LOVER INDEX

#08星のお姫様


 なかなか寝付けない。
 こんな夜もある。
 隣でリリーナが、かすかに寝返りをうつ気配がした。見ると、ベージュの髪が静かにさらさらと広がり、右耳が現れる。その耳には蒼い石のピアスが不思議な光を放っている。装飾品をあまりつけないリリーナが幼い頃から唯一つけているものだ。
 初めは両耳につけていた。しかし今は、右耳だけだ。
 もう片方は、……オレの左耳にある。


 この石は特殊な石で間違いなく自分のものだと確認をしていた。
 何故、オレが持っているのか、リリーナは不思議がっていた。
 拾ったのだ。嘘ではない。言い方に多少問題が、あるにしてもだ。

 返すと渡したが、リリーナは受け取らなかった。自分の耳の穴は、既に塞がっているから、オレにそのままつけていろと。
 最初は戸惑った。元々、いつでも返せるよう耳につけていたのだ。オレの趣味ではない。

 規則的な寝息がすぐ隣で聞こえる。
 視線をリリーナから空に移す。
 今夜は月がなく星が良く見える。







 あの日も世界は、今とそうたいして変わらず『OZ』に支配されていた。
 月のない深夜。暗闇が支配する時間。足元も殆ど定まらない中、あいつは視線を逸らすことなく、無表情にオレを静かに見下ろしていた。
 血で何もかもが真紅に染まったオレを。


 『OZ』は、ある時を境に世界と比較して圧倒的な力の差を見せ始めた。
 それは、鉄壁の護りの力を持つ城を落としたことにより。
 攻め入ることが極端に困難な、羽ビト達の城。
 空に浮かぶ島『EARTH』を手に入れてから。

 それから暫くして世界は以前に比べれば、戦火は終息したといえる。
 圧倒的な物資に戦力。金も力も、その何もかもが『OZ』には適わなかったからだ。
 そうは言っても、世界のどこかでは今も『OZ』は戦火を広げている。


 オレはあの頃、一人の男と行動を供にしていた。どうやって出会ったかは、覚えてはいない。それほどまでに曖昧な関係で、分かっていることと言えば、俺があいつのことをアディン・ロウと、呼んでいたことだけだ。
 それに対し、その頃のオレに名前はまだない。

 世界を移動しながらたまにアディンがどこからか、請け負ってきた仕事にも手を貸した。子供の姿は仕事がやりやすい事が多い。銃はその時から本格的に使い始めた。
 仕事の内容は事細かに覚えている。何の武器を使い、行動したか等、今すぐにでも説明は出来る。ただ…それとは対照的に、あの頃の自分の事は本当に記憶があやふやで、何を思い行動していたのかは思い出すことすら出来ない。
 どうでも、良かったのだと思う。

 アディンが逝った日。
 オレはあいつに出会った。


 アディンが、これが最後の仕事だと静かに言って来た背中を今でも覚えている。
 
 自分の好きにしろと。自分の思うままに心のままに行動しろと。

 それに対してオレは別に何も言わずに、ただ黙って聞いていた。
 そしてアディンとオレは、難攻不落の城、『EARTH』に潜入した。
 
 内部の殆どは、あの血なまぐさい軍事国家『OZ』の城とは思えないほどに、上品で優雅なつくりだった。羽ビトたちが使っていた当時のままの所も多いのだろうが、オレには関係の無いことだった。手早く爆薬を次々に仕掛けていく。
 『EARTH』には、軍の本部や王家が住む所以外にも上流階級のやつらが住む居住区がそれなりにある。地上とは違い、『EARTH』は清潔で安全だった。犯罪と欲望にまみれた地上とは果てしなくかけ離れている。だからオレは、どこかの大臣の親戚の子供とでも言えば何の問題も無かった。住んでいる奴らに危機感など無い。あまりのお粗末さに嘲笑さえも出ない。

 しかし、アディンは失敗した。
 決して、油断したわけではない。いつも以上に準備を進め今回に望んだ。
 息を引き取る寸前、アディンはオレを見て笑っていた。俺には全く理解が出来ない。

 そして、オレはあいつのやり残した最後の仕事を遂行するために混乱する城内を駆け抜けた。あちらこちらで爆発が起こり、叫び声があがる。炎が腕や足を容赦なく焼いたが、そんなことに気を止めることもせず、『EARTH』の中枢を目指してただ走った。
 悲鳴を上げる身体を無視して走る。走る。走る。

 そして、今まさに『EARTH』の中枢を破壊しようとしたその時、銃弾が足を貫き、駆け抜けてきた勢いのままオレは、床に頭から倒れこんだ。

「子供!?…まさか、こんな子供が…」
 銃を握ったOZの兵士が信じられないと、声を漏らした。
 その直後。そいつの意識は二度と戻ることは無い。情けなどかけるからだ。
 オレは銃を握りなおし、一度呼吸を整え辺りを見回した。

 アディンは、こんなところを破壊して一体どうしようと思ったのだろう…。
 ここを破壊しても、浮島『EARTH』が地上に落ちるとは思えなかった。

 そう考えたのは一瞬。そして、爆破したのはその直後。


 冷静に今の自分の状況を判断する。銃弾を受けた左足は殆ど動かず、その影響だろう、若干だが銃を握る手も腕もだるい。つまり握力も相当落ちている。熱くも無いのに汗が額を流れ続ける。呼吸は乱れては居ないが、それでも心拍数は100前後だろうか?
 自分にしては相当高い。
 状況を分析した結果、地上に戻るのは無理だと結論付けた。

 オレは浮島『EARTH』の端に立ち地上を冷淡に見下ろした。地上は所々明かりが見える。『EARTH』でこの騒ぎだ。地上では電力が相当カットされていることだろう。
 城では、まだ爆発や騒ぎが続いている。ここは、そんな喧騒とはかけ離れている。
 王族の住む部屋の窓から壁づたいに命綱もつけず、浮島の下に向かって降りてきた。
 そうしてしばらくしたある時。『EARTH』の外壁を更に下に向かって作られた階段があった。どこに続いているのかは分からないが、潜入する前にアディンに見せられた、城の内部の情報にはこの階段のことは書いてはいなかった事だけは確かだ。
 雨や風に直接さらされているせいか埃やちりでボロボロに汚れている。『EARTH』の遥か下まで続いているようだ。

 オレは階段の途中に立ち、ただ更に下に続く階段を見続けた。腕からは重力に逆らうことをせず、血がぽたり、ぽたりと落ちる。

「潮時だ…」

 何の感情もなかった。
 今、この瞬間実感した。
 所詮は何も、変わらない。OZの総帥を殺したところで、他の総帥が出るだけだ。だから、アディンは『EARTH』を地上へおろそうとしていた。

 そんな方法が本当にあるのかは皆目検討もつかないが、今となってはどうでもいいことだった。城の中枢にある大聖堂を破壊すればいいのだとか、下から伸びるケーブルを切れだとか、いろいろな文献、資料その他伝承などに従い実行はしてみたが、『EARTH』は、何も変わらず浮かんでいる。
 
 遥か下に見える地上に向かって片足を踏み出してみる。
 外壁に直接作られた階段は、人一人が通れる程度に狭い。それだというのに手すりも何も無い。
 そら見ろ?命なんて安いものだ。

 下から吹き上げる強風に今にも身体ごと持っていかれそうである。

 足を戻し、壁に背をつけると目を閉じ、一息ついた。
その時、目を閉じるオレの前を何かが通ったような気がして、ハッと目を開け、あたりを見ようとして息が止まる。

 階段の上に羽ビトが立っていた。
 一瞬、自分の全ての思考が止まった。

 そして、気がついたときは右腕には銃を握り相手に向けていた。そんな癖にひたすら呆れる。自分はまだ生きようとしている。

 暗闇に立つその姿にじっと目を凝らす。いつから居た?
 幼い?オレと同じ位か…それとももっと若い…?

 目をスッと細め、銃を握りなおす。それでも羽ビトは動じる様子がまるで無い。
 ただ、無表情だ。
 撃つべきか心底、悩んだ。撃ったら確実に兵士がやってくる。サイレンサーがついていないのだ。サイレントキリング。無音の暗殺術という方法もある。そう思案を巡らせているオレのことなどお構いなしに、その羽ビトは、ためらうこともせず階段を降りて近づいてくる。後、一歩という所まで来て、ピタリと止まる。階段の一段上に位置する所に立っているせいで目線はオレよりも高い。
 近づいてきて初めから感じていた違和感が更に、強まった。
 目の前の羽ビトは自分とそう変わらない少女だ。かざりっけの無い質素な服を身に着けていて、唯一耳に蒼い石で出来たピアスをつけていた。その気配はどこか不可思議だ。髪はベージュで肩よりかは少し長い。瞳の色は羽ビトの特徴が色濃く出ている。角度によって様々な色に変わる。彼女は間違いなく、純粋な羽ビトだ。
 彼女は視線を逸らすことなく、暫くオレを見て、そして

「行くのですか?」

 聞いたことが無い音質の声だった。その声には、全くと言っていいほどに感情が感じられない。
 ただ、この後オレは、長い間彼女の声が耳から離れなくなる。
 本当に透き通った音だった。

 城がこんな状態だというのに、のこのこと出歩けるとは相当な平和ボケか世間知らずだ。 犯罪と欲望にまみれた地上を知らず、例え表向きでも、平和で清潔な『EARTH』に居る彼女にイラつく。今日食べるものを手にするために、維持もプライドも捨て、地面をはいつくばったことなど無いのだろう、こいつは。
 相手にするのをやめた。だから、オレは彼女の問いに答える事も無かった。 しかし、彼女はそれを気にした風でもなく不思議な光を放つその瞳は、今はオレではなく、月の無い星空をじっと見つめ、独り言なのかオレに話しかけているのか分からないことを、更に続けて言って来る。

「4つ目の星の角を曲がれば、空の番人が居ると聞きます」
 オレはただ、彼女の話に唖然とした。間違いなく俺に話しかけているように感じる。
 証拠に先ほどまで空を見ていた彼女の瞳は迷うことなく、今度はオレの瞳を見ている。
 それから、今になってもなお、その話し方には、一向に感情を感じることができない。聞き様によっては、冷淡にも聞こえる。

「その怪我で……飛べますか?一人で行けますか?」
 話の内容が全く分からない。
 全く止む気配の無い彼女の話に多少うんざりしてきた。
「…飛べないと言ったらどうするんだ、お前は?」
 血を流しすぎて、思考が上手くまとまっていなかった。戯言だ。

「……飛べない…」
 彼女は目を細め睨む様に一度オレを見ると視線を横に逸らし、再び黙ってしまった。

 何だ、こいつは?
 この娘は、羽ビトではないオレが本気で飛ぶと思っているのだろうか? 今度こそオレは、付き合うことを放棄した。
 銃をカチリと音をさせ、再びに構えていることを相手に知らしめる。
 それに対し彼女は一度、銃に目を向けるが、それが見えていないかのように再び話し始める。
「……わたくしは、共に行くことが出来ません。だから――――」
 その時銃声がする。オレのものではない。

「いたぞ!2人だ!」
「捕まえろ!!!」
 大勢の兵士が階段を駆け足で降りてくる。
 
 オレは手元のスイッチを押した。

 爆音と振動が辺りに響き渡る。
 今となっては遥か上空に位置する城から聞こえる。アディンがやり残した本当に最後の仕事だ。
 それに伴って、流石の浮島『EARTH』も身体に感じるほどの大きな揺れが起きた。
 どこかにつかまっていなければ、立っていられないほどの。
 兵士たちは身体を支えるのに必死だ。
 当然だろう。ここまで足場が悪いというのに、手すりも支えも何も無いのだ。
 それだというのに目の前の羽ビトの少女は平然と立っている。羽ビトはバランス感覚が人とは比べものにならないほど良いとは聞いたことはあったが、無表情だとは聞いたことは無い。こんな状況にも関わらず彼女の表情は変化するどころかますます無表情だ。
 流石に、少し気になった。
 しかし、今更、知ったところでどうなるわけでもない。今のが、最後の仕事だ。

任務完了

 オレは飛んだ。
 最初からそのつもりだったのだから。ただ、彼女が言っていた「飛ぶ」とは意味が多少違うが。
『EARTH』が落ちなかったときの、想定だ。証拠は全て消し去る。

 無音だ。目を閉じ、頭から回転しながら地上に向かう。
 時間はゆっくり進んでいるようにも早く進んでいるようにも感じる。
 血が下半身に偏っていく。それに伴い意識も次第に曖昧になっていく。

 しかし、突然おこった背中からの衝撃に一気に覚醒した。
 誰かに背中から覆いかぶさられている。

 しかし、次には風で吹き飛ばされ、背中から離れた。それでもかすかにオレの腕を必死につかんでいる。
「!!!」
 まさかとは、思ったが、予想通り羽ビトの少女だった。
 彼女はあまりの落下の速度に羽さえも動かせずにいる。
 大人の羽ビトですらこんな速度で落ちる者を支えるなんて不可能だ。

 オレは彼女の手をはらおうとするが、下からの風で上手くいかない。舌打ちしか出ない。
 そんな羽で2人分の体重を支えられるわけが無いのだ。
悪態ばかりが思考をめぐる。  

 オレたちは地上目指して落ちる。落ちる。落ちる。

 オレは両腕両足を広げ少しでも落下のスピードを抑える。そして、彼女の方を見た。




 初めて会ったときから予感がした。お前から目が離せなくなると。
 信じることが出来ないほどに、透明だった。
 あれから、何年たった今でも嫌というほど覚えている。鮮明に。

 あの時のお前は、オレと同じように身体を横にし、その全身で風を受けていた。
そして、――――、
 
「わたくしは、リリーナ」

 笑っていた。
 
 



 心臓がドクンとした。轟音と落下の衝撃の中、オレは彼女を全身で引き寄せ、残った全ての力で魔導を放つ。


 生きている。
 激しく身体を地上に打ち付けられたことは記憶にある。
 その後は、はっきりしない。
 どちらにしろ、生きている。つまり、まだ動かなければならないということだ。
 それほどまでに自分は死ねないのだろうか?

 奥歯を噛み締め、動く右腕に体重をかけ、力任せに上半身を起こす。ぐちょっと血がまとわりつく。
 左足が、完全に動かない。見ると、左の指の何本かがだらりと下がっている。
 息をするたびに「スースー」と聞きなれない音を発したかと思うと、続けざまに血の混じった咳が出る。とうとう内臓もやられたか。

 しかし、そんなことはどうでも良かった。まとまらない意識を無理矢理集中させ、辺りの気配を必死に探る。

 すぐ、隣にいた。手を伸ばさなくても触れられる位置に。
 瞬きをすることも忘れ、彼女を凝視している自分に気が付かない。そのとき自分がどんな表情をしていたかなど、分かるはずが無い。
 無意識に手を伸ばし、彼女の首に触れる寸前。
 頭に嫌というほど覚えのあるものが突きつけられた。
オレは、その時まで周りの音など全く耳に入らなかった。

 銃だ。動いたら、撃つ。そう自己主張してくる。

 だが、オレはそれには従わず彼女の首に静かに触れ――、同時に身体の力が抜けた。

 生きている。

 銃から弾丸が発射されることは無かった。
 そしてそれと同時に、年老いた男が話しかけてきた。
「そんなことをしなくても、ユイは生きとるよ」

 そこで初めてオレは後ろを振り返る。
 全身の半分以上を機械で覆われた男を中心にするように3人の男が立っていた。

「その証拠に、『EARTH』が落ちていない」
 老人はそう言うとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


 老人たちに連れられてどこかに向かっている途中に、それまでオレの肩にもたれる様にして眠っていた彼女が目覚めた。
 見ると彼女の顔や服や羽が、自分の血で汚れている。
 彼女は不思議そうに辺りを静かに見回している。

「……目がさめたか?ユイ。あまり、動かない方がいい、片方の羽が折れておるからのぉ」
「……………ドクターJ」
 彼女は隣のオレでさえ、やっと聞き取れるくらいの小さな声で言った。
 そう言った彼女は『EARTH』で、会った時と同じように無表情だった。

 ある建物に着いてオレは、まず傷の手当てを受けた。身体には何本も管がついている。
 ユイと呼ばれていた羽ビトの少女はどうやら彼らのことを知っているようで、何人かの人間に着いた途端別の部屋に連れて行かれた。

 それから2時間くらいしてからだろうか、先ほど彼女がドクターJと呼んだ人物がやってきた。
「随分と、手際よく『EARTH』を攻めたものだのぉ。今も、城では大騒ぎのようだのぉ。お前さんだけでやったのか?」
「…………」
「そう警戒しないでも、わしらは『OZ』ではない」
「では、誰だ?」
 間髪いれずに聞いた。この建物だけ見ても相当大きい。怪我の治療を行った部屋の設備も相当だった。
「お前さんとそう、目的は変わらない者達の集まりといったところじゃ。『OZ』に敵対する者。そう理解してもらえれば問題無い」
 ドクターJは、そう言うと置いてある椅子に腰をかける。
「…………あいつも仲間なのか」
「ユイのことか?あの子は、別じゃよ。なんじゃ?あの子を攫って来た訳ではないのか?」
「…………」
 攫う?誰なんだ?オレは王族を初め、『OZ』の内部の人間。特に上層部の人間は完璧にデーターとして頭に叩き込んだ。その中には確かに羽ビトも居た。
 しかし、ユイと呼ばれるあの少女は居なかった。

 そして、最初の言葉が未だに引っかかっている。

『そんなことをしなくても、ユイは生きとるよ』
『その証拠に、『EARTH』が落ちていない』


「…道理で、攫うにしては随分と派手な方法を選んだものじゃと思ったわい」
 一瞬喉の奥で笑いを漏らし、すぐに元の表情に戻るとドクターJは義手である左手を差し出すようにカチャリと鳴らし、言ってきた。

「どうじゃ、坊主……ワシと来てみんか?」






 ドクターJがこの部屋を去ってからしばらく、眠っていたらしい。オレはかすかな物音で目が覚めた。
 扉のすぐ傍にあの羽ビトの少女が立っていた。背中の片羽には痛々しく包帯が巻かれている。彼女と目が合う。本当に彼女はいつでもまっすぐ見つめてくる。思わず視線を逸らしたくなるほどに。

 そして、オレが起きたことに気がつき近づいて来た。本当に彼女の動作の一つ一つ、その全てに自分は、呆れるほど目を奪われる。歩くその姿は実体が無いのではないかと思われるほどに、気配が無い。

「………ヒトだったのですね」
「………」
「星から来たのだと、思っていました」
「……星…?」
 話が全く読めない。彼女が言おうとすることがオレには全く理解できなかった。
「今晩は新月で月が無いから、星達が夜の散歩に出ていたのかと思いました。貴方もその一人だと。」
「………」
 彼女の目から見る世界は、自分とは遥か遠く、かけ離れている。心拍数が上がる。
「星のお姫様だと。……勘違いをしていました。」
 目が離せない自分に気がついても、彼女から目を逸らすことが出来なかった。あれだけ否定していた、感情を、そう…抑えることが出来ない。このときのオレは、ココロの声に耳を傾けていた。
 オレはリリーナの声を聞いていたかった。彼女だけが発する独特な話し方。イントネーション。その全てを。

「………でも、ドクターJがヒトだと教えてくれました」
「…………」
 唖然とした。彼女の態度や話の内容、その全てにだ。
 しかし、彼女はそんなオレを放ったまま無表情のまま話し続ける。
「『OZ』が来ます。わたくしを探しに」
 オレはその言葉に視線が強くなる。
「さぁ、貴方は見つからないようにベットの下に隠れていてください」
 そう言うと、彼女は数秒ためらったあと俺の右手にそっと触れた。白く傷ひとつ無い手だった。
 その直後身体の痛みが一気に消える。
 彼女はそのままオレを立たせようと急かす。

 オレは彼女と会って、初めて自分から口を開いた。
「リリーナ」
 ドクターJたちが呼んでいた名前とは違う呼び方で。
 空で聞いた名を。
 それを聞いた羽ビトの少女は本当に普通では絶対に気がつかない程度にかすかに目を見開いた。
 そして、人差し指を軽く唇に当て――


「…私の…秘密の名前……」


 かすかに微笑んでいた。




 大勢の人間が入ってきた。
 リリーナの足が見える。それまでオレが寝ていたベットにリリーナは座っている。
 そんなリリーナに向かって、やってきた人物たちが怒りを隠しもせずに口々に罵倒している。
「来い!」
 リリーナはゆっくりと立ち上がると、乱暴に腕をつかまれた。
「何だ、その目は!?こっちは、城がこんな状態だって言うのにお前みたいな娘の迎えにわざわざ来てやっているんだぞ!」
 ベットの下からではその表情は見えないが、おそらく先ほどと同じようにリリーナは無表情なのだろう。だから、ますます兵士達の隊長だと思われる男は怒りをあらわにする。
「何か、言ったらどうだ!!?」
 それでも、リリーナは何も言わない。
 その直後、激しく顔を叩かれた音と共にリリーナが激しく床に背中から倒れた。

 右手を動かして止まった。
 自分が今、何をしようとしたのか理解して動きがとまる。
 驚愕した。


 その様子に流石に後ろに控えていた他の兵士達が止めに入る声がする。

 倒れたリリーナが見える。折れた羽にも激痛が走ったのだろう。目を閉じ、苦痛に表情を歪めている。その、頬はかすかに赤い。それでも、彼女はわずかに息を吐いただけで声をださない。

 彼らが出て行った後、床には不思議な光を静かに放つ蒼い石が一つ落ちていた。


 それからオレは数年、ドクターJの元であらゆる戦闘術を初めとした様々なことを一から叩き込まれた。ドクターJはオレを、組織の一人としてではなくあくまで個人として扱った。

 ドクターJ達の組織は『OZ』を壊滅させるという目的は同じでも、内部ではその方法で、もめているらしい。
 ドクターJは淡々と事実だけを述べた。

『EARTH』をどう扱うかで意見が分かれていることを。
 大まかに分けると『EARTH』を自分たちの思いのままに操るか、そのまま地上に落とすかの、2つらしい。
 オレからすれば、『EARTH』を落とす方法が実際あることだけでも、既に信じがたいことだというのに、話からすると自由に動かすことすら可能だという。
 本当にそんなことが出来るのだろうか?
 だが、「OZ」を壊滅させるという点ではお互いが一致しているため一つの組織として稼動しているという。
 話からはドクターJの本心は、うかがい知ることは出来なかったが最後に一つだけ言った。
 結局、そのどちらをするのにも鍵を握るのが彼らはユイと呼んでいる、あの羽ビトの少女なのだと。

 ドクターJは城でも数少ない、彼女に会える者のうちの一人だ。ドクターJは彼女の医者だった。オレはドクターJのカルテを初めとした莫大な数の資料や文献、データーからリリーナのことをいろいろ知る。

 リリーナが元々『EARTH』を収めていたピースクラフト王家の生き残りであること。彼女はその気にさえなれば『EARTH』を動かすことも可能だといい、その彼女の死と同時に『EARTH』は地上に落ちるという。
『OZ』でも最重要機密事項。

『EARTH』は彼女の魔力で浮いている。

 ゆえに、リリーナは生まれたときから『EARTH』に閉じ込められている。

 羽ビトの王家の者は魔導の力が桁違いだという。
 他の事は正直、証拠でもない限り信じられないことも多いが、これだけは信じられた。
 あれだけ傷だらけだったオレの身体は、自然界ではありえないほどの速さで完治して来ている。今なら解る。あの時ためらいがちに、オレの右手に触れたとき、リリーナは魔導を使ったのだ。空で無我夢中になって掴んで来た時とは違い、あの時のリリーナの指先はかすかに震えていた。それを感じたときのオレはどうだったかといえば、……そう、身体のどこかがチクリと痛んだ。

 リリーナの両親は、彼女が生まれたと同時に殺されている。『OZ』は一般には王族の全ては抹殺したと発表していたが、事実はずっと生かされていた。『EARTH』を浮かせるためだけに。それのせいなのか、記録によればリリーナは感情を殆ど表に出すこともなければ、話す言葉も極端に少ないという。

 だがオレは知っている。リリーナの透き通った笑顔を。


 リリーナは『EARTH』に連れ戻され後すぐ、翼の拘束具がつけられたという。
 二度と空を飛べないよう。今回の脱走疑惑で決定したらしい。ただ、あいつは脱走する気などなかった。しかし、上層部はそんなことはどうでも良いらしい。彼女が他国に渡ること。死ぬことを何よりも恐れている。

 リリーナは血で翼が真っ赤に染まっても、ただ無表情だとカルテには書いてある。

 

 あいつは馬鹿だ。
 命なんて安いものだ、特にオレのは。
 それなのにあいつは……馬鹿だ。
 二度と飛べない。

 何故、あいつも他の奴と同じように切り捨てることが出来ないのだろう…。


 何度、そう思ったか覚えていない。

 気がつくとあいつを想っている自分が居る。
 それまでと同じように、当たり前に切り捨てればいいのだ。
 それでも、……耳が、目が、手が…鮮烈にあいつを覚えている。

 静かな夜、独りになると本当に嫌というほど感じる。
 星を見ながらあいつの言ったことを思い出す自分に呆れたりもする。4番目の星とは一体どこを指していたのだろう?

 手を開き、一枚の真っ赤な羽を見る。

 リリーナ…あいつは、秘密の名前だと言っていた。
 ドクターJですら彼女を『リリーナ』と呼んだことは無い。
 もともとあいつの存在自体が『OZ』でも機密事項で大規模な規制が、はられている。だから、リリーナのことが書いてあるデーターは極めて少なく、それでもごくたまに『ユイ』という文字はあっても、そのどこにも『リリーナ』という文字は無かった。

「リリーナ」
 声に出して言うのは2度目。

「この借りは返す……必ず」


 それから、王室護衛騎士に入るまでの数年間は任務で世界を移動していた。
 そのとき使っていたコード・ネームを、今でも使っている。






「…ヒイロ?」
 表情には出さなかったが、驚いた。いつの間にか、リリーナが起きていた。
「……眠れませんか?」
 リリーナが微笑を浮かべながら言ってくる。
「……そんなことは……いや…ああ、そうだな、少し寝付けない」
 全く、眠気が無い。
「すまない、…起こし……リリーナ?」
 リリーナは左手でオレの耳に触れ、外界の音を遮断する。
「星たちの声に耳を貸すと、朝になってしまいます」
 ああ…だから、耳をふさいでいるのか。と、彼女の話でやっと今の状態を何となく理解する。
「月の無い夜は星たちの世界で、彼らに一度見つかると、なかなか眠らせてはくれません。気をつけてください」
 まだ、半分眠りの中に居るようなリリーナの表情に、反論さえ出てこない。ねぼけているのだろうか?
 うっとうしい。わずらわしい。
 そう、普段の自分ならそう頭をよぎるのだろうが、今はただ、耳に当たる手が、暖かい。

「貴方は、素敵だから、あまり起きていると星のお姫様が来て誘惑されてしまいますよ」
 素敵?自分が?
 完全に寝ぼけているのだ、リリーナは。
 そんな奴が来る筈が無い。大体、お前が居るその横で一体どんな誘惑をされたら自分は、そちらに傾くのだろう?考えるだけ無駄のような気がして、考えるのをやめた。
 意識が朦朧としてきた。

 リリーナの話はいつもあいつにとっては本気でも、オレにとっては夢物語のようで理解しがたいことが多い。
 それでも…慣れとは恐ろしい。
 普通にあいつの話を聞ける自分が居るのだから。人間慣れるものだ。


 リリーナは以前、『EARTH』でオレと出会っていることを知らない。覚えていないのか、オレだと気がついていないのか理由は定かではないが、聞くことが出来ない。
 そう、オレはまだ、リリーナに聞いていないことの方が多いのだ。

 それは、オレが…多くのことを聞くことにより、結果的にお前が飛べなくなった原因を作ったのはオレだと、知られたくないのかもしれない…。知った後のお前が想像出来るから。自分は平気だと。簡単に笑うお前が想像出来る。
 オレは…許されたくはない。
 そんな、簡単なことで、オレは…許されたくないのだと思う。

静かに目を閉じた。

 初めてリリーナと会ったとき、あいつはオレのことを『星の姫』と言っていた。それは、つまり…女と思ったのだろうか? オレはそんなことすらまだ聞いていない。


 そんなことを思いながら、オレはリリーナの手の体温を感じながら眠りについた。



2004/5/10


#09苦手モノ

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