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#03軍医


「王宮騎士を辞めたんですって?」


 斜め後ろから知った声がかけられたが、暗褐色の髪の少年は手元のグラスから視線をそらすことは無い。その声の主をわざわざ確認する必要など無い。髪を二つに結わえた、彼よりも少し年上の、元『OZ』の軍医だ。

「ノインが、困ってたわよ?ヒイロ、この席いいかしら?」
 言葉の端に笑いを含んで、彼の返答を待たずに向かいの席にそのまま着いた。
 それは、『OZ』国を出てから一つ目の街でのこと。

 適当に入った酒場でヒイロが酒を飲んでいたところに、彼女が話しかけてきた。 深夜にもかかわらず店内は騒がしく活気に満ちている。
 そして、席に着くと店員に何かしら飲み物を頼んだ。
 そこで初めてヒイロは顔を少し上げ、彼女を見る。
 サリィ・ポォ――彼よりも1年以上前に『OZ』を出て行った。
 サリィとは『OZ』に居た時に知り合った。
 今は、世界中を回りながら各地で傷ついた人々を診ているという。


「珍しいわね、貴方が酒場で飲んでいるなんて。『OZ』に居た時からお酒を飲んでいる姿とかって、見たことなかったし。それとも、シルビアさんとは飲んでいたの?」
「……なんの用だ」
「…ふぅ、相変わらずね。カトルから連絡があったのよ。数日くらいしたら、貴方が街に来ると思うからって。それで、貴方の連れの怪我の具合を診て欲しいって。」
 リリーナの調査隊の数が半端ではなく、結局怪我の回復を完全に待つ前に『OZ』国を半ば強引に出発せざるを得なかった為に、彼女の羽は折れたままだし、打撲、擦り傷等は数えたらキリがないほどに、彼女の身体はまだ休息を必要としていた。

 つまり、カトルが先に手をまわして置いてくれたということだ。
 しかし、いつもの彼ならば余計な気遣いだと、間違いなくどんな申し出をも一方的に断っている。
 だから、サリィはこの後のヒイロの返答に密かに驚く。
「急ぎとかなら、今からでも時間はあるけど、もう深夜だし…明日の方が良いかしら?」
 カトルにどうしても、っと頼まれたとはいえ、今日までどうやってあのヒイロを納得させようか悩みぬいていたというのに。


 その彼が―――治療とはいえ、一方的な申し入れを、
「今からで、いい」
 ――受け入れた…

 あまりにあっさりと受け入れられて正直拍子抜けして、何も言うことが出来ず、黙ってしまう。

 そんな所に、肌を惜しげもなく露出した服を身に着けた若い娼婦が、二人に話しかけてきた。
「何!?サリィ、デートなの?」
「あら、久しぶり!まぁね」
 サリィがウインクしながら、答える。
 周りにいた、他の娼婦達もサリィに気がついて次々とやってくる。
 サリィが診る患者には多くの娼婦も含まれていた。高級娼婦ではない限り、彼らの殆どは、医者に行く金さえも無い者が殆どだ。
 サリィは、そんな彼らのことも殆ど無償と言っても過言ではない金額で診ている。


「今日は、ずいぶんと素敵な人とデートなのね!紹介してよ!」
「私、『レッド・ルージュ』のミリィです。今晩どうですか?」
 後から後から絶え間なくヒイロに、店の名前を告げてくる者、値段交渉に入る者、宿泊先を聞いて来る者が、やってくる。

 その様子を見ていたサリィが笑いながら彼女たちに言う。
「ごめんね、これから一緒に、彼の友達を診る約束……。」
「オレは行かない。」
 ヒイロはサリィの話を遮る。
「え!?」
「宿を教える。」
「え…あ、それでも、別に良いけど、でも…」 
「じゃ、いいじゃない!娼館に来てくれればいいし!」
「うちに、来てよ!傭兵さんくらい格好良かったらサービスも一杯するから!」
 サリィの言葉を次々と娼婦たちが遮る。
「もぅ!いい加減に、すこし静かにしなさい!!私の話が終わってからいくらでも話しなさい!いい!?」
 サリィが彼女たちのその態度にとうとう声を大にして言うと、やっと彼女たちは静かになる。
 彼女たちは、口々にいろいろな不平を言いながらも、愛嬌のある笑みを浮かべながら、店内に静かに散っていった。

 サリィがその様子にやっと一息つくと、それまで黙っていたヒイロが静かに呟く。
「娼館か…そうだな、それも悪くない」

「娼館!?」
 サリィは突然のヒイロのその言葉に、思いのほか大きな声で聞き返し、目を丸くする。
 酒に酔っているのだろうか?
 だが、彼に限ってそんなことはありえないような気がした。


「…何かあったの?」
「別に何も無い」
 そっけなく、ヒイロが答える。
「そう…?」
 しかし、サリィの目から見れば、何が異常かと聞かれれば全てだと答える程、今、目の前にいるヒイロは自分の知っていた頃の彼とは違う気がした。


 だから、何となく聞くのをずっとためらっていた事を、とうとう聞いてみる。
「…姫とは…シルビアさんとは、ちゃんと…別れは済ませてきたの?」
 王宮騎士を辞めたということを知った時点で、他のなによりも最初にこの事が頭に浮かんだくらいだ…。
 
 サリィはヒイロよりも以前から『OZ』国にいた。
 だからこそ尚更、2人の仲は世間よりは、良く分かっているつもりだった。
 何しろ王宮に居たのだ。2人のことを目にする機会も一般の人たちよりかは、格段に多かった。
 夜、男である彼が一人で姫の寝室の護衛に就いた事だって一度や二度ではない。
 2人の間に沈黙が訪れる。

 そこに、酒場の店員がサリィに2杯目のグラスを置いていく。
 そのグラスをしばらくじっと見つめ、サリィは話題を変えた。
 こうやって一度、黙ったヒイロが自分から何か話して来る事は絶対に無い。
 それなりにヒイロの事を分かっているサリィの機転は早い。
「…ヒイロの好みは…今は、ちょっといないわね…」
 酒場を見回して、サリィが言う。
「…好み?」
 ヒイロがサリィの一言に対して訝しげに聞き返した。
「ヒイロって、長い髪の子好きよね。それも、金髪よりかは少しベージュに近いような色の髪の子とか、よく見ていたと思ったんだけど、違う?」
「オレが…?」 
 ヒイロが、聞き返す。
「だって!ほら、………」
「何だ?」
「ごめん。間違えたわ。それ、別の子だわ。近頃沢山、人と会ってたから。」
 ヒイロは、その答えに釈然としない面持ちで、サリィを見つめるが、サリィはあえてその事には気づかないような振りで、手元のグラスの酒を少し飲む。
サリィは頭に浮かんだことを、途中で言うのをやめた。
 『OZ』国の姫、シルビアの髪も長くてベージュに近い――

 そして、何事もなかったようにサリィは話を続ける。
「じゃあ、あの、羽ビトの子なんてどう?すごく、いい子よ」
 酒場にいる娼婦の中には羽ビトも一人いた。その羽は、やはり小さい。それは、人との混血を意味している。
 羽ビトは居ないといって良いほどに、その数は減ってしまったが、娼館を含むある一定のところに行けばそれなりにその姿を見ることは出来る。
 国を失った彼らが生きるために取った道の一つが、その身を売ることだっただけの話だ。彼らの姿は、やはりそういう意味では、需要が後を絶たない。

「羽ビトは抱かない」
 ヒイロがグラスから視線をそらすことなく、キッパリと告げた。
 
「そうなの?…じゃ、好みとか要望って、何かあれば言ってみて。私、結構この辺では顔が利くし。この酒場からだと、高級娼館が多いけど、貴方なら問題ないわよね。」
「別にどこだって、構わない」

 半分どうでも良かった。本当にそれほど投げやりな態度だ。
 このままここで朝まで飲み続けていても一向に構わない。
 ただ、今夜、彼女と会わなくて済むのならばどこでも良かった。

 深夜だというのに店内には、酒に酔った男女たちが次々に音楽にあわせて踊りだしている。

「…それじゃ、娼館とかはまぁ、貴方なら心配なさそうだから、何も言わないけど。ヒイロ。話は変わるけど、医者の立場から言わせてもらうと、貴方少し飲みすぎじゃない?」
 ヒイロは既にサリィが来る前からダブルで、7、8杯は飲んでいる。そして今も尚、飲み続けている。サリィはヒイロが酒を口にしている姿も今日初めて目にしたわけだが、城にいたときから飲めないとは思ってはいなかったが、まさかこんなにペースが速いとは正直、思ってはいなかった。
 そして、彼が口にしている酒は、決して弱い種類ではない。

 それだというのに、ヒイロの顔色は普段と全く変わっていない。

「本当に、大丈夫?」
「…………何が?」
「もう、いいわよ。それじゃ、そろそろ行くわ。宿は何処なの?」
「『白銀の鐘亭』の706号だ」
「すっごい高級宿じゃない!それで、何?行けば居るの?それにしても珍しいわね。貴方に連れが居るなんて。城に居た時だって、誰かと組むことなんて殆ど無かったじゃない?私の知っている人かしら?」
「……知っている奴じゃない」
「そうなの…?本当に、意外ね。それじゃ、兎に角行って来るけど、貴方もお酒。いい加減にしなさい」

 そう言ってサリィは、酒場から出て行った。


 ――傷つけた―――間違いなく……
  自分が言った言葉で、彼女の静かにゆがんだ瞳が頭にちらついて仕方がない。

  どんなことに関しても、とてつもなく頑固で、融通が利かないあいつだから、何を言っても全く譲ることがない。
 呆れてものが言えない……。


 ――嘘だ
 そんなことはどうでも良かった。
 あいつがそういう性格だなんてことこそ、初めから嫌というほど解かっていたのだから。
 そうじゃない。
 あの時の俺は、…――あいつの腕しか見ていなかった。


 この街に入ったとたん、『OZ』の兵達に囲まれて、下がれと言った俺の言葉に従わず、あいつは避けることもせずにただ、ナイフで切りつけられた。
 
 腕から流れる血を見て言葉が止まらなくなった。

 自分から望んで身を護ることもせず、平気で無茶をするあいつにただ、怒りをぶつけた。

 誰もが欲して止まない力を持っているあいつなのに、生きるという意味ではとても不器用だ。
 あいつを見ているとカトルたちが、いつも自分に向かって言ってくる意味が良く理解できる。

 自分よりも命を粗末に扱う者を始めて見た。

 昔からあいつは無謀で、全てが無茶苦茶だった。
 あいつも、今、目の前にいる羽ビトの様に生きるためにもっと器用になれればいいだろうに、っと密かに思う。


 そう思っていたら、気がつかぬうちにじっと見つめていたらしい。目が合って、こちらに向かってくる。
 手を握って、微笑みながら話しかけてくる。

 彼女の言葉に曖昧に頷き、適当に答える。
 サリィのときもそうだったが、何を言われても一つのことに集中することが出来ない…。

 そうしていると、そこに突然、酒場の店主がやって来た。
 周りの気配にも意識が散漫になっていて、店主が近づいて来た事すら、曖昧にしか気がつかなかった。自分のあまりの醜態に自嘲の笑みを浮かべる。
「あんたに、電話だ。入り口にあるが、さっさと切ってくれよ。」
 店主は、迷惑そうにそう答えると、さっさとカウンターに戻っていった。


 電話に出るとサリィだった。
 そして、サリィの言葉に一気に酔いが醒める。

「いない?」
『そうよ。部屋に誰も居ないわよ?』
「刀はあるか?」
『何?刀?…無いような気がするんだけど…』
「今すぐ行く。そこに居ろ」
「え!?ちょっと、ヒイ…――」
 相手の返事を待たずに電話を切り、そのまま走り出す。
 後ろから酒場の店主が大声で何か叫んでいるが構わず、走る。

 宿までの間の記憶がない。
 ただ、ひたすら全力で走り続けた。
 あいつはどんな時でも刀を持って移動する。武器としてではなく、大事なモノとして。
 部屋に刀があれば、さらわれた可能性が高い。オレでさえ何故あいつがあんなただの刀を大事そうに持ち続けているのか、知らないのだ。一介の賞金首がそんなものまで持って連れ去るとは考えにくい。
 つまり、刀が部屋に無いということは、自分から外に出たということだ。


 怒りしか湧いてこない。
 ただでさえ傷だらけだというのに。あいつは自ら傷を増やし続けている。
 初めから、解かっていた筈だ。
 『OZ』はそんなに甘くない。逃げ出したリリーナを放っておくはずがないのだ。桁違いな賞金を賭け、追っ手を出し、世界の果てまでだって追いかけてくるだろう。あいつを取り戻すために、人が何人死のうが奴らにとってそれは、大した問題ではない。『OZ』はどんな手を使ってでも他国にあいつが渡る訳にはいかないのだから。

 あいつだって、そんなことは解かっていた筈だ…。
 それなのに、傷だらけになって。
 誰かに襲われるたびにこんな調子では命がいくつあっても足りない。


 扉からノック音がしたのでヒイロかと思って行ってみると、質素な下着姿の少女だった。
「…この部屋で、間違いない?」
「え…?あの…はい。間違いありません。」
 少女はどこか、驚いているようにそう答える。
「ごめんなさいね。これから、貴方を呼んだその人とちょっと、用事が出来ちゃったのよ。だから、今夜はちょっと、ごめんなさい」
 ヒイロの連れが呼んだのだろうか?
 全く娼婦を呼んでおいて、ヒイロの連れはどこに行ったのか、サリィは呆れるようにそう思った。
「用事?彼に?そうなのですか?失礼ですが、貴方はどなたですか?」
 少女は不審そうにサリィから瞳をそらさずに言う。
 その様子に、サリィは苦笑をもらした。
「貴方の仕事を取ったわけじゃないから安心して、医者よ。」
「医者?彼が呼んだのですか?」
「そう、だから、これから診察なの。あなたの店はどこかしら?良かったら今夜の事情も私から話しておいてあげるけど。」
 娼婦が客の部屋に行って仕事をせずに戻ると、やはり娼館によっては、相当酷い扱いをされるところもある。
 サリィはそのことを危惧して言っているのである。
「店?」
「そう、私、この辺りじゃそれなりに顔が利くから。それか、今から一人来るから、その子に聞いてみてあげるわよ。」
「もう一人、お医者様がくるのですか?彼は、そんなに悪いのですか!!」
「そうじゃなくて、この部屋を借りている人で、今日貴方のお客さんじゃない方のもう一人の彼もね、さっき娼婦を探していたから聞いてあげる、ってこと。」
「娼婦?彼が?もう一人?」
 少女が訝しげな表情をして聞き返してきた。どこか怒っているようにも感じられる。

 サリィは、先程から自分たちの会話がかみ合っていないような気がした。やはりこの街は、戦争のせいもあっていろいろな民族が混じって住んでいるため、言葉が通じないことも確かにまれにありはする。
 しかし、目の前の少女に関してはそんな問題ではないような気がした。

 サリィはもう一度少女に目を向ける。
 そして、よく見て気がついた。少女の自分に対する返答もおかしかったが、その姿もどこかおかしい。下着かと思われた服は丈がひざ上のワンピース型の寝着だし、羽織っている黒い上着はサイズが明らかに大きい。そしてそれ以上に違和感なのが、先程は彼女に隠れて見えなかったが、手には袋に入った長い棒のようなものを持っている。

「…娼館………そうですか…」
 呟くように少女が言う。
「え?何?」
少女はそれには答えず、くるりと方向を変えてとぼとぼと行ってしまった。
「一人で、帰れる?」
 少女の背中に向かって叫ぶが、振り返らずに行ってしまった。
 サリィは訳もわからずその場にひとり立っていると、そこにヒイロが来た。
「ヒイロ!よかった、ちょうどさ、…」
 しかし、ヒイロはサリィに目もくれずに部屋に入っていき、辺りを見回す。
「誰も来なかったか?」
 振り返りもせずにヒイロが聞いてくる。
「え、だから、さっき宿のボーイが来て、それから、ちょうど今、娼婦が来たわよ。」
「娼婦?」
 ヒイロはそれを聞くと部屋の窓に向かって走って行き、辺りを見回している。
「少し、変わった子だったわよ。ヒイロの連れの子が呼んだんじゃないの?」
 サリィも、ヒイロの横から窓の下を覗く。
「何?ヒイロが呼んだ子なの?本当にちょっと前だから…でも、何しろ暗いからね」
 道に街灯は点いてはいるが暗くて人の判別までは難しい。
「まさか、ヒイロが娼婦の子を一緒に連れてきたとは……」
 思わなかった。
 そう続けようとしたとき、横に居たヒイロが突然ホルスターから銃を一丁、音もなく素早く抜くと下に向かって発砲した。
 下から野太い声の叫び声が聞こえる。
「ちょっと!ヒイロ、何しているの!!」
 しかし、ヒイロはそれには答えずに窓から乗り出して再び発砲する。
 そして、銃をホルスターにしまうと宿の壁についている電気のコードを引きちぎりそのままそれを手に持つと、飛んだ。
「ヒイロ!!」
 サリィは余りに突然のことに驚いて叫んだ。
 なにしろ、ここは七階だ。普通の人間が飛び降りて無事な高さではない。

 サリィはやっと暗闇に目が慣れてくると、大柄な男たちが去っていく姿が見え、その彼らに残されるようにして立っている人も見える。先程の少女だろうか?
 サリィは自分も下に行くことにした。勿論階段でだ。


 ヒイロが地面にその足をつけると少し前まで大柄な男たちに囲まれていた少女に向かって歩いてく。
 少女もそれに気がつき振り向くと、目が合った。
「ヒイロ」
 少女は何事もなかったように、言う。
 ヒイロはその様子にため息をかみ殺し、感情を込めずに聞く。
「…死ぬつもりで出てきたのか?」
「え?…………」
「お前の行動は無謀だ。」
「………」
「犬死したいのならば勝手にすればいい。」
 声は普段と変わらないのに、群青の瞳が怒っている。

クスッ

 それまで黙ってヒイロの話を聞いていたリリーナが嬉しそうに笑い声をもらす。
「……何がおかしい?」
 ヒイロはその様子にとうとう言葉の端に不機嫌さが混じる。
「そうではなくて、嬉しいんです。」
「……うれしい?」
「ええ…とっても。」
 本当に幸せそうな笑みを浮かべてリリーナが答える。
「今日の夕方。『OZ』の兵が来たときも、わたくしはどうやって貴方を護ればいいのか、それしか考えていませんでした。」
「………オレを、…護る?」
「彼らが狙っているのはわたくしなのです。だから、貴方を巻き込むわけにはいきませんでしたから。」
「………何を言っている…?」
「それなに、貴方は反対にわたくしのことを護ってくれました。」
「……………オレは……」
 ヒイロはあまりに予想外のリリーナの言葉に驚く。
「そして、今もまた、貴方に助けられました。その上、心配までかけて…」
「そうじゃない……リリーナ…オレは…」
「貴方の足手まといになってしまう事ばかりですね。本当に。」

 サリィがそこにやってくるが、リリーナはヒイロから視線を逸らすことなく話を続ける。
「わたくしは自分から、死ぬつもりなんてありません。だから、あの時も本当にただ、…下がれと言った貴方の言葉に驚いてしまって。…何も考えられなかった。損得無しで何かをしてもらったことがわたくしには、あまりなくて…。」
 リリーナはそこで一旦言葉を止めると、瞳を閉じた。

 そして、自分にも言い聞かせるようにハッキリとヒイロに言う。
「でも、もう大丈夫。次からは必ずわたくしが貴方を護ります。絶対に。」
 やはり自分は、昔からずっと、彼女には適わないような気がした。自分が何を言っても、リリーナはそれをいとも簡単に返してくる。
 先程から自分は一体何度ため息をかみ殺しただろう?
 これが、リリーナではない他の誰かならば迷うことなく、放っておく。
 いっそのこと殺す事も視野に入れるだろう。

 本当に、他の誰かには悩むことなく簡単に出来ることが彼女にも出来れば、これだけ苦労する事も無かったはずだ…。

 リリーナに対する借りはそれほどまでに自分の中で大きい。
 だから共に居る。自分に言い聞かせるように思う。

「お前が、俺を護る?」
 リリーナが、ニッコリと笑顔で答える。
「ええ。この刀で。」
 その答えに、勝手にしろとばかりに今度こそヒイロは大きなため息をついた。

 そこに、サリィが驚きを隠しきれない様子でヒイロに向かってしどろもどろに言う。
「ねぇ。まさか…、ヒイロの連れが…その…」
「何だ?」
 うんざりしたようにヒイロが答える。
「………嘘……だって、…女の子」
 絶対に、というか、男だとしか考えていなかった。それも、ヒイロの連れがこんなに、かよわそうな女の子だとは信じろという方がどうかしている。
 仕事で護衛だとも考えにくい。彼が仕事中にその依頼人から離れ、その上酒を飲んでいることこそ、ありえない。
 自分はもぅ酔っているのだろうか…。


「何?彼女、ひょっとして強いの?貴方を護るとかって言っていたけど…」
 そう言いいながらサリィはリリーナに目を向ける。
 そしてその姿を見て呟く。
「とても強そうには、見えないわよね…」
 ヒイロはそんな彼女の呟きに淡々と答える。
「何を思い違いしているのかは知らないが、あいつが本気になったら、オレでも適わない」
「はぁ!?…何が?」
 しかし、ヒイロはその質問には答えない。

 ますます、混乱してきた。昔からヒイロの話すことはたまに解からない事が多いのだ。
 サリィはそんなヒイロを放ったまま、今度はリリーナに話しかける。
「はじめまして、サリィ・ポォよ。さっきはごめんなさいね。まさか、貴方がヒイロの連れだとは思わなくて。」
「いいえ、わたくしも貴方のことを賞金稼ぎか何かかと疑っていましたし。わたくしはリリーナ・……」
 リリーナは途中まで言い、一瞬考えてハッキリと告げる。
「リリーナ・ピースクラフトです。」
 ヒイロは何も言わない。
 サリィはその名を聞いて少し、驚いた様子で言う。
「…ピースクラフト!?…あの、ピースクラフトの関係なの?遠縁か何か?」
「ええ。まぁ。…できの悪い娘です。」
 リリーナはそれだけ答えると、静かに瞳を閉じる。

 浮き島『EARTH(アース)』にある王宮はもともと、『OZ』の物ではない。
 それどころか、あの浮き島も城下町も含めて、あそこはもともと羽ビトの国だった。数十年前に『OZ』に侵略されるまでは水と風に愛された美しい国だった。それが今では、見る影も無い。
 その侵略の際、王族の人間の全てが『OZ』によって抹殺されたのは有名な話だ。
 その、抹殺された王家の名前が「ピースクラフト」だった。


「ねぇ、リリーナ。何でヒイロと一緒にいるの?」
 やはり、仕事だろうか?ピースクラフト家の遠縁ともなればそれもありえるような気がした。大体、そうでなければ、あのヒイロが少女と旅をしている理由がない。

 ヒイロは仕事で彼女の護衛と言うのが、いちばんしっくり来る。それならば、女の子の連れと言うのも納得が行く。
 しかし、リリーナは何故そんな事を聞いてくるのか理解できない、っといった顔をして、答える。
「どうしてって、……行く方向が同じだからでしょうか…」
「え!?」
「彼が行く方向と、私が行く方向とが同じだからです。」
 それのどこがおかしい?っといった風に彼女は不思議な顔をする。
 それに対しても先程と同じようにヒイロは何も言わない。
 
 リリーナにはあえて借りがある事を伝えてはいない。
 別に言う必要など無い。……無いはずだ…そう、自分で勝手に言い訳をしている。
 …ずっと。

「……ああ、そうなの。」
 ヒイロなんかよりも彼女の方が余程、答えをはぐらかされているような気もしたが、サリィはそれにもめげず会話を続ける。
「それにしても、私を賞金稼ぎと勘違いしてた?もぅ、ヒイロといると本当によく狙われるんでしょ?大変よね。」
 リリーナは狙われている数で多いのは自分の方だとは、あえて言わない。揉め事に巻き込むのは少人数の方が良いに決まっている。
「それじゃあ、何?ヒイロを探しに行くつもりだったの?この広い街で?行く前でよかったわよ。本当に迷子になる前で。」
 サリィは街の知り合い達に数日前から、こんな人物が街に着たら教えてくれるように頼んでおいたのだ。
 その結果、ヒイロをやっと見つけたのだ。
 リリーナのような少女があんな物騒なところを一人で歩いていて無事で済むはずが無いのだ。それもこんな、格好で。
 しかし、それに対しリリーナはあっけらかんと答える。
「それなら、心配ありません。ヒイロの行き先ならば彼女に聞けばいいのだから。」
 そう言って、リリーナが指差す先にいるのはこの宿で飼われている毛むくじゃらの白い犬だ。

「………………………ヒイロ?どういう意味なの?」
 サリィはとうとう、リリーナの言っていることの意味が理解できないとヒイロに助けを求めるが、冷たく一言だけ、言われる。
「真に受けない方がいい。死ぬぞ」
「何?何が?」
「………………」
そんなサリィを無視したままヒイロは宿に向かって、歩き始める。
 まさか自分もリリーナから同じようなことを言われ、それが原因でつい最近、死に掛かったことがあった事など、わざわざここで教える義理はない。


「ヒイロ」
 宿に向かって歩くヒイロにリリーナが呼び止めた。
「わたくしは大丈夫です。だから、部屋をつかってください。」
「言っている意味が良く分からない。」
 足を止めてリリーナに向き直る。
「だから、娼婦の方が来るのでしょう?」
 馬鹿馬鹿しくなってきた。
「いいから、早く来い。」
「そうなのですか?」
 リリーナは不思議そうにそう答えると、やっとおとなしく着いて来た。



「どうして、怪我をしたの?」
 サリィがリリーナの羽を触りながら聞いてくる。
「『EARTH』から飛んで」
「え!?…『EARTH』って、あの、…浮島の?」
「ええ」
「……よく、生きていたわね」
 流石にサリィもリリーナの会話に慣れてきた。
 だから、実は半分信じていない。
「カトルさんもそう言ってました。」
「そりゃ、そうでしょう…あはははは」
 『OZ』の一員だったのだろうか…まさか、それこそありえない。
 サリィの乾いた笑い声が部屋に響き渡る。


『手当てをする必要がなかった?』
 電話の向こうのカトルが聞き返してくる。
「そうよ。だって、治療が完璧だったし、あれ以上は何もすることはないわ。自然治癒で治るわよ。」
 サリィはそう答えると、手元のコーヒーにミルクを入れる。
『あははは。そうだったんですか。流石、ヒイロですよね。』
「リリーナも相当変わっていたけどね。ヒイロとどんな関係なの?ピースクラフトって、言ってたわよ」
 カトルはその名前に、少し驚き苦笑する。
『そうですか、彼も苦労しますね。』
「それから、あの子、少し変わったわ…前は研ぎ澄まされたナイフみたいだったのに」
 それでも、姫の前でだけは笑顔を見せたりはしていたのだろうか?
スプーンでコーヒーをかき混ぜ、白と黒が一色になる。
「今朝、この街を出て行ったわよ。」
『そうですか…本当にありがとうございました。お礼は後で使いを出します。それじゃ、失礼します。』
「貴方も体に気をつけてね。」


 そう言って、電話を切る。

 コーヒーを持って外に出ると花が散ったあとの木々の葉が風に揺れている。

「もぅ、春も終わりね。」

 しばらくそうしていると、部屋から再び電話のベルが静かに鳴る。
 ノインかもしれない。先程電話したとき出ていたので言付けを頼んでおいたのだ。
理由は言わないが、ノインはヒイロが王室護衛騎士をやめてからずっと、追っている。
 ノインも、ヒイロと同じく姫の専属護衛だ。
 だから理由など聞かなくても大体分かる。
 上手く、出会えればいいが…

「はいはい、今、出るわよ」

 サリィはそう言いながら部屋に戻っていく。


2004/2/26


#04機械人形

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