。
命を懸けるギリギリまで行けるモノであるはずだ。
それでも、彼女を利用すると一つだけ、ひっかかることもある。
彼女を王に引き合わせれば、王子の目に必ず引っかかる。
そうなれば、今回有名な彼女の弱みを、あの王子は絶対についてくる。そして、いつものように散々弄ばれ捨てられるのだ。
そんな事はオレだってしたくは無い。わかっている。
だが、非情で冷酷、自己中心的だと言われようが気にならない。それは奴だって同じだ。
ヒイロはオレ以上に、冷酷で非情だと有名なのだから。
彼女を利用する以上の扱いを、オレたち魔法使いは受けている。

そう結論付けると、やはり耐えられなかった。
「何故止めた」
「お前には関係ない」
「関係ある。お前が抜ければ、近隣の国の勢力が変わる」
「―――ならば、変わらなかった。それだけの事だ」
「お前な!」
あまりも感情のこもらないヒイロの声にとうとう声を荒げたとき、廊下に続く扉が唐突に開いた。
驚いたなんてものではない。
現にヒイロも一瞬で臨戦態勢に入っている。
何しろこの空間は、隠されている。
王族用に。
だが、次、現れた人物にオレはもう、開いた口が閉じなかった。
「良かった。いなかったらどうしようかと思いました」
微笑んだリリーナがそこに立っていた。

あまりに驚いて、現実逃避するように、ホールからたまに風に乗って聞こえてくる音楽の曲名を考えてしまった。
いやいや、それどころではない。
意識を戻す。
そしてなるべく平静を保つ。得意の死神の営業スマイルで。
「お嬢さん。今度は一体、何の用で?オレ達ちょっと呼ばれてて、ここにはお嬢さんはいない方が良い」
手癖の悪い王子がすぐに来るから。
「すみません。ですが少しです。わたくしもあまり時間が無くて」
そう言ってまた笑うと、リリーナはデュオの隣のヒイロの元にやって来た。
ヒイロもデュオと同じように驚いていたが、リリーナは一切気にしない。
「わたくし、貴方にこれを渡そうと思って」
「―――俺に?」
いぶかしそうに眉を潜めるが、やはりリリーナは動じない。
「ええ」
そして明らかに戸惑っているヒイロの手の平に、大事に持ってきたそれを乗せる。
重みのある服飾品――ペンダントだ。
細かい細工などは無く、一見すると原石。
しかし、色が――異常だ。
それは深い――プルシャンブルーの石。

ヒイロの瞳が隠されずに見開かれたのがわかった。
直後、リリーナが驚くほどの勢いで、ヒイロは鋭い視線を向けた。
視線の先のリリーナは驚いたが、すぐに元の笑顔に戻る。
「それを探していたのでしょう?」
「……っ」
 胸がズキリとしたのがわかった。
「思い出したのです。昔、父から聞いたことを。わたくしの国に魔法使いがいない理由」
デュオですら、突然の事態に声すら出ない。
「一度だけたずねた事があるのです。わたくしは魔法使いが好きで、会ってみたいと。でも、その時の父の顔が忘れられなくて、それ以来、聞けなくなってしまって」
それもあって少しだけ、思い出すのに時間がかかってしまったのだと思う。
「父は言いました。我が国は、魔法使いにとっては許せない国なのだと。魔法使いになる為のモノがある、世界で唯一の産地なのだと。大抵の魔法使いは非情な契約で縛られているからと。だから我が国は、はるか昔にそのモノ自体の取引を禁止した。国際法で。でもそんな事を今更しても、既に多くのソレが世界に出回ってしまっている事実は変わらない…と、嘆いてもいましたが。いえ。すみません。…まぁ、これは良いですね。長くなりますから」
リリーナは壁の時計を見た。
「兎に角それで、わかりました。わたくしの国が産地の『法石』。それが貴方を縛っているモノなのだと」
「―――何故」
声が擦れたのがわかった。まるで理解が出来ないからだ。
だが、リリーナはなんでもない事のように言う。
「その色は貴方の色だと思うからです。彼にはまるで似合っていなかった」
「説明になっていない」
ヒイロの鋭い声に、リリーナは首を横に振る。
「いいえ。その色は貴方にしか合わない」
凛と響くリリーナの声に息をするのを忘れた。
「―――――――――――」

「兎に角、契約を解いてしまいましょう」
「なっ…!?」「え、ちょっと、は?」
「誰かに邪魔をされる前に」
「―――っ」
ヒイロは眉を大きく寄せ、デュオの声は思わず裏返った。
 次から次に進められる事態に、完全に飲まれた事だけは確かだ。
しかしリリーナは構わず、その白い両腕をそっとヒイロの頬を包むように当てる。
「少しだけ、屈んで下さい。そこでは届かない。何しろ、ハイヒールではないの」
リリーナは苦笑するようにそう言うと、精一杯、踵を上げる。

そしてまるで羽が触れるかのように優しく、額に唇で触れられた。
俺は声を出すことも、瞳を閉じることも、動くことさえも忘れた。
長いような、永遠のような、その一瞬の後――身体の中を何かが走り抜けた。
そして――空色の瞳と会う。
リリーナは本当に嬉しそうに微笑んでいて。
「やっぱり。良く似合っています。とても、―――綺麗だわ」
「―――――――――――――」
彼女から目が離せなくなった俺は、今。
どんなカオを――…しているのだろう。

その時、廊下の時計が鐘を鳴らした。
「そろそろ行かないと」
行こうとするリリーナの腕を気づいた時は、掴んでいた。
しかも、後から思えば、彼女からすれば相当強い力で。
「待て。聞くことがある」
 大体、こんな時刻にどこに行くつもりだというのだ。
時刻は二十一時。舞踏会もまだ開かれている時刻。
だが、リリーナの姿はどう見ても、旅支度。
「少しだけ用事が出来てしまって」
「どうやって手に入れた。王が持っていたはずだ。それも簡単に渡さないことだってわかっている」
俺の強い口調にもリリーナは笑っていた。
「お願いしただけです。それをくださいと」
ヒイロの眉が苛立つように歪んだ。
「いい加減にしろ!お前の命に関わってくる事くらいわかるだろう!」
 響いた声にデュオが内心驚いた。
デュオですらあまり聞いた事がない、ヒイロの怒鳴り声。
しかしリリーナは動じず、ただ微笑む。
そして、挑発的にあるいは、楽しそうに――
「細かい事は国家間の機密です」
言った。
だからヒイロは止まらない怒りから声を出そうとして――止められた。
細い身体が飛び込んできた!
「――っ!」
羽のような腕が、首に絡められ。
「ヒイロ…縛られる辛さはわたくしも知っています。貴方ほどではないけれど――貴方はもう、自由だわ」
「…っ!」
「これ以上こちらに来ては駄目」
耳に響く、透き通るような声に、プルシャンブルーの瞳を歪めた。
そこにノック音の後、戸が少しだけ開けられると、初老の声が響いた。パーガンだ。
「お嬢様、こちらはもう―――」
パーガンは戸の向こうで、廊下の様子をしきりに気にしている。
しかしリリーナは落ち着いている。
「わかりました。では予定通り、あそこで落ち合いましょう」
「了承いたしました」
そしてパーガンは再び戸を閉めた。
だからリリーナは事態を掴もうと動いているのだろうと、聞かないでもわかる二人に笑顔で応じる。
「そんな事情で、申し訳ありませんが、失礼します」
リリーナは優雅に両手でスカートの裾を少しだけ持ち上げ、膝を折った。
その後廊下から外に続く窓に手をかけ、躊躇わずに開けたことに、ヒイロとデュオは聞くまでもなく事態を悟る。
「おい!」「お嬢さん、流石にそこは」
何しろその先は庭だ。しかも裏。暗闇の広がる裏庭。
例え城内とは言え、あまり女性が、しかも王族が一人で行くような所ではない。絶対に。
が――
「平気です。コルセットはつけていません」
「は?」「へ?」
あまりに予想もしていなかった返答に二人の声は重なるが、リリーナは持っていた小さなカバンを先に窓の向こうに落とす。というか、投げる。
ドサリと芝生の上に落ちた音が響く。
「走れるように、靴もほら」
スカートの両端を持ち上げブーツを見せる。
だが、二人が言いたい事はそんなことではないが、リリーナは窓の淵に手をかける。
窓の高さは胸よりは上。
「舞踏会のときもはずそうか迷いました。だってコルセットはあまり好きではないの。しかも、貴方が相手だったから。あんな物をしたら、ただでさえ苦しいのに、尚更苦しくなってしまうでしょう?」
「?」「え?」
笑ってそんなことを言うリリーナに、二人は何と判断すればいいのか戸惑った。
「確かに、はしたないですが、仕方ありません」
その意見にはデュオはもう言葉が出ない。
だが、そんな彼らの前を、えい!っと、リリーナはスカートで飛び越えていく。バサリとスカートの裾をひるがえし――。
深窓の…って言葉は一体どこに――。普通、お姫様はもっとこう。
それでも、彼女の動きはやはり、品がある。
違うのだ。やはり。
だから何と言っていいのやらっと、デュオはいろいろ悶々とするが、窓の向こうではバサリとリリーナは夜露に濡れる庭の草の上に降りた。
そして――
「ヒイロ」
「貴方のおかげで、わたくしは大切なことを思い出しました」
狼狽するプルシャンブルーの瞳をもう一度だけ眺め――
「ありがとう―――感謝します。心から」
「――――――」
そしてリリーナはひざを軽く折り曲げただけなのに、とても優雅でいて、丁寧に感謝の意を表した後、闇の中に走って行った。
直後、無意識のうちに窓のふちに手をかけていた自らの行動に、ヒイロは一瞬、思考が止まった。

今――俺は…何をしようとした?

そこに入れ替わるように、本来待っていた人物がようやく現れる。
乱暴に戸が開かれ、舞踏会会場から戻ってきた。
「相変わらず陰気な奴らだ」
嘲る様に笑った。
王子だ。
だが、王子の登場にもヒイロは窓の向こうに視線を向けたまま、背を向け動く気配すらない。
「何だ?不貞腐れたか?お前でも可愛い所があるんだな」
王子は笑うがヒイロは反応すら返さない。
仕方ないのでデュオは息を吐き、代わりに対応をする。
「随分と興奮気味だな」
王子はここに現れたときから、異常に興奮していた。
「興奮?興奮なんてレベルじゃない。血が沸き立つ。お前たちも何故、来なかった?」
来ない?よく言う。自分で罠を張っておいて。
あそこに行けば、王からは当然謀反として、さらに劣悪な環境が待っていることなど考えるまでもない。
「いろいろこちらもあってね」
デュオは肩を軽くすくめる。
しかし、その一方、注意を注ぐ。
無論、ヒイロにだ!先ほどから奴が行っていることにだ!
魔法を使っている。
だが、そんな事とは知らない王子は、心底楽しそうだ。
「そうか、知っていたのか。アレを奪った所で、契約を解けないことを。つまらんな」
そうだ。石を奪った所で契約を解くのはまた別の話だ。
王を殺せば良いと言うわけでもない。
だからこちらは、教会を通して、カトルと連絡まで取った。
法石に長けているカトルに。
しかし、それでも解除出来るかは、わからないと言われてはいた。
だが―――ヒイロはもう。

王子はヒイロに視線を向けるが、一切興味を示してこないヒイロにまた笑った。
「そう言う事か。もう、あれも知っているのか。だが、あれは見るべきだったな」
間違いなく、お嬢さんが法石を王から奪ってきた、否、いただいてきたという件のことだ。
「お手間でなければ経緯を教えていただければ幸いですが」
デュオはわざとらしく丁寧に言う。
魔法使いは王族に経緯を払うことがあまりない。
非道な契約で縛る王族に従うことなどあるはずがない。どこの王族だろうがそれは変わらない。
デュオはそれが教会と言うだけで、少しは違うが、教会は教会でまた厄介なこともあるのは確かだ。まぁそれは今は良い。
だからそんな無礼な態度の二人にも、王子は大して気にした様子はない。何よりも今晩は機嫌が良いなんてものではない。
悪い日は、城内に何人の悲鳴が響くかわからない。
王子は上機嫌で言う。
「噂の姫君。彼女は何だ?驚いたよ。今晩ここにいる連中は、彼女の話題で持ちきりだろうよ。現にホールはその話題しかしていなかった。何しろ、あの親父にあれだけ堂々と言いのけるとはね」
背を向け意識は別の所に向いてはいるが、王子の言葉をヒイロも間違いなく聴いている。
だが、奴はそれ以上に興味があることがあるらしい。
ヒイロの行動に、息が詰まるなんてものではない――
だからデュオは表情を崩さないよう笑うことにした。
「ホールでは具体的に何が?」
「彼女は一人で来た。エスコートもつけず、堂々と。噂ではデピュタントだって言うのに、少しも臆してなどいなかった。それどころか一直線に来た。あの親父のところに」
確かにそれはすごい。あの独特な空気の中、一人で行くとは。
しかも、あれだけ噂になっている本人だ。
「で、言ったよ。お前が喉から手が出るほど欲しているあの石を指して」
王子は右手を前に差し出し、声を出した。



「失礼」
王に対するリリーナの声に、音楽が止まった。
人々の視線が一気に集まるがリリーナは揺らぎもしない。
「それは、我が国。サンクキングダムの石。今では取引が禁止されている法石です」
王は声を荒げ、豪快に笑った。
「これはこれは、サンクキングダムの王女。挨拶も無く出会ったばかりで、随分な言いがかりを」
王につられるように、周辺にいた者たちも笑い声を上げたが、リリーナの瞳は鋭い。
「しかも、その法石はわたくしの父の物。二十六年前から国際機関に正式に盗難届けが出ております。国際法廷でも取引自体を禁止するよう手続きは済んでおります」
リリーナの言い様に、周辺からはさらに大きな笑い声が上がったが、王の瞳は笑ってはいなかった。
「王女、また今度は随分な話を持ち出してきたものだ。何だ、我が国に取り入るためにまた、随分と大胆な注目の方法を選んだものだ」
「発見次第、持ち主の父に返還されるよう、国際裁判所の書面もあります。つまり父が亡くなった今は、第一相続人であるわたくしに」
「そこまでこれが欲しいのかね?確かに貴方の国は財政難で宝石など手にも入らないか」
あくまでただの宝飾品だと、再びあざける様に大勢が笑うが、リリーナは譲る気配もない。
「その法石は不当に持ち出された物。当時、とても有名になりました。その手の――世界では」
含んだその言葉に、王の瞳が一瞬で大きく見開かれた。
「貴方がそれを知らないはずがありません。法に反すると知った上で手に入れたのです。貴方は」
「無礼な!正式に国に抗議を申し立ててもいいのだぞ!」
王の怒号に、一瞬でホールが静まり返ったことに対し、リリーナは鋭い表情のまま。
「国際法廷から書状を取り寄せてもいいのですよ?」
「貴様―― !」
倍以上ある体形の王にリリーナは右手をすっと前に差し出し、凛と響く声で、――
「返しなさい」
ホールは静まり返っていた。




あと少しと言うところで見つかった。
叔父側につく兵士に囲まれてしまった。
すぐに怒りを隠しもせず、叔父がやってきた。
「お前と言う奴は!何をしたかわかっているのか!」
「当然です。わたくしはサンクキングダムの主なのだから、当然のことを――」
「黙れ!王の怒りを買うとは!婚姻どころの話ではないではないか!今すぐに、王に謝罪をして来るんだ!土下座でも何でも許しをもらうまで帰れると思うな」
叔父はさげすんだ者でも見るような視線を向けてくる。
しかし、わたくしはもう、一切気にならなくなったから。
「お断りします。わたくしは、逃げていました」
「お前は黙っていろ」
「わたくしは戻ります。わたくしが出なければならないのは、戴冠式で、舞踏会ではありません」
「帰れんと言っただろう!」
怒号が響くが、それよりも今は、自分に言い聞かせるように言う。
「サンクキングダムはわたくしの国です」
彼らのように運命から逃げては行けないと、決めた。抗えと。

だがおかげで、叔父の怒りは説明するまでもない。
見たことも無いほどの、形相を浮かべている。
「どうしても帰るというのか」
「はい」
「国に帰ればどうなるか、わかっているだろうな?」
叔父は声を落とし、それはほとんど脅しているようなもの。
だが、もう、わたくしは決めたから。
「叔父様こそお気をつけください。今までのようには行きません」
「国に辿りつけると思うな」
「法に反することをすれば、叔父様でも罰せられます。今度は」
「すぐに後悔する事になる」
視線がしばし絡んだ。

国にたどり着けない。
叔父が実行する人であることを、わたくしは知っている。
帰ると決めてから、パーガンが最後まで言ってきたこともこれだ。
国に帰れば――殺されると。
でも、国を捨てるよりはずっといい。

あのプルシャンブルーの法石は、父がずっと気にしていたモノだ。
当時のわたくしには、父が言っていたことの意味が全くわかっていなかったけれど。

先ほど、二人にした話には続きがある。
時間が無くて言えなかったが。

父は昔、大変なことをしてしまったのだと悔いていた。
魔法使いにとって、大切なモノを盗まれてしまったのだと。
もしあれに選ばれる様な者が現れたら――どれほどの苦痛を与えてしまうことになるか等、想像もつかないと…。
その話し方が、あまりに悲しんでいたから…それから魔法使いの話が出来なくなった程だ。
わたくしは好きだったが、父は魔法使いが好きではないのだと思っていたのだ。
でも、今思えば、好きではないのではなく、彼らのことを知っていたから―――非道な方法で契約された魔法使いの意味を。

そんな父がその法石について残したもうひとつの言葉がある。
それは国際機関の正式な書類にも残してはいない上、他の誰にも言っていないことだと。
父は、あの法石を盗んだ者を、知っていたのだという。
だが、問題はその事ではないと。
既にそれは無いのだから。法石は隠され、簡単に表には出てはこない事は確定した事実だ。
だから言わないのだと。今言ったところで、意味がないと。混乱を招くだけだからと。
そして、証拠はどこにもない。
だが、動機はわかる。
その人物は、あの法石を使って何年か先。もしかしたら数十年後かもしれない。
だが、その絶好の機会、その時期に王座を必ず奪いに来ると。
あの法石はそれ程の価値があるからと。
今思えば、理解は出来る。
強大な魔法使いを一人作れるということは、軍事国家にとっては勢力すら変えてしまう。
父の読みではそれは既に他の国の王に、取引の材料として渡っていると。
だが、持ち出した犯人も馬鹿ではない。
契約を解除する言葉を相手には知らせていないだろうと、断言していた。
解除の言葉。魔法使いは契約が解かれれば、自由になる。
国はその魔法使いを失うことに繋がる。
つまり、それを盗み出した者の望みを叶える時に、渡した取引相手に解除の言葉を教えるつもりではないかと。
契約は出来ても、解除はできない――
酷い話だ。

その石に選ばれた魔法使いは、どうしたら――良いのか。

父はわたくしに解除の方法を教えてくれた。
とても厄介で難解な音。覚えるのにどれほど苦労したかわからない。
だから忘れなかった。
一度しか話してくれることが無かった話だ。
父は亡くなるまで、その犯人だという者の名を言うことは無かったが、残した言葉はある。
チャンスはきっと、一度しかない。
いつ、何時、その機会が訪れるかはわからない。
だが、見逃してはいけない。
盗まれた法石は、その時、選んだ者によって形状も色も変える。
だが、わたくしならば―――わかると。
何の疑いも無く言った声が忘れられない。
泣きそうになった。
だから――もう、止まってなどいられなかった。

「叔父様は貴族などではなく、この国の王族とわたくしを婚姻させるつもりだったのですね」
「そうなって何が問題だ?この国は魔法使いが大勢いる。この時代に我が国は一切、国が持つ魔法使いが一人もいないのだ。婚姻を結べば国家間の繋がりの強化になる。国にとって何の不利益も無い」
最もらしいことを言い、その実、裏では!
「いいえ。叔父様は、自分の益のためだけに国を売る者だわ―!」
止める事が出来なかったわたくしの言葉に、直後、叔父の手が振り落とされたのが、わかった。



「最高だろ?親父が突然、サンクキングダムの王女を嫁にするとか言い出して、どんな女かと思ってたが、とんでもない!」
王子は大きく興奮するように笑った。
「気に入ったよ。あの誰もが震え上がって、何も言えない親父に」
「―――確かにそれは見ものだったな」
デュオは何とか言葉をつむいだ。
事態がいかに面倒なことになっているかは、王子の話でわかった。
あの王が、渡す事にならざる程の状況だったということだ。
大勢の客の前で面子を潰さ無い為には、そうするしかない。
だが―――王はあの法石を諦めない。
何しろ、史上最高の魔法が詰まっている。厄介なほどに。
だから王は間違いなく、―――彼女を探している。
囚われない訳が無い。
結果。彼女の身にこの先何が起こるか等、想像したくも無い。
彼女もそれがわかっていた。
だから笑っていたのだとようやく知る。
言えば、また関わらせる事になる。国、機関。厄介事に。
王族なのに――変わっている。

その時――デュオは胸がズキンと響いた。
空気が変わった。
無論、ソファに腰を下ろしワインを飲む王子ではなく、ヒイロだ。
流石に、黙っていられなくなった。
触れられるのを嫌うことを知った上で、肩に手を置く。
「やめろ」
ささやく様に声を落として言うが、ヒイロは視線を向けもしない。
「残していった言葉の意味、わかるだろ?」
 
だがヒイロは遠くの言葉に耳を傾けたまま、デュオの言葉には答える素振りすらない。
デュオもヒイロの傾けている先の声は聞いている。
だから、止めている。聞かれたくはない王子の前だろうが、必死に。
「やめろ。所詮同じ、王族だ。お前を利用するに決まっている」
「――――――――――」
「行けば、戻れなくなる」
肩に置いた手の力がさらに強くなった直後、―――消えた。
「!」
デュオは瞳を隠されずに見開いた。
そして、次に出たのは大きなため息。呆れるように。
「まじかよ―――」
 吐き出すように言った。

王子もワイングラスを持ったまま隣に来た。
寸前までヒイロが立っていた場所だ。強く魔法が残っている。
どれほど焦っていたんだと、突っ込んでやりたいほどに。
「なんだ?あいつ親父にでも呼ばれたか」
「さぁね」
デュオは肩をすぼめる。
「親父め。相当焦っていたからな。あいつも哀れだな。石を取り戻した所で、解約できなければ、親父の狗に変わりが無いと言うのに」
王子はグラスに入っていたワインを飲み干した。
「おいデュオ」
「何だよ?」
「親父よりも前にあの女をここに連れて来い。金ならはずんでやる」
「女って、サンクキングダムの姫さんの事?」
「決まっている。嫁になる女だ」
デュオはうんざりする様に息を吐いた。
「忠告しとく。止めた方がいい」
「親父のヒイロに勝てないからか?」
「違うけど、邪魔したくない。それと親父さんのじゃないけど」
「確かにそうだな。親父のモノじゃない。あの女を手に入れればオレのモノだ」
それも違う。とは思ったが、デュオも今度は口には出さなかった。
そこに丁度良く、入ってきた。
壊れるかと思うほどの勢いで扉が開かれ―――激怒した王だ。
「確かにすごい。あれほどの怒りは久しく見てない」
デュオは正直に感想を述べた。
「だろう?」
王子は心底、この状況を楽しんでいるらしい。

「ヒイロはどこに行った!?何度呼ばせるつもりだ!」
何度呼んでも、もうヒイロが来ない事をデュオは知っている。
あいつはもう、自由だ。

だから―――相手にしたくなかった。

感情のままに動く奴を相手にするなど、―――願い下げだ。
いくら金を積まれようと、…本気で。断る。
こちらもただでは済まない。
世辞抜きに、あいつは強いから。

「あの女!絞め殺してくれるわ!ヒイロ・ユイ!聞こえているのだろう!法石が無いからと、いい気になるな!」
王は声を荒げるが、やはり反応は無い。
「兵士たちにお前を探すよう命令を出した。動きは止めているんだ。覚悟しておけ!」
契約者に魔法使いは逆らえない。動き全てを封じられれば、指すらも動かすことが不可能になる。
その後、いつも拷問が待っている。
だが、ああ。奴は二度と帰っては来ない。
教会としては、判断に困る結果になった。
デュオは瞳を裏庭へと向ける。
魔法を使う気もしない。あいつが行った先など、見るまでもない。

ある意味では、この国以上に厄介な所に行ってしまった。
頬を叩かれる事すら、見ていられなかったあいつ。
兵士に掴まれた瞬間ですら、隠しもせず苛立っていた。
だから躊躇など――最後は見せもしなかった。

「恋なんて――どうした?ヒイロ」


見つけられた―――失態は、ここから。
現れた瞬間、目が離せなくなった。
気がついたときには、瞳があっていた。
だから、見つかった。
壁に伸ばされた手で触れられた瞬間――あまりの柔らかい空気に声が出なかった。
簡単に折れてしまいそうな白い指に、気がついた後は、手を絡めていた。
―――欲しかった。ただ、無心に。


「―――驚きました」
ようやく声は出たが、苦笑してしまった。
「良かったのに…気にしなくても」
「借りがある」
感情が無い声のわりに、城を後にするときに絡めた手の指はそのままで。
震えが止まっていないのを、知られているからだと思う。
怖さと言うよりは、怒りの震え―――。
わたくしは、相当怒っていたらしい。
現れた彼が本当に驚いていたから。

暗い森の中、パーガンが一定の速度で走らせる馬車で揺られる。
舞踏会に出てもいないのに、既にヘトヘトで。
でも――心は幸せで満たされているから、まるで気にならない。
だから指だけではなく、自分から彼の手を握り締めると、返された。
包まれる暖かさに、いつのまにか震えは止まっていた。









*     *     *


何度目かわからないノック音が響く。
直後、凛と響く声。
「待ってください。あと少しだけ!」
リリーナのこの台詞も何度目かわからない。
そしてまたすぐにノック音が響くが、それと同時に気がついた。
だから――悟る。
「駄目よ。魔法は!」
即座に声を部屋全体に響かせ、立ち上がった。
広く、入り組んだ衣装部屋を走り抜ける。だが分かる。
「駄目!だから、魔法はだ―――っ!」
ドレスの棚の角を曲がった瞬間、いた。
「!」
だからそのままの勢いで、ぶつかってしまったが、ヒイロはよろめきもせず、抱きとめられた。
その動作があまりに優しくて、頬が熱くなってしまう。

「魔法なんて、ずるいわ」
「ならば、結界でも張っておけ。お前が張れば入れない」
当たり前のようにそんな事を言ってくる。だから―――
「―――――…そう言うのを…ずるいと言うのよ」
そして腰を引き寄せ、キスをされた。
途中、口紅がついてしまうからと言ったが、さらに深く――重ねられた。
少しだけ声が漏れた。

胸の上には、深く蒼い石のペンダントが揺れている。


「――時間だ」
息も整わない中、言われる。
「―――まだ用意が…終わっておりません」
ヒイロの冷たい視線がヒシヒシと注がれる。
そして腰と背に回された手が、確認するように動かされた。
「!」
思わずその動きに逃げようとしたが、駄目だった。
「コルセットではありません」
「では何だ…?」
「………………………」
「………………………」
ヒイロと視線が絡む。
「どうした?以前は楽しみにしていただろう?あれだけ仕組まれたデビュタントだったとしても」
「―――今はそうではなくなったと言うだけの事です」
「何故?」
リリーナはとても嫌そうに眉を寄せた――そして。

「だって、デピュタントの相手は…決めていたのに」
「カトルは問題ない相手だと思うが?」
ヒイロは問題なくそんな事を言う。
無論、わたくしだって、そんなことはわかっている。
ヒイロはやはり魔法使いで、表に出ると、なかなか難しい立場だということも。それでも、騎士として付いてきてくれた。
それだって、彼からすればわたくし以上に問題が多い。
そうだ。
その結論が出た途端、自分の行動が少しだけ恥ずかしくなってきた。
だから切り替える。
「行きます」
 決めれば早いのだ。
だがすると、とても丁寧に彼の右手が差し出されたので、わたくしは迷いもせず自らの手を重ねた。
意味がわからない。

「ヒイロ?」
「――はじめの一曲だけだ」

リリーナはとても嬉しそうに微笑んでいた。






END

2012/2/17



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