White Alice

#01 leaf−葉−

星空を見たことがない人がいるなど――知らなかった。



*          

「緊張してきた」
 と、口で言う割りに、長い髪を編んだ少年の表情は平常そのものだ。
 いつもと同じように、人懐っこい表情を浮かべたまま、揺れる機内で準備を続ける。
 名をデュオ・マックスウェル。
「ヒイロ お前も少しは緊張してるよな?」
 デュオは隣にいる、既に準備を完了させているもう一人の少年に声をかけた。
「……………………」
 しかし、返事は無い。
 別に機内に響くヘリの音に声がかき消されたわけではない。
 ヒイロと呼ばれたその少年は端整な容姿を少しも崩すことなく、これから降下しようとしている地上を黙ったまま見下ろしている。
「おいおい。はじめての地上だぜ?少しはさー」
「デュオ」
 そこでようやく沈黙を守っていたヒイロの深い群青の瞳がスッと向けられた。だが――
「少し黙れ」
 それだけ告げるとヒイロは再び視線を地上へと戻した。
 一方残されたデュオは、一瞬瞳を大きくするも、はぁっと大きく息をついた。
 聞いた自分が馬鹿だった。
 奴は至って平常だ。
 そしてデュオは気を取り直したように、準備を再開させた。
 そこに最後の任務確認メールが届く。
 二人は即座に目を通し確認をする。
 任務変更は無いようだ。
 もうすぐ、合流地点に着く。
 
 二人を乗せたヘリは空を厚いガラスのドームで覆われた、夕焼けの中を飛んだ。



「リリーナ 本当にひとりで平気かい?」
 父が確認をしてきたのは今回で、三度目だ。
 だからベージュ色の髪をした美しい少女、リリーナは苦笑する。
「大丈夫です。お父様。一人で帰れます。ですからお父様もそろそろ行って下さい。相手の方をお待たせしてしまいます」
 彼女の言葉に父親はようやく、その場を後にした。
 それでも途中で何度か振り返りながらだ。
 だからその姿が完全に見えなくなったのは、駅の改札を出てからだいぶ経った後だった。
 そんな父にリリーナは笑顔を浮かべた。
 本当は父と共に家へと帰るはずだったのだが、父は急遽先程入った仕事により、またしばらく首都に留まることになってしまったのだ。
 彼女の父は外交官だった。今回はそんな父の仕事に彼女も学園が休暇中だったこともあり同行してきたのだ。
 しかし、来週から休暇も終わる為に彼女だけ先に帰ることになったというわけだ。

「お父様ったら、本当に心配性なのだから」
 しかし、心配をするのも無理はない。
 確かに一見、治安が良さそうに見えるこの辺りも、一本裏の路地に入ってしまえば、犯罪で溢れている。
 現に今さっきも駅の構内で物取りでもあったのか、警官隊や警備隊に加え、軍までもが出てきている。 
 父があれだけ心配するのも無理はないとは言えば、無いのだが。
 だが、地元の駅に行きさえすれば迎えが来ている。
 心配はない。
 だからリリーナは荷を持ち、自らは列車のホームへと向かった。
 途中、ここ連日世間を賑せている事件の報道がテレビから流れていた。 
 このニュースも父を不安にさせている一つだ。
 三日前、首都ではある事件が起こった。
 この国を現在治めているOZ中心施設が襲われたのだ。
 そして、そこを襲った者たちが問題なのだと言う。
 この件で父も滞在が長くなったわけだが――。
 正式には発表されてはいないが、襲った者たちの正体は、『地下階の者』たちだと言う。
 にわかには信じられないが、政府とも繋がっている父が言うのだ。真実なのだろう。

 地下階とは、わたくし達が住むこの階層よりもずっと下に位置する場所を言う。
 政府たちは、その階層に暮らす者たちを、『地上から追放された者達』と、蔑んでさえいる。
 そういう風に感じているのは別に政府だけではない。悲しいことだが、多くの人々が当たり前のように、そう思っている。
 その原因は、今の時代、人が住める場所が酷く…限られているせいもある。

 世界はここ二百年ほどの前に起こった、ある戦争で酷く荒んでしまったのだ。
 当時の詳しい事情を知る者は少ない。
 隠された歴史なのだ。真似をすることがないようにと。
 だから、何故、世界がこんな風になってしまったのかは、わたくしはわからない。
 しかし、地上はウイルスで汚染され、人が住める所ではなくなってしまったことだけは確かだった。
 草木が一本も生えず、砂が混じった風が常に吹き荒れていると言う。
 その為人類は地上から地下へと生活の場を移すことになったのだ。
 そして、空を厚いガラスのドームで覆ってしまった。
 そのときから太陽の光をガラスを通してでしか、人類は感じることが出来なくなった。
 
 しかし、本格的に移り住んでから二百年近くも経っている現在では地上に住んでいた頃と、人々の生活は殆ど変わらなくなってきているという。
 もはや違うことは、空をガラスのドームが覆っていると言うことくらいだ、と人々が言うほど。
 だから今ではここを地上と呼んでいた。
 そんな地上に対しての地下。

 それが、存在しない者と呼ばれる者達が住む、地下階。
 今回、政府の中心。OZの施設を襲っているとされている者たちの住む階層だ。
 政府からは完全に見放されている地区だ。
 大体、現在このように状態になっている原因は再び二百年前までに戻る。

 まとめてしまうと、それは当時、ウイルスにかかった者、犯罪者、貧困層等を隔離して言った結果だと言う。
 そんな者たちを、光が更に届かない深い地下へと送って行った結果が現在まで続いているのだ。
 そんな存在しない者たちは、過去から現在に至るまで、絶対に地上に来ることは叶わなかったという。
 地下階の者では地上階と地下階との間に張られた、壁も、検問も通ることが不可能な為だ。
 各人には生まれたときにこの世界では『リーフ』と呼んでいる、識別番号が与えられ、消えない印として、誰もが身体に刻み込まれているのだ。
 『リーフ』と呼ぶ理由は、刻み込む印が葉の形をしている為だ。
 識別番号である『リーフ』によって買い物、病院、仕事、住所、移動、施設、この世界で生きていく全てを管理していた。
 別にリーフによって、人々を支配しようと意図したわけではない。
 この世界は地上とは呼んではいても、未だに限られた施設、資源で覆われたドーム内。
 だから、生きる為に人々は自ら進んで、識別番号、ナンバリングを受け入れているのだ。
 それは地上よりもずっと住み難い、地下階の者たちにとっては尚更だった。
 だが、同時にその管理されたシステムにより、地下階生まれは地上に上がることすら出来ないのだ。

 そうなのだ。
 だからこそ、今回の騒ぎを、誰もが驚いているのだ。
 地下階の人たちが地上に…。っと。
 確かに地下の人たちは地上を良くは思ってはいないことは知っている。
 それでも、直接、攻撃を仕掛けてくることなど、全く無かったことだから…。
 
 そして、そんな地下階と地上階との外交を現在行って動いているのが、わたくしの父、ドーリアンなのだ。
 お互いにとって、より良い平和の道を探していこうと。
 
 兎に角、事実はどうあれ、本来は上がってこられない地下階の者たちが起こしたとされている為、今回のOZ施設の破壊のニュースは大変な事態なのである。
 そして、正式発表をしていないと言うのに、テレビからの報道では既に犯人は地下階の者ではないかと、そんな意見まで出始めている。
 父達が焦るのも無理はない。
 報道を聞く限りでは未だに襲ってきた者は捕まっていないと言う。
 そんなニュースを横目に、わたくしは列車が止まるホームへと向かった。


 首都の駅だけあって、構内はとても立派な作りだ。
 止まっている列車自体も美しく細工がされている。
 そんな列車で、自宅までは首都から三日ほどの離れた、緑豊かな所に位置する。
 列車がもうすぐ出発時間だ。
 その為リリーナも列車のチケットと腕に刻まれた識別番号でリーフを機械に通し、乗車した。
 彼女の父が予約した列車は料金が高い個室のチケットだ。
 その為、ホームにあふれていた人々の喧騒も、彼女の車両では無縁だ。
 インフラ、デフレを繰り返している最近は景気がよくなく、個室のチケットを取る者は少なかった。
 そんな誰もいない廊下を歩きながら、ホームを見ると、改札にもいた軍の者たちがホームにまでいた。
 ここまでくると物取りなどではない、何か、もっと別の事が起こっているのかと、疑ってしまうが、今のところ放送では何も言ってはいない。
 父も何も言ってはいなかった。
 だからリリーナはそのまま予約した客室へと向かった。
「これで首都ともまたしばらく、お別れですね」
 リリーナは、次来るときはもう少しゆっくり来ようと思った。
 今回は、OZの施設が襲われた件でとても慌しかったから。

 そんなことを思いながら、部屋を開けた瞬間―――
「―――――――――」
息が止まった。


 広くは無いが、狭いわけでもない品の良い個室に異質の存在。

 全身傷だらけの暗褐色の髪の少年が、――倒れていた。








2009/9/15


#02群青の瞳

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