White Alice

#02群青の瞳


 一瞬、頭が真っ白になった。
 部屋番号を確認するべきかとさえ、考えた。
 だが、実際はそんなことはしなかった。
 気がついたときは、何よりも前に、―――身体が動いていた。
「しっかりしてください。どうしたのですか?」
 声をかけるが、反応は無い。
 わたくしは上着を脱ぎ、気を失ったまま倒れている彼の上にかけた。
 身体が冷え切っている。
 兎に角、血を止めるもの、と鞄を近づけた途端、廊下が騒がしくなった。
「何?!」
 確認するまでも無く、廊下を大勢の者達が駆け抜けている。
 そして、乱暴な音とともに扉が次々と開かれていっている。
 探せ!っと、声を荒げ、話合いが通じないことだけは良くわかる。
 そんな者達がまもなく、この部屋にも来る。
 彼らは先ほどから駅構内をうろついていた軍の者たちに違いない。
 そして、探している対象など、悩むまでも無い。
 今、わたくしの目の前で倒れている彼。
 間違いなく。
 これは予想ではなく――直感。

 一体何が――っと、考えるよりも前に、事態は次へと移る。

 ドガーーーーン
「!」
 轟音とともに、車体が激しく揺さぶられた。咄嗟に床に倒れたままの彼に覆いかぶさったが、揺れはおさまるどころか激しくなる一方。
「何?」
 どうにか瞳だけ車窓にむけると、信じられないものを見た。
 景色がおかしい。
 否。おかしいのはこの車体だ。
 傾いている!
 地面に向かって、垂直になろうとして…!
 それはつまり、地下に向かってずり落ちている!
「どうして?!」
 途中、壁、建物等と車体が擦れる度、大きくきしみ、金属が削り落とされる音が響く。車体の所々は、大きく裂けてしまってまでいる。
 列車の角度だってドンドン大きくなる一方だ。
 しかし、その列車を再び衝撃が襲う。耳を破らんばかりの轟音がきた!
「!」
 先程とは違い、今度はすぐ近く。
 どう聞いても、駅で爆発した!
 わたくしは彼に覆いかぶさると言うよりは、殆どしがみついていた。
 震えを止めるために!
 突然のことに頭も身体も着いていかない。
 未知の恐怖から来る震えが止まらない。
 それでも、最も大きな音がおさまり顔を上げた後、すっかり無くなってしまった列車の壁や天井の隙間から見た光景は、周辺一帯、噴煙が巻き起こり、人々の悲鳴、絶叫、血の臭いで溢れ地獄と化していたこと。
「………あぁ」
 あまりの光景に声が出なかった。

 攻撃?噂の通り、地下階からの?
 わからない。何が起こっているのか。
 でも、このままだと、列車ごと、落ちてしまう!
 地下に!
 それがわかっていて、打つ手も無い!ずるずると、前の車両が落ちていく。
 既に先頭車両は連結部が切れ、地下階に落ちていった音が少し前に聞こえてきたが、このままで居れば、この車両だって時間の問題だ。
 どうにかして、まずはここを出なければ。
 わたくしは強引に震えを止めるために、歯を食いしばる。
 しっかりしなさい!
 そして、呼ぶ。
「起きてください!このままでは落ちてしまいます!」
 わたくしは必死に倒れたまま、意識が戻らない彼に声をかける。
 ただ、揺さぶった彼の身体は血で湿っている。
「しっかり!目を――っあ!」

 ガクンと車体が今までよりもずっと大きく引きずられた!
 前方車両がまたバランスを崩し、地下へと落ちた!
 中には人だって乗っていた!悲鳴が辺りを包む。
「っ!」
 でもわたくしも、大きく車体が揺れ、身体を支えるだけで限界。

 その途中、とうとう視界に入った。
 地下階――!
 音や状況。引きずられていることからわかってはいたが、本当に向かう先は地下階なのだと、事実としてつきつけられる。
 線路の向こうが何も無く、大きく地面に穴が開いていて!
 ズルズルと聞きたくも無い嫌な音が、止まらない!
 こんな所から落ちたら、命だって無い!

 それがわかって、どうすることも出来ず、彼にしがみついたまま、瞳を閉じていた。衝撃に耐えられるはずなど無いと言うのに!
 だが、そんな予想に反しいつまで待っても衝撃が来ない。
 感じるのは風。髪をさらさらと駆け抜けていく。

 呼吸もまとまらない中、そっと瞳を開けると、息が止まった。
 微妙な、何とも言えない、ギリギリの所で列車は止まっていた。
 わたくし達の居るこの車両の半分以上は既に地面ではない――空中…に投げ出されていると言うのに。
 ギリギリのバランスでまだ、落ちていないだけ。
 今のこの止まっている間に逃げようと、車両に残っていた人たちが逃げ出して行っているのが見える。でも、わたくしはそうもいかない。
 何しろ、意識を失ったままの彼を連れてとなると、どう考えても無理だ。
 何としても、起きてもらわないとならない。身体の下に腕をまわし、起こそうともした。肩に担ごうとも!
 でも、やはり無理だった。

 そして、助けは望めそうにない。人々は自分が逃げるだけで精一杯。
 そっと、車両の先、地面の先を見る。
 はるか下。ずっと下に、街が見える。
 初めて自分の瞳で見る、地下階の街。
「………………………………」
 唖然と、声さえも出なかった中、無理矢理意識を戻される。
 声をかけられたからだ。
 怒号ではあったが―――。

 声の先を見ると、軍の兵士達がわたくし達を向かいの建物の上から見下ろしていた。しかも銃を構えて。
「娘!お前もそいつの仲間か!」
「そんなことよりも、今は彼を助ける手を貸してください!」
 リリーナは兵士に向かって凛とした声で言い放つも、効果はない。
「そいつは反乱分子だ!今回のこの攻撃を仕掛けた者として処刑命令が出ている!」
「処刑!?裁判はいつ行われたのですか!」
 しかし兵士は聞く耳すらもとうとしない。
「そいつ諸共撃たれたくなければ、早くどけ!」
 だからなのか、わたくしが恐怖よりも先に覚えたのは―――怒りだった。
「裁判も行われていないようなそんな命令で動けば、裁かれるのは貴方方でしょう!わたくしはここをどきません」
 リリーナ揺らぎも無く、言い放った態度に兵士の眉は大きく歪んだ。
「正気か?そいつは地下階の奴だ?裁判?馬鹿げている。そいつらは人じゃない」
「………………っ!」
 兵士の蔑んだその言葉と態度に、今度こそ怒りで我を忘れそうになった。
 だが、そこに誰かが来た。
「?」
 兵士たちが一斉に道を開けた。
 そして、その先から現れた人物にリリーナの瞳はより鋭くなった。
 現れたのは、軍の幹部クラス。
 プラチナブランドの長い髪をした端整な顔立ちの男だった。
 彼はわたくしを知っていた。
「リリーナ嬢。そこは危険です。今からそちらにロープを渡します」
 その言葉の通り、周りに居た兵士によって、フックのついたロープが飛ばされ、わたくしのすぐ隣に届く。
 だが届いたのは、1本。
「足りません!わたくしたちは二人居るのですよ!」
「その者は反乱分子だ。第一、時間がない。早くロープを!」
 まるで話が通じない。リリーナは大きく眉を歪めた。どうにか、この1本で一緒に結ばなければならない。
 でも――解けない結び方など、わたくしは知らない!
 自分の無力さに本当に泣きたくなる。

 そして、動かないわたくしに、兵士たちはやはり声を荒げてくる。この間にも、いつ列車がバランスを崩すかもわからないというのに!
「あなた方は!」
 だがリリーナがそう、怒りを声に出したとき―――
 列車の車体がバランスを崩した!
「!」
 覆いかぶさっていた彼ごと、リリーナが床を下へと向かって滑っていく。
「あっ!」
 勢いと角度が急すぎて支えることなど不可能!
 だから、リリーナは手を伸ばす!ロープに向かって!
 上から先程現れた、幹部の男の声もするが、こちらはそれどころじゃない。
 すぐに滑っている列車の床も終わる。その先は何も無い。
 落ちるだけだ。
 そんな事わかっている!

 でも!
 リリーナは掴んだロープを力の限り引き寄せ、先に取り付けられたフックを止める!
 ベルトに。気を失ったままの彼に。
 否――失ったままのはずだった彼。

「…あ」


 深い蒼。
 プルシャンブルー色の瞳がこちらに向けられていた。
 まっすぐに揺らぎも無く。
 あまりの深さに――もう、声すら出ない。



 だが、それも一瞬だ。
 次の瞬間には重力が消えたから。
 背から落ちて、バサリとコートの端が風であおられる。
 髪がバサバサと耳元で騒ぎ立て、どんどん落ちた穴が遠くなって。
 あまりに凄すぎて、よくわからない。
 だから――悲しさだけがこみ上げてきた。
 あのような心では、戦いだっていざこざだって起こる。
 そんなこと、当然だと、本当に思い知らされた。
 お父様が、嘆いている気持ちだって!
 音も聞こえない世界を、落ちて。落ちて。落ちて
 ―――瞳に入った。
「…あっ」
 深いプルシャンブルー色。

 記憶はそこまで。
 
 わたくしは彼と地下階へ落ちた。






2010/8/21


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