LOVER INDEX

#17世界ノ子


 リリーナがダウンした。
 熱だ。
 教会の船から、バートン財団所有のこの船に乗り移って、しばらく経ったとき、気がついた。
 
 話は少し前に戻る。
  「危ないから、どこかに掴まっていた方がいい」
 船に乗り移った当初、乗組員の男に言われたのは、この一言だった。
 
 船の揺れは、確かに――異常だった。
 俺たちが現在乗っている船の揺れは、半端なものではない。
 ときには、内臓全てが動いているのではなかろうかというほどの勢いで前へ、後ろへ、横へと揺れるのだ。
 その度、横に居るリリーナの腕をとっさに捕らえる。
 船の揺れの反応にどうしても、リリーナは遅れる。放って置けば、船の壁や荷物に激突しかねない。
 
 ヒイロは瞳を僅かに細める。
 確かに船は揺れるものだ。
 それは海がしけるなど、激しい風など、外的要因が主。
 だが、現在、外は平静そのもの。
 つまり、現在の揺れは船の内部から起こっているものなのだ。
 こんなことが、ここ最近、間隔を置いて起こるらしい。
 そして、乗組員が言うには、今がその揺れる時間だという。
 
 
 この船は外部も激しく損傷していたが、内部も似たようなものだった。
 塗装は剥がれ、壁、荷物、他、船にある全ての物が、鋭く細長い傷がある。
 が、そんな異変は船だけにとどまることはない。
 この船の乗組員の誰もが、目に見えて疲労している。顔色は悪く、目の下はくまが何十にも層をなしている。これだけ揺れれば、大概、どんな海の者たちでも体力もなくなるだろう。
 だから、リリーナは余りの惨状に、唖然と見回すばかりで、俺に事態の説明を求めてくるが、ただ首を横に振る。
 すると、船内から知った顔がようやく現われる。
 ドクターJの古い知り合いだという、ドクトルS。
 他にも、自分と長い付き合いの、とある者とも繋がりのある人物だ。
 
 ドクトルSは白髪で、鼻に目立つ医療用のカバーをしている。その昔、実験による薬品で鼻を根こそぎ溶かしているらしい。
「話は聞いとる。連れが居るという話じゃったが、女性だとはきいとらんかったな」
「性別を問われた覚えは無い」
 悪びれる様子も無く答えるヒイロに対し、ドクトルSは薄く笑みを浮かべる。
「ああ、別にこちらは構わん。だが――言いたいことは分かるな?」
 含みを持たせて告げてくるドクトルSの言葉に、ヒイロは黙って頷く。
 リリーナには何の話か、分からない。
 この船に乗る者たちは、柄が良くない者で溢れている。
 
「さあ、では、早速本題に入るとするかの」
「本題――?」
 ドクトルSの言葉にヒイロは眉を寄せる。
「お前さんに、是非、頼みたいことがある」
 ヒイロは、その言葉でようやく真意を悟る。
 奴らは自分に何か面倒な頼み事があるらしい。
 どおり、自分たちの様な者を、こうもすんなりと船に乗せたわけだ。
 ヒイロは軽く息を吐く。
 
 
 ドクトルSは自ら、ヒイロとリリーナを部屋へと案内すると、船内を進んだ。
 船の内部へと入ると、流石と言うべきか、バートン財団の船だけあって豪華そのものの造りだった。教会のものと比べればそれこそ天と地ほどの差だ。
 それでも、外にあったものと同じような傷がそこいら出来ている。
 
「まず、気付いたとは思うが、この船で現在起こっていることだ。その壁もそうだが、修復してもいつの間にか船は傷だらけになっとる。怪我人も多数出ておる。するどく鎌で斬られた様な傷だ」
 ヒイロはすぐ横のするどくえぐられた傷のある壁を見る。
「大抵、そのような状態が起こるときは、船の揺れが尋常ではない。そんなことが、ここ最近、断続的にある。海は至って平静なのにな。おかげで、乗組員は殆どが寝不足や船酔いなどから来る体調不良の者ばかりだ」
 ヒイロは壁の傷をじっと眺め、指でそっとそれをなぞる。
「…微かだが…魔導を感じる。乗組員の誰かが船内で、故意に魔導を使用している可能性は?」
「それも考えたが、説明できない事柄も多い」
「―――――」
 ドクトルSの答えに、ヒイロは別の可能性を考えはじめる。
 過去にも似たようなことに直面したことが、無かったわけではない。
 
 呪士によってしかけられたモノが原因で、異変が起きたり、自然界にあふれる、目に見えない、それこそ亡霊や精霊によって異変が起こることだってある。
 この船も似たような状況なのだろう―――と、通常ならば考える。
 ただ―――現在の状況で当てはまらないこともある。
 威力が半端ではないのだ。
 
 いくら世界屈指の呪士だとはいえ、これだけの効力を発するのは不可能だ。
 対象が、船全体に加えて、乗組員たち全員が相手だ。
 呪いは大抵、個人が相場だ。
 これだけの被害は、考えられない。
 
 ならば、亡霊や精霊の類かといえば、それもどうかと思う。
 確かに、目に見えない存在が原因で異変が起こることもあるが、これだけ長い期間続くことはあまり無い。山や林、海域のどこか特定の場所ということであれば、その可能性もあるが、今回の場合は船だ。
 地脈の影響を受ける家なのではなく、常に海の上を移動する船だ。
 
 たかが船につくような亡霊や精霊ならば、それこそ問題なく対処のしようもある。
 大体それならば、俺が出るまでもなく、目の前にいるドクトルSがとっくに対処しているはずだ。この老人は、何だかんだといいながら、あのどこまでも人を食ったような性格であるドクターJの知り合いなのだ。
 
 ここは、あいつの意見も聞いてみようと思う。
「リリーナ」
 魔導においては、あいつはこの船に居る誰よりも秀でていることは明白だ。
 だが、しばらく待ってもヒイロの問いかけに、リリーナの返答がない。
「リリーナ?」
 ヒイロが僅かに不信に思い、リリーナの方へと目を向ける。
「!」
 リリーナは床に手をつき、しゃがみこんでいた。
 ヒイロは即座に駆け寄ると、リリーナは熱を持っているのか頬が赤い。
「おい!どうした!?」
「あ、…何だか、少し、頭がぼーっとして…!ヒイロ!?」
 ヒイロは驚くリリーナ放ったまま、額に手を当てる。
 熱い。
「熱がある」
「熱!?」
「朝から、あんな格好で甲板に出ているからだ」
 ヒイロの言葉に、リリーナは今朝のことを思い出す。
 確かに、自分は朝から、髪も翼もしっかり乾かさないまま、ヒイロとラファエルの戦いを止めるためにノースリーブのまま甲板を初め、教会の船を走り回っていた。
「ドクトルS。話は後で聞く。一旦部屋にこいつを連れて行く」
「ヒイロ、大丈夫です!一人で行けます。だから、貴方は…きゃ」
 ヒイロが床にしゃがみこんだままのリリーナを、両腕で抱き上げたのだ。
 そんな二人にドクトルSは、笑顔を向ける。
「いや、こちらの言いたいことは終わった。お前さんたちの部屋は、この階の一つ下だ。行けば分かるだろう」
「ヒイロ!歩けますし、それに部屋にも、一人で行けます。下ろしてください」
 必死に言い募るリリーナに、ドクトルSが告げる。
「いや。お嬢さんみたいに、綺麗な子はこの船を一人で歩かない方が良い」
「一人で?」
「すぐ部屋に薬を届けさせよう」
 ドクトルSの言葉に、ヒイロは頷くと下に続く階段へと向う。
 
 部屋に向うまでの間、リリーナは珍しく、大人しい。
 事実、頭が重く、無理にまで歩くと維持をはれるほど、体調が良くないのもある。
「申し訳ありません」
「気にするな。いいから良く休め」
「―――…はい…」
 素直にリリーナはそう答えると、力を抜くように息を吐く。
「…やはり目立ちすぎでしょうか…?」
 リリーナの見つめる視線の先は、彼女が身につけている白いコートだ。
 教会の船を発つ際、乗っていたとある神父の持ち物であった大事な僧衣をシスターたちがリリーナのサイズに直してくれたのだ。
 そのため、全体に使われている生地自体が、通常街で売られている物と比べ、遥かに希少なもので、前を止める為につけられたボタンは、強力な聖魔導を込められた十字の石で造られていたりと、見る者が見れば確かに、目立つといえる。
 だが、その事に気がつく者は、リリーナの正体だって知っているような者たちだ。
 だからヒイロは、特に問題はないと告げるが、リリーナはどこか納得がいかない。
「ですが、この辺りのことを知っている方から見れば、やはり、すこしは汚した方が自然なのでしょう。この格好では、船を歩くことも出来ないとは…」
 ぐったりとした様子でそんなことをぼやくリリーナを見て、ヒイロは思う。
 性質が悪い。
 
  そして現在。
 船の揺れが、乗り込んだときよりも強くなっている。
 そんな中でも、薬を飲んだせいなのか、リリーナは眠っている。
 相変わらず動きもなければ、寝息も聞こえないために、寝ているのかどうか真偽を疑ってしまうような眠りだが、リリーナは静かに眠っている。
 眠るまでは散々、自分も今回の事件について手を貸すとごねていたが、足手まといだと、ハッキリと告げると、多少ショックを受けてはいたが、ぶつぶつと何事か呟いているうちに眠っていた。
「……全く」
 不本意だが、頼みごとを呑まざるを得ない状況だ。
 ヒイロは軽く悪態をつき、リリーナの額のタオルを変えると、部屋を出た。
 
 ヒイロは一人船内を歩き回る。
 不安定だが、巨大でもある。そんな独特の癖がある魔導を感じる。 それが、この船の一体どこから発せられているのかを、探している。
 ただ、こんなことは既に他の誰もがやっているであろう。ただ、俺は俺で判断する。他人の判断した結果は、所詮、それまでだから。
 自らが判断した結果を最優先する。そうやって、今まで生きてきた自分。
 だから今回も同じように、原因を探す。
 
 ただ―――この件、そう簡単に片がつくとは考えてはいない。
 バートン財団ほどの者が手を焼いている件だ。
 案の定、特に手ごたえのある情報は何もない。
 これ以上、ここに居ても意味がない。部屋に戻ろうと思うが、その前に電話ボックスに寄ろうと思う。
 ゼロを使用すれば部屋からも、外部に連絡を取ることは可能だ。
 ただ、あいつの眠りを妨げたくは無い。
 おそらく、これが一番の要因。
 
 そんな時、少し先に見える電話ボックスからある人物が現われた。
 トロワ・バートン。
 
 ただ、俺とは初対面のトロワ・バートンだ。
 この船の持ち主。バートン財団総帥の息子。
 身長は俺よりも高く、髪は金髪、性格は粗野だという噂を良く聞く。
 
 俺の知っているトロワは、厳密にはトロワではない。告げられたわけではないが、間違いなく、偽名だ。だが、本名を知っているわけでもないので、俺にとって、本名だろうが偽名だろうが大きな違いはない。なにしろ、自分自身、現在使用している『ヒイロ・ユイ』も、コードネームなのだから。
 
  バートンがこちらに気づき、どこか含んだ笑みを向けてくる。
「お前が、風に聞くヒイロ・ユイか」
 ヒイロはそれをあからさまに、無視をする。
「おいおい。俺が、お前たちを乗せることを最終的に許さなければ、ここに居ることすら出来なかったのが分かっているのか?」
 しかしヒイロは視線すら合わせることもせず、通り過ぎようとするが、止まるよう肩を掴まれる。
 途端に、ヒイロはすうっと瞳を細める。
「…………………」
 避けられなかった訳ではない。無用ないざこざを起こす事を避けただけ。
 自分にとってはどうでもいいようなこいつでも、一応この船の代表だ。
 そんな黙ったままのヒイロをどう思ったのか、バートンはニタニタと笑顔を向けてくる。
「お前の話はイロイロ聞いているぜ。過去、オレの親父たちの組んだ作戦で何度も、力を借りたこともあるが、潰された事もある、その世界では超有名人だってな。だが、まさかそんな奴が、お前みたいな野郎だったとはな」
 バートンの言葉に、ヒイロはどこまでも冷ややかな視線を向ける。
 バートンはヒイロの肩を掴んだ手に僅かに力を込め、同情するように告げる。
「その容姿じゃ、さぞ戦場でも苦労したろ?いや、反対にその容姿で、奉仕でもされれば、男だろうが女だろうがイチコロか。是非とも、オレも相手を願いたいね」
 廊下にバートンの下卑た笑い声が響き渡るが、ヒイロの表情はピクリとも変わることもない。
「用がないのならば、その手を離せ」
 ヒイロの中で、建前である付き合いの時間が終わる。
 大概、付き合いきれなくなったのも、ある。
 だが、バートンは更にヒイロの肩に腕を回すようにしてその身を寄せようとするが、ヒイロはスルリとかわし、触れることすら許さなかった。
 
 そんなヒイロをバートンもそれ以上は相手にしなかった。
 電話ボックスの中へと消えるヒイロの背を、嘲るような笑みを浮かべたまま見送る。
 
  ヒイロはバートンの視線を全く気にすることもなく、電話ボックスの戸を開けた途端――目に飛びこんで来た。
 表情は一瞬にして唖然としたものへと変わる
「―――――――――」
 再度見るが、やはり、ある。
 簡単に、信じることが出来ない。
 目の前にあるのは間違いなく、例の『青いポスト』。
 それは、電話ボックスの中に置かれた電話帳の束の隣にひっそりとある。
 ヒイロはしばらくそれを、唖然としたまま見つめていた。
 
  そしてしばらくポストを調べた後、当初の予定通り、電話をかけた。
 相手はカトル。訊きたいことがあったのだ。だが、カトルのほうも、こちらと連絡を取りたかったと言われたが、ゼロを使用していない状態では長い間の連絡は危険だ。一定時間を超えると探知される。
 よって、カトルの方から今度は連絡を入れるということで、一旦電話を切った。 たずねた件に関しても、すぐに調べておくと返答があった。
 そして部屋に戻る。
 


「青いポストを見つけたのですか!」
 リリーナは目を輝かせ、今にも自分も見に行くといわんばかりの勢いだ。
 だが、熱もますます上がっている状態で、ヒイロがそんなことを許すはずも無く、おとなしくベットで食事を取っている。
 食堂から部屋のほうに直接運んでもらったのだ。
 ドクトルSにも助言されたように、リリーナは無用に船の中を移動しないほうが無難だ。
 船の内部は豪華客船にも決して引けを取らない造りだが、乗っている者達は気性の荒い者達ばかりだから。
 
「兎に角、これで現在の船で起こっていることの原因も分かった」
「原因?青いポストが原因だと?」
「ああ。つまりここで『世界ノ子』が生まれたということだ」
「『世界ノ子』?」
 リリーナは、心底不思議そうな表情だが、ヒイロもこんな彼女を想定していたので、呆れることは無い。
 予想通り、リリーナは『青いポスト』を正確に良く分かっていなかったということだ。
 俺がこのことに気がついたのは、例の花びらで宿が埋まった件から、大分経ってからのことだ。
 あいつのあのときの説明では、紙に文字を書き、ポストへ入れることで何かが来る、というものだった。
 知った今では、確かにそれは間違ってはいないが、かなり乱暴。
 
 だから、あまり長くならない程度に、説明することにする。
 詳しく説明してもいいが―――、おそらく無駄に終わる。
 以前。ゼロについて訊いてきたことがあった。初めの頃だ。 それは、今考えても、あいつからの初めての声だったから。
 俺は、誠意を持って説明した…本当に。知る限り、全てを―――。
 が、結果。
 ゼロは、『機械付き自転車』で終わった。
 もう、無駄なことはしない。
 
  話は戻る。青いポストだ。
 俺はあの一件以来、独自に青ポストについて様々な文献やデーターをあさった。
 これは、特に青いポストが気になったということではなく、一種の癖だ。 知らない情報は、即調べ、対処できるようにしておくという、昔からの癖。
  その結果、いろいろ知る。
 青いポストはある日突然、何の前触れも無く現われるという。
 出現の規則性は皆無だという。
 例えるなら、街の真ん中で誰にも気がつかれることなく、大きさを日々増す、蜂の巣のようだと。
 そして、青いポストの出現は『世界ノ子』と呼ばれる者たちが生まれたことを表しているという。『世界ノ子』とは、特に言葉に意味があるわけではなく、精霊や妖精、悪霊、等、その他様々な目に見えないモノたちをまとめてそう呼んでいるだけだと言う。
 だから、あのときのリリーナの説明は間違っているとはいえない。
 だが、問題はその後だ。
 ポストに手紙を入れるというその行為は、つまり、その青いポストの持ち主である正体不明の存在を、自ら召喚することを意味する。
 それらは、安全でおとなしい等という保証はどこにもない。記述には、街一つが消えたこともあるとあった―――。
 あの夜。とんでもない存在により、街が消えなかったことにあいつは感謝すべきだ。
 
  ただ、そんな危険な物が街のど真ん中にあるというのに、何故誰も、それに対し何の手段も講じないのかと疑問に思ったが。
 答えは直ぐに出た。
 青いポストは見つからない。
 つまりはそう言うことらしい。
 見える者には見えるが、見えない者には絶対に見えない。そうとしか説明がつかないということだと。
 
  そんな青いポストを見つけることが出来る者は、世界でも数えるほどしかいないという。そして、その者たちのほぼ全てが既にどこかの国、お抱えだという。
 青いポストはとんでもなく秘匿性の高いモノだった。
 
 ヒイロの淡々とした説明を聞き、リリーナは心底感心したように言う。
「詳しいですね。わたくしてっきり、常識なのだと思っていました」
 一度、お前が言う常識を、全て聴いてみたいものだ。ヒイロの冷ややかな視線が向けられるが、リリーナは全く気にしている様子はない。それどころか、信じられないことを更に言う。
「それで、手紙は入れてきたのですか?」
「入れるわけが無いだろう」
「何故です?」
「…何故って―――」
 こいつは、俺の話を本当に聞いていたのだろうか―――。
「船が破壊されるような事態になったらどうする?」
 現在の船の状況を見ても、決して友好的なモノが出てくるとは、とてもではないが思えない。だが、リリーナは断言する。
「そんなことはありません。貴方が青いポストを発見したということは、貴方を呼んだということです。凶悪な者である筈がありません」
「何故、そう言い切れる?」
 凶悪であるとか無いとか以前に、ヒイロにとって、純粋な疑問。
 リリーナは何の根拠があって言っているのか。
 誰が、一体どうやって発見することが出来るか等、青いポストはまだまだ世界でも未知の部類だ。
 だがリリーナは、殆ど知られてはいないポストの存在に加え、手紙を入れるという行為まで知っていた。更に言えば、何かを呼ぶとまで。
 だから、訊いたのだが―――。
「何故って、当然です。大丈夫。理由なんてありません。心がそう 響くのです」
 胸に手を当て、笑顔で告げられる。
 説明を求めた自分が、愚か者。知りたいことは自ら知れ。
 ヒイロはそう頭を即座に切り替え、スープを一口飲む。
 冷たい。
 
 
 だが、それから半時も経っていない現在。
 …俺は一体何をしているんだ―――。
 青いポストのある電話ボックスの中に立ち、手には文字の書かれた紙。つまり手紙を持っている自分―――。
 
  すぐに折り返すと言ったのだから―――待てばいいのではないか?
 カトルの電話を。
 そんなことを何度、自問自答した?
 
  が、それでも―――手紙を入れようとしている自分。
 頭では、確実にこの判断は間違っていると認識している。
 それならば、何故―――。
 
 手に持ったままの手紙に皺が生まれる。
 
 先程、あいつには言わなかったが。
 過去のデータから、青いポストを見つけることが出来る者は、世界を感じることが出来、声を聴く事の出来る者だという。
 そんな者が、青いポストに選ばれる権利があるのだとかいったことが、長々と書かれていた。
 確かに、リリーナならばその説明も納得がいく。
 以前見つけたのも、リリーナだ。それも、あいつの口調では初めてではない。
 ならば、俺は?
 何故、――見えた?
 以前ならば、確実に見ることが出来なかった青いポスト。
 それどころか、俺はリリーナにポストを指摘されても尚、興味すらわかなかった上、そこから、魔導や何かしらの異変を感じる事だって無かった。
 何故―――見えた?
 ひとり、自問自答するが、答えなど分かるはずも無く。それでも、思考は動く。
 
  ――――――俺は、変わったのだろうか、と。
 
  だが、もし、本当に変わったというのであれば、原因はあいつ。
 それだけは、確実だ。
 だから、賭けてみる。あいつの意見に。
 
 ストン
 
 何の躊躇もなく、手紙を青いポストへと入れた。
 その、直後。
「!」
 ヒイロの全身に緊張が走る。
 頭の上に何かが―――落ちてきた。
 
 
「風の精霊の子供ですね」
 リリーナの言葉に、一瞬、耳を疑いそうになる。
 あの場で現われたモノを、リリーナに見せた途端こんな始末だ。
 精霊の子供?
 俺の目から見ると、出来の悪いぬいぐるみ、または毛玉にしか見えない。 リリーナはベットで上半身を起こした状態で、風の精霊だというそいつを膝の上に乗せ、優しく撫でている。
 そいつは、体長が15センチくらいの青いモコモコとした毛玉のような生き物だ。大きな目まであり、リリーナの様子から察するに、愛嬌がある姿と言えるのだろう。鳥で言う、とさかと尻尾と足なのか、モコモコとした丸い小さな毛玉が本体である体についてもいる…。どういう体の構造なのか全く理解することが出来ない。
 こいつのどこが、風の精霊なのかと訊きたくもなるが、船の状態を考えると、信じないわけにもいかない。小さくても威力は強力だ。
 
「ですが、この子は弱っていますね。それも、とても」
「あれだけ暴れたんだ。当然だろう」
 自業自得だと、ヒイロはばっさりと切り捨てる。
 青い毛玉の体から発せられる魔導はとても弱く、リリーナの膝の上でもあまり動くことも無い。
 風を受けて進む船なんてものに魅了されて、捕らわれた風の精霊。
 山や川、森などの自然ではない船では、彼らを育むには圧倒的に力が足りない。
 
 言ってしまえば、運が悪かった。
 
 この様子ならば、放っておいても消滅する。
 これで全て解決だ、などと考えていたヒイロの思考に突然リリーナは割り込んでくる。
「助けましょう」
「助ける?どうやって。動物とかと訳が違う。傷を治せばいいというレベルじゃない。わかるだろう?」
「ええ。勿論です」
 熱で、瞳が若干潤んではいるが、リリーナの表情は真剣そのものだ。ヒイロはリリーナと視線を同じにするために、ベットの脇に置かれた椅子に座る。
「お前はわかっていない。こいつは死ぬしかない。精霊は生まれた場から動くことは出来ない。この精霊にとってはこの船がそうだ」
「そんなことはありません。この子が望んだ貴方ならば、受け入れられるはずです」
「つまり、俺にこいつと契約しろといっているのか?風の塊みたいなこいつと?」
「この子が新しく生きていける場所を見つけられるまでで構いませんから」
 リリーナは真剣に訴える。
 が、無常な声。
「無理だ」
「何故?」
「まず、俺がこいつと契約できるかどうかは別にしても。これは仕事の過程で出てきたものだ。だとすれば、俺はこれを、依頼人に渡さなければならない。これは仕事を行う上でのルールだ」
 それを破るようでは、この世界で相手の信用を得るなど無理だ。
 
 リリーナも、ヒイロの言うことは理解できる。
 自分が一方的に、どこにも行くなとピアスを対価に頼んだ件でも、ヒイロは夜、その日が終わる前に自分の所に来たのだといっていた。嘘ではない。証拠はピアス。ヒイロが来てくれた時、わたくしは眠っていたようだ。
 だからピアスを置いていったらしい。
 わたくしのではなく―――ヒイロがずっと自分の左耳につけていた方を。
 ヒイロの仕事に対する態度は、いつだって一部の隙も許さない―――。
 だが、譲ることも出来ない。
「では、この子はこの後どうなるのですか?」
 ヒイロは僅かに、告げることを悩む。もめることは目に見えている。
 おそらく青いポストのサンプルか何かとして、バートン財団のラボ辺りにまわされることになるだろう。
「ヒイロ!」
「兎に角、ドクトルSがそのうち来る」
 本当は、部屋に戻る前にドクトルSを尋ねたのだ。だが、手が離せないということで後に回されたのだ。ヒイロは悔やむ。
 やはり、リリーナに見せる前に事を運ぶべきだった。こんなことを言ってくるとは想像もしていなかったというよりも、有り得ない。
 デュオやカトルなどのように、世界には精霊と契約をしている高名な魔導士達はいるが、これだけ、確かに見た目は毛玉だが、ここまではっきりと形を持つ精霊ではない。
 大体、精霊だと言われない限り気付く事だってなかった。精霊は目に見えないもの。それが常識だ。
 それでも、精霊だというのであれば。契約だってリリーナならば、可能性もあるだろうが…俺では考えることすら馬鹿らしい。
 通常の精霊ですら、俺は契約が出来ないのだ。
 魔導のキャパシティが全く足りない。
 
 ヒイロは諦めろと言いきかせるかのように、首を横にふる。
「ヒイロ」
 リリーナの声が、視線を外すヒイロを呼ぶ。
「わたくしは、でたらめにこんな事を言っているわけではありません。貴方だからお願いしているのです」
 ヒイロは何と言われても駄目だと訴えるかのように、視線を逸らしたまま。
 その様子に、リリーナは瞳を揺らす。
 
 僅かな沈黙。
 リリーナは、膝の上で微かに動く風の精霊を指で優しく撫でる。
「わたくしには、この子が貴方を選んだ理由が良く分かります」
 ヒイロは瞳を僅かに細める。
「貴方からは、風の音がするのです」

 風―――相変わらず、こいつの話は意味が俺には理解しがたい。
「心地良い風、荒く厳しい風、湿った雨の香りのする風、優しい風。いろいろな風の音が………世界を駆けてきた貴方からは、世界の風を感じることが出来るのです」
 視線の先に、青い毛玉としか見えない風の精霊に触れるリリーナの指が見える。白く、細い。
 指だけだというのに―――、余りに悲しそうで。
 それは、握り締めてやりたくなるほどに。
 「貴方は世界の風たちを受け入れている」
 
 だから、ふとした瞬間。言葉が勝手に出た。
「―――お前がやれ。俺はやらない」
 視線の先のリリーナの指が一瞬ビクリとする。

 最大の譲歩。

 お前が風の精霊と契約しろと。それならば、見なかったことにすると。
 リリーナも、即、そのことに気がつき、喜びがあふれ出す。
 が、同時にわき起こってきたのは、現実。
「そうですね」
 苦笑。
 リリーナの声は、どこまでも沈むように静かだ。異変を察し、眉を歪めヒイロはリリーナを見る。
「リリーナ?」
 リリーナは何も答えず、視線を落とし、精霊を見る。
 そして、次、リリーナの発した声は、すぐ隣にいる俺ですら耳を澄まさねば届かない程に小さく―――
「これが、風ではなく、他の何かならば良かったのですが」
 泣いているのかと思った。
 急いで声を掛けようとするが、先を越される。それも、とても落ち着いた声で。
「風と両想いの貴方とは違い、わたくしは片想いだから、無理なのです。契約を結ぶことが出来ないのです」
「出来ない………?」
 リリーナはやはり、泣いてはいなかった――――。
「自分に出来ないことを、人に頼むなんて…無理を言いました。そうですね。別の方法を考えます」
 リリーナが笑顔でそんなことを言った直後、部屋の戸が開き、バートンが入ってきた。
 ヒイロは戸が開いた直後に反応し、自然な動きで置いてあったストールをリリーナに羽織らせることで、むき出しのままだった翼を隠すと、間に入るようにして立ち上がる。
 
「原因をつかんだそうだな?」
「ドクトルSは?」
 ヒイロの声はそれまでとは違い、どこまでも低い。
「親父との通信が済んだらくるだろ?それで、原因は青いポストだって?なんだそりゃ?」
 風の精霊を持つリリーナの腕に力がこもる。
「で、あんたが噂の連れ?」
 そう言うと、バートンはリリーナを覗き込むようにベットに身を乗り出そうとするが、すぐに阻まれる。
「どうしたヒイロ・ユイ?動きが随分と早いな?先程とは雲泥の差じゃないか?何だ?俺が女に近づくのがそんなに嫌か?」
 ヒイロは鋭い視線を向けたままバートンの目の前から、頑として譲らない。
「そうか。連れはお前の女って訳か?え?」
「そうだ。気が済んだのならば出ろ」
 ヒイロの声には感情が全くこもっていない。
 どこまでも感情を表さないヒイロに対し、バートンはどこまでも嘲るように笑う。
 そんなバートンの態度に、リリーナも怒りを覚え、一体突然何なのだと、声を出そうとしたその時。
「やめんか、トロワ」
 ドクトルSだ。
「待たせたな。さあ、ワシの部屋で話を聞こう。トロワ。お前も聞くのだろう?」
「ああ、勿論。この船は親父のだからな」
 バートンはどこまでも傲慢にそう言うと、笑いながらドクトルSに続くように出て行った。
 続けてヒイロも歩き出した途端、リリーナの手の中からそれまで殆ど動かなかった風の精霊が、その後を追うように飛び出した。
「あ!」
 唖然とするリリーナの目の前で精霊はヒイロの肩へと乗る。ヒイロもその事に気がつくが、止まることなくそのまま行ってしまった。
 
 一人部屋に残されたリリーナ。
 シーツをギュッと握り締め、唇を噛む。
 
 
 
  バートンは論外として、ドクトルSは、間違いなく気がついている。
 精霊だとかそう言うことではなく、良いサンプルだとして。
 これが最善。通常。常識。
 こいつと契約するなどと、考える方が異色。異常。アブノーマル。
 
  青いポスト―――風の音がするから見えた…。
 あいつの言うことは、本当に良く分からない。
 
  ドクトルSの部屋に着くと、カトルから電話が入っていると言われ、とりあえずそちらを先にする。青いポストの対処法を訊いたのだと、ドクトルSたちにも事情を話すと何の異論もなく、電話を優先することを許された。
 
 
「ポストごと撤去しろと?」

『ああ。過去も何度か、そんなことがあったみたいだけど、それが得策みたいだね。放って置いても、ますます酷くなって、飛行船が墜落したケースもある。放っておいても、そのうち解決するケースも有るみたいだけど。その点ポストごと排除すれば、その宿主も徐々に弱って消滅するから確実だよ。それでもしばらくは、大変だろうけど、これが安全だと思うよ。これで足りる?』
「ああ。十分だ」
 カトルからは、手紙を入れる案すら出てこない。
 ヒイロは、身を寄せるようにして肩に居る精霊に意識を向ける。
「カトル 風と片想いとはどういう意味か分かるか」
『片思い?君ともあろう人が、随分とまた突拍子も無いことを訊くね』
 カトルの反応はどこまでも一般的だ。
 それを確認したヒイロは改めて言う。
「あいつは、風と契約をすることが出来ないそうだ」
『ああ。そう言う意味か。彼女のことだね』
 カトルは、なにやら事情を知っているように、言葉を止める。
『ヒイロ、今回の報酬のことなんだけど、一つお願いしてもいいかな?』
 数秒後カトルは、どこか含んだようにそんなことを告げた。
「望みは?」
『君たちの次の行き先を知りたいんだ。何しろデュオからちょっと、休職を願い出られちゃったからさ、直接訊くしか無くて』
「何故?」
『それは訊かない約束だろ?』
 ヒイロは瞬刻迷うが、口を開く。
 こんなときのカトルを知っているから。
「サンクキングダム」
『サンクキングダム?』
「言えるのはそれだけだ」
『ああ、十分だよ。それで、さっきのことなんだけど…一度だけ聞いたことがある。本来羽ビトは人よりも風からずっと愛されている存在で、だから、飛べなくなった羽ビトは、そんな風との縁を、自ら一方的に切ったようなものだって』
 ヒイロの受話器をつかむ腕が僅かに揺れる。
『つまり、飛べなくなった羽ビトは、風に関する魔導をほぼ使えない者が殆どらしい』
 黙ったままのヒイロを気にすることなく、カトルは静かに語り続ける。
『片想い…確かに、上手い言い方だと思うけど、元々精霊は意思とか無いものだから、そうなると僕たち全て片想いなんだろうね。契約って言っても、僕たちがより多くの精霊を取り込めるようにするだけだから、別に彼らに好かれてやるわけではないし。どれだけのキャパシティが自らにあるかの問題だけだから。言ってしまえば、強引。人の一方的な想い。―――僕はこんな風に思うんだけど、君はどうかな?』
 ヒイロは黙ってカトルの言葉を聞く。
 これが普通。精霊の塊など誰も知らない。
 今、自分の肩に居るモノが精霊だと、――― 一体、世界のどれだけの者が気付くだろう?
 形を持ち、意思まである。
 
 両想い。
 
 そんなことを当たり前に言う、リリーナ。
 リリーナのレベルの違いを、何となく感じることとなった。
 
 それから少し話をして電話を切った。
 受話器を置いた後も電話ボックスを出ることが出来ない。
 
 目の前には青いポスト。
 これを取り外せば、解決らしい。精霊の死を持って。
 ここまで触れることが出来る精霊でも、死ねば消えるのだろうか?
「………………………」
 そんなことを考えながら、精霊を肩から青いポストへと移動させる。
 そして、しばし、黙ったまま精霊を見る。
 青い毛玉としか見えない風の精霊の方も俺をじっと見る。
「―――おい」
 風の精霊はその声に反応するように、僅かに身体を揺らす。
「あいつが言うには、お前と俺は両想いだそうだ―――」
 外部の音は一切せず、電話ボックス内は静寂で溢れている。そんな中で発するヒイロの言葉。
「お前が決めろ」

 ヒイロのどこまでも冷めた呟きに精霊は―――フェンと答えた。
 
 
  ドクトルSとバートンとに事件の経過の説明が済むと、そのまま甲板へと上がった。
 雪が混じったみぞれの様な雨が降っていた。
 陸地まで、もう近い。
 
  何のことは無い。
 風の精霊と契約をしたところで何の実感も無いのが正直な所。
 魔導があふれ出す訳でもなければ、風を受けても何の変化も無い。
 
 ただ、仕事上での契約を破ったことは事実。
 二度目―――。
 一度目は、かなり前。あのときは、躊躇も何も無い。譲れないことだ。
 ならば、今回は?
 
  悔いているから?
 あいつが飛べなくなったのは、己のせいだから?
 風との縁を切らせたのも自分だから?
  どうだろう―――。
 確かにそれもあるだろうが、たんに泣かれたくなかっただけの様な気もする。
 泣いた所など一度も見た事などないが。
 
 
  ヒイロは覚悟を決めるように息を吐く。
 頭を冷やすために甲板に出てきたが、いい加減戻らないと、あいつのことだ、俺たちを探しに来かねない。
 
  みぞれが雪へと変わろうとしていた。


2006/2/26


#18王と占星術師と王女

NEXT

inserted by FC2 system