LOVER INDEX

#22それぞれの事情


 一面の雪に―――緋。



 おかげで夜だというのに、よく映える。
 ミス。
 ああ、しくじった。俺のミスだ。


 カチャン

 戸を開けた途端、高い吹き抜けの広間。壁は全て紫と黒で統一され、その風貌は、下品ではなく、どこまでも豪華。
『バイオレット・バタフライ』
 この大陸でも有数の高級娼館。
 早速二人の女が奥から笑顔でやって来た。
 流石、バイオレット・バタフライ。全身血塗れの姿でも、顔色一つ変えることも無い。通常の宿ではこうはいかない。それどころか、軍や警察に通報されるのが落ちだ。
 
 この血は、勿論俺の血ではない。返り血だ。
 手強かった訳ではなく、地面が雪の為に予想以上に踏ん張りが利かず、返り血を避けるのが遅れた。それがこの結果。
 腑抜けている。それ以外に、表現の仕様がない。
 
「部屋を借りたい」
 それを伝えると、早速案内すると、エレベーターに案内された。
 エレベーター内も―――紫と黒。
 趣味をどうこう言う前に、――目が痛い。
 
 
 
 寒い。
 宿の中でこれだけ寒いと言うことは、外はもっと寒いと言うことだ。
 窓から外を除くと、未だに雪が降り続いている。
 外はそんな状態だと言うのに、ヒイロは少し前に出て行った。
 娼館に行くそうだ。
 こういうのをきっと、物好きというのだ。
 
 
 それにしても寒い。
 ベットから毛布を取ると、身体に巻きつけ、そのまま寄り掛かる。
 ゼロに。
 ひんやりとして、冷たく、硬い。
「ゼロ」
 ゼロに寄り掛かった体勢のまま、呼びかけた。
 そんなわたくしの声をゼロは、拒絶することも無く、いつもと同じように無言のまま聞いている。
 
 この大陸に渡ってからゼロは必ず、わたくし達と同じ部屋に運び込まれた。倉庫に置いておいたのでは、突然何かあったとき、ゼロのエンジンがこの寒さで動かないためらしい。
 ゼロを同じ部屋に持ち込むことに何の異論も無かった。
 ゼロは、わたくしにとって―――大切な仲間で、友で…。
 わたくしは、ゼロがとても好きだから。
 
「静かですね。とても」
 外をたまに通り過ぎていく車の音すら、あまり聞こえないほどに静かだ。ラジオもこの雪のせいなのか、電波を上手くひろう事が出来ずに、雑音ばかりだった。
 部屋にはパチパチと薪が燃える音だけが響く。息を吐いた。
「ゼロ…ここからEARTHまでは、一体どれくらい離れているのでしょうか?」
 わたくしのそんな言葉にゼロは、想像も出来ないような正確な距離を答えてくれた。
「つまり、かなり来たと言うことですね。フフフ…」
 笑い声が漏れた。
 ゼロは何も答えない。
 でも、これはいつものこと。わたくしとゼロの話は、初めて会った時から、こんな感じなのだ。わたくしが一方的に話し、ゼロはそれを聞いているといった、関係。
 ゼロとはこんな風によく、取り止めの無い話をする。
「こんな雪国でもゼロは難なく走れるのですね。驚きました」
 雪用に調整をくめば、相当な状況で無い限り走れると答えてきた。内容はちんぷんかんぷん。
「そんな調整が出来るなんて、ヒイロはゼロの事を良く知っているんですね」
 ゼロは、それがどういう意味での、知っている、ということなのかは理解できないが、ヒイロとはそれなりに長い付き合いだと答えた。

「前にも訊きましたけど、ゼロはヒイロとずっと昔に出会ったのですよね?いつごろ出会ったとか、詳しいことは教えられないと言っていましたけど」
 教えたくないのではなく、出来ないのだという。不可能なのだと。
 それは、主人であるヒイロに関する規約に引っかかるためとか何とか。変なところで、ゼロはやはり機械人形と同じなのだと感じさせられる。
「じゃあ、今日は別のことを。ゼロがヒイロと初めて会ったときは、もう青いピアスをしていました?」
 ヒイロは拾ったと言っていた。何度訊いても拾ったと。
 だったらどこで拾ったのだ、と場所を訊きもしたのだが、そんな昔のことは覚えていない、とあっさりと言われてしまっては、仕方が無い。話はそこで終わった。
 しかし、ゼロもヒイロと同じようにあっさりと答える。
 出会ったときはまだしていなかったと。

「では、ゼロと出会ってから拾ったのでしょうか?」
 そんなリリーナの問に、ゼロはそうではないと言う。現在のように、左耳にピアスをつけていなかっただけで、ただ持っていたのだと。
「そうですか…ゼロと出会う前のこととなると、調べようがありませんね」
 リリーナはそっと、右耳のピアスに触れる。
 ある日、無いことに、気がついたのだ。
 いつ無くなったなんて、まるで気が付かないうちに無くなってしまっていた。
 何日何日も、部屋を永遠探したが見つからなくて。とっくに諦めていた、ピアス。
 
 特別高価な物では無いらしい。
 何か特別な魔導が込められているわけでもない。
 だからこそ、OZに取り上げられず、残された唯一の物。
 物心ついた時には、既にこの世には居なかった両親の形見だ。
 
 会ったことが無い。
 だから、両親と言っても…どこか身近に感じることが無い。
 
 それでも、ピアスは大切なもの。
 
 そんなことを考えていたとき、本当に何の前触れもなく―――
「わぁぁぁ!」
 宿の下階から響く、男の声。
 今晩の泊り客はわたくし達の他は、二組。小さな宿なのだ。雪が深く、街に着いたのが遅かったために、この宿しか空いていなかったのだ。
 そんな宿の下階からの男性の叫び声。
「何でしょう?」
 リリーナはすくっと立ち上がると、ゼロの静止も聞かずロビーへと下りて行った。
 この事態にゼロは、ヒイロに連絡を入れるべきか判断を迫られた。
 しかし、直ぐにリリーナが戻ってきた。
 後ろに、叫び声の原因だったと思われるものを引き連れて。
「ゼロ。ヒイロは今何処に居るのでしょうか?緊急事態です」
 

 
 部屋番号『D』。
 デラックスルーム。
「他の部屋は現在満杯なの」
「別に構わない」
「流石、素敵なお兄さん!でも、美人の人気ナンバーワンを用意しますから」
 ヒイロはその言葉には何の返事もせず、血塗れの手で鍵を受け取ると、案内してきた女を廊下に残し、部屋に入った。
 デラックスルームと言うだけあって、部屋は無駄に広く、豪華そのもの。
 しかし、ヒイロはそんな物には目もくれず、一直線にガラス張りのバスルームに向う。
 元々、全身に浴びた返り血を洗い流すために来たのだ。髪にこびり付いた血は外の寒さで、既に凍っている。
 黙ったまま、靴を脱ぎ、手袋を片方ずつはずしていくが、肌に凍りついた血がこびり付いていて、上手くはずすことが出来ず、非常に面倒なことになっている。
「……………………」
 部屋にはパリパリといった、音が微かに響くだけ。
 
 娼館はこういった理由で、たまに利用する。
 血が身体に残っている状態で宿に戻ることなど、論外。
 そんなとき、高級娼館は役に立つ。秘密を商売にしている彼らは、こんな血塗れの姿だろうが、進んで口外することはない上、理由さえも訊いては来ない。秘密厳守にかけては、そんじょそこらの傭兵や組織など比べ物にならないほど。

  しかも、これ程の高級娼館ならば、適当な服を簡単に手に入れることも可能だ。
 この宿は金が物を言うのだ。全く便利な世の中だ。
 
 こんなことをリリーナが聞いたら、今にも怒り出す姿が目に浮かぶ。
 知らずうちに、フッと苦笑が漏れていた。
 血塗れの姿で戻らないのだ。
 だから、少しは、譲れと。
 そんな時―――
「!」
 咄嗟に、腰から銃を抜く。
 遅れてノックオン。
 先程、この部屋に案内してきた女が言っていた、この店、ナンバーワンの娼婦でも来たのだろう。娼館は必ず、値を少しでも吊り上げようと、こいつはナンバーワンだと言って紹介してくるのだ。
 俺は、戸に向って入室の許可を出した。
 
 これが無ければ、娼館はこんな状況のとき、この上ない最高の場所だと思うのだが、仕方が無い。
 娼館に来て、女を買わないと言うことは、店側としても許さない。部屋の価値ではなく、女で値が決まってくるのだと。

 シャワーを浴びている同じ部屋に、娼婦が居るなど、鬱陶しいことは確かだが、それでも、追っ手たちが居る場合、良い目くらましになると考えれば、それなりに意味もあるように取れることは確か。
  追っ手の奴らに、適当に娼館で女と寝ていると判断された方が、都合が良いに決まっている。
 娼館に追っ手をひきつけたまま、宿に戻り、気が付かれないうちにその街を出ればいいのだから。
 
 ノック音の後、入ってきた予想外の人物に、思わず額に皺が生まれた。
 先程の女の言葉は嘘ではない。入ってきた人物は間違いなく、『バイオレット・バタフライ』のナンバーワン。
 背に、大きく、立派な翼を持った、生粋の羽ビトだった。
 
「ミディー・アンと申します。身体を洗うのを手伝います」
 ミディーはそう言うと、バスルームに向かって来ようとするが、ヒイロが止める。
 何もしなくて良いと。黙って、そこに居ろと。それに対し、ミディーは反論することなく、素直に従う。
「着替えが必要だと思い、お持ちいたしました」
 言わずとも、欲しい物が手に入る。本当にここは、気が利く。
 そしてヒイロは、それ以上は無用とばかりに、バスルームと部屋を隔てるガラスの壁に、シャワーカーテンを勢いよく引く。
 
 
 
「は?」
 全身黒いコートに包まれた大柄な男達が怪訝な表情を浮かべる。だから、リリーナは再び同じ質問をした。
「ですから、ここにヒイロという人が居るでしょう?その人をここに連れてきて欲しいのです」
「いや、そうでは無くてですね、お嬢さん。ここが何処だかお知り?お客様の情報は教えられないの。分かる?」
 男は、ニヤニヤと答える。
「緊急事態なのです」
「緊急だかなんだかでも、駄目なんだよ。規則でね。何?あんた、そのヒイロって奴の彼女?浮気でもされてんの?」
「何なら、俺たちが慰めてあげようか?」
 しかし、男たちの会話に、まるで無視する様子のリリーナ。
「そうですか、駄目だと言うのならば、わたくしが勝手に調べます。ありがとうございました」
 リリーナはそう言うと、男たちの間を通り過ぎ、戸に手を掛けるが、直ぐ横から出てきた太い手によって戸を抑えられる。
「あらあら。うちは、女の子のお客さんは相手にしていないんですよ」
 男の力は相当な物で、戸はびくりともしない。
 男達はまるで、譲ろうとしない。なので、さっさと次の手にでることにする。何しろ、男たちにも言ったが、こちらは緊急事態なのだ。
 ヒイロへのお客を、共に連れているのだから。  
 
  リリーナは戸から手を離し、建物から僅かに離れる。そんなリリーナの後をのそのそとついていく、彼女曰く、ヒイロの客。
 全身を防水コートで覆われている。ゼロから宿を出る際、せめて姿を隠すよう忠告を受けた為だ。そこで、防水コートを無理矢理、着せるというよりは、体に巻きつけさせてきた。
 
  そんな客と共に、娼館から数歩離れた所でピタリと立ち止まるリリーナ。
 男達は、訳もわからず、顔を見合わせる。
 そんな男たちを一切気にせず、リリーナは宿を見上げ―――そして
「ヒイロ――――!!」
「「!」」
 辺りに、突如響くリリーナの大声。
 通りを歩く人々の視線が集まろうが、男達が突然のリリーナの行動に慌てふためこうが、更に凛と響く声。
「貴方に手紙が届いているのです!」
「あんた!」
「お嬢さん!」
 
 
「両手を上に」
「………………………」
 目の前には、銃を握った羽ビトの女。
 サイレンサーつきの銃を反らすことなく、バスルームからインナー姿で出てきた途端、向けられる。
 銃は他の服と共に洗面台にホルスターごと置いてある。
 インナー以外は、全て血がこびり付いているのだ。銃やホルスターも例外ではない。そんなことを一瞬考えたが、今は服のことよりもこの状態が最優先と、頭を無理やり切り替える。
 どうしたものか―――。
 そんな黙ったまま、まるで動く気配の無い俺に女は声を更に上げる。
「早く!少しでもおかしな真似をしたら、構わず撃つわ。女と違って、あんたには生死の有無は問われていない。例え、銃声が起こっても、この部屋は完璧な防音だから、誰も来ない」
 苛立っているわけではない、威嚇しているのだ。
 打開策を練りながら、素直に手を上げる。
「すぐに、仲間が来るわ。それまで大人しくしていて」
 ミディーは淡々と言い、ヒイロはそんな彼女をどこまでも冷めたような視線を向ける。
 
 
 
「初めから、入れてくだされば良かったのです」
 リリーナはムスっとした様子で告げる。
 建物の周りで大声を出されては迷惑だと、しぶしぶ娼館の中に入れてもらえたというわけだ。
 戸を開けると、全面紫と黒という、不思議な空間が広がっていた。
「ボーっとしてないで、入って入って!」
「ああ、はい」
 リリーナが中に入るとその後ろをヒイロの客も、のそのそとついていこうとするが、途端に止められる。
「ああ!駄目駄目!犬は中に入っちゃ駄目」
「犬!あ!…ですが、お願いします。この子を一人にしておくと大変なことになりますから」
 リリーナが、そんな言い合いを男としているのを横目に、ヒイロの客は我関せずとばかりに、さっさと建物の中に入っていた。
「もう、入って居るのだからいいでしょう?」
 そんなことを言いながら、微笑むリリーナに男は、苛立ったようにさっさと部下を呼ぶ。
「客の中にヒイロって男はいるか?直ぐ調べろ」
「え?いや、でもお客の名は偽名の場合も…」
 部下は当然そんなことは理解しているだろうと、困ったように聞き返してくるが、男はいいからさっさと調べろと指示を出す。

 そんな彼らの横では、辺りを興味深げに見回すリリーナ。さらにその横では、ヒイロの客が防水コートを羽織ったまま辺りの匂いをかぎ、勝手にうろつき始める。
「あ!お譲ちゃん!ちゃんと、その犬じっとさせておいてくれよ!直ぐ調べるから!」
「ああ。はい。すみません」
 リリーナは匂いを変わらずかぎ続けているヒイロの客の首に両腕を回し、ずるずると引っ張って来る。それに対し、ヒイロの客は絨毯に爪を立て、抵抗する。

 ぎぃぃぃぃぃいぃぃぃ

「ああ!絨毯が!」
 娼館の男が、半分悲鳴に近いような声を上げるが、とき、既に遅し。
 ヒイロの客はリリーナに強制的に引っ張られ、壁まで辿り着き、絨毯には深々と爪の後。
「ふう」
 リリーナが、一仕事終えたとばかりに息を吐く。
「ふうじゃないだろ!」
 男は怒鳴り声を上げ、頭抱える。
 そんな所に部下が、やはり名は無いと報告しに戻って来た。
「ほらな。これで満足だろ?」
 男はリリーナにさっさと出て行けと笑顔で告げてくるが、効果は無い。
「では、少しで構いませんからわたくし達にも調べさせてください」
「……………………………」
 唖然とする男を放ったまま、リリーナはさっさとヒイロの客と共に娼館内を移動し始める。
 
 
 OZではない。まず、銃の構え方も、型も違う。
 仲間―――どこの組織だ。単独の賞金稼ぎ等ではない。
 銃の構え方は、それなりにプロ。
 銃がそらされる気配が無い。だが、俺が動けない理由はこれだけではない。女の手により、魔導が辺りに張られている。
 おそらくは初めから張られていたのだろう。
 その為、身体の動きが明らかに鈍く、だるい。行けない事はないが…チャンスをうかがう方が確実。
 今夜はとことん、ミス続き。
 
 
「天下のヒイロ・ユイがこんな形で捕まるとは―――娼館で女に、お笑い種ね」
「……………………………」
 ヒイロの表情はピクリとも動かない。そんなヒイロの様子にミディーは思わず笑みがこぼれる。
「羽ビトに弱いって噂は本当だったのね。組織でも有名だもの。昔から殺せないんでしょ?ヒイロ・ユイ?」
 フフフとミディーは片手で自らの大きな翼に触れながら、ヒイロへと視線を向ける。
 
 
 
 
「ちょっと待った!この先は駄目だ」
「何故です。この先のあの部屋です。間違いありません」
 リリーナは階段のとある階に着くと、奥の部屋を指差す。
「駄目駄目。あの部屋は特別客なんだから」
「だったら、貴方が今すぐ呼んで来て下さい」
「呼んで来いって…大体、最中だったらどうすんの?」
「最中…………やはり、迷惑でしょうか?」
「どう考えたって、迷惑でしょう!」
 男の言葉に、流石のリリーナもどうするべきかと、困ったように視線をヒイロの客へと向けるが―――居ない。
「あら?」
 驚いたように、キョロキョロと辺りを見回すリリーナ。
 そして、見つける。
 ヒイロの客が、ひとり戸へと向っていた。その様子に男が、声ではない声が出、咄嗟にその身体に手を掛ける。
「お嬢さんの犬でしょ!止めてよ!」
 男はそんなことを言っている間にも、ずるずるとヒイロの客によって引っ張られていく。
 とんでもない力だ。
「あ、ああ、はい。でもわたくしの犬ではないんですよ。それに、その子は犬でも…」
 リリーナが男とヒイロの客の元に辿り着く前に、はずれてしまった。
 男の手によって引っ張り続けられた、防水コートがヒイロの客から―――。
「あ!」
「……………………………」
 僅かに焦るリリーナに対し、全てが真っ白になる男。
 二人の目の前に居るのは、黄金の毛並みの持ち主。
 太い足にたずさえる鋭い爪―――百獣の王。
 
 
「わぁぁぁっぁぁぁあぁぁ!!!!!」
 最高の防音設備をも打ち破り、娼館全部に響く、男の叫び声。
 
 
 何だ?
 廊下で起きている何かの異変に、ヒイロが僅かに不信な表情を浮かべる。ミディーも気にしてはいるが、銃を構えたまま魔導を解除する気配も無い。
 確かに先程から廊下からの人の気配はずっと感じてはいたが、他の客が部屋の前を通りすぎているのだと、大して気にしてはいなかった。 だが、今の悲鳴に続き、音は確かに聞こえないが明らかにバタバタとするような気配が収まることが無い。
 OZの追っ手だろうか?
 女の様子から、仲間ではないらしい。
 
 明らかに、厄介な事態。
 廊下の事態がつかめない中、目の前には羽ビトの女。
 こちらに向け構えている銃は問題無い。問題なのは魔導。
 目を見張るほどに強力ではないが、癖がまるで読めない。
 おそらくはこれが、女の強み。
 ―――聴覚に意識を集中し、気配を全身で探る。
 扉の向こうの廊下には、先程の叫び声で人がますます、集まってきているようだ。
 そんなとき、ミディーが動く。
 魔導を更に放った。
 
 
 
「え?」
 わたくしたちをここまで案内してくれた男の叫び声で、驚いて集まってきた人々の全てが、何の前触れも無く、一斉に崩れ落ちるようにして、その場に倒れていく。
 まるで事態が掴むことが出来ない。
「危ない!」
 わたくしが、咄嗟にその者の腕を掴まねば、そのまま階段を頭から転げ落ちていった。
 しかし、腕を掴むその人物の意識はまるで無く、ぴくりともしない。そのため、階段から転げ落ちないよう、壁にもたれかけてから辺りを今一度、見回す。
 動いている者がひとりも居なかった。唯一、わたくしと共にここに来たヒイロの客のみが、抵抗するように動いていた。目を覚ますよう、頭をブルブルと左右に振っていた。
 
  そんな行動で気がついた。
 魔導だ。
 あまりにも微々過ぎて、まるで気が付かなかったが、魔導だ。
 それさえわかれば問題はない。
 すぐにヒイロの客へと近づき、すっと、その背を手でさするようにして、まとわりついていた魔導を解除する。
 
  そんなヒイロの客と共に急いで、奥の部屋へと向かい
 
  バァァン!
 破れんばかりの勢いで、戸が開く。
「ヒイロ!」
 
  俺と羽ビトの女ミディーの視線を受け、戸に立つのはリリーナ。
 
  思考が止まるとはこういうことを言うのだ。
 驚くことすら忘れ、ただ視線があった。
 リリーナと――そして、そんな彼女の横に居るのは、一頭のライオン。
「…………………」
 そんなリリーナたちを俺は、どんな視線で見ていたのだろう。
 珍しくリリーナの方が余程、焦り、驚いた様子でどこか口ごもっている。
「あ!ヒイロ!これはその!」
 横のライオンを撫でながら、何か言っている。 流石のリリーナも、こんな場所にライオンを連れてきたことに多少なりとも、悪いとは思っているらしいことが理解出来たので、ライオンを連れてきたことに対して、何か言うことは止めておく。
 それにしても、どうしてあいつの横にいると、百獣の王だと世間では言われている獅子が、これほど情けなくなるのだろうか――。
 
 そんなことを考えていると、大して聞いていなかったが、リリーナの言い訳が終わる。
 当然だ。俺は今、目の前の羽ビトの女。ミディーと対峙中。臨戦態勢真っ只中。多少は、別のことも考えてはいたが。

 ミディーは唖然として、リリーナを横目で確認しているが、対するリリーナは言い訳中、気にもしない。
 気がついたのは、言い訳後。
「…………………………」
 リリーナとミディーの視線が合う。
「羽ビト―――銃…賞金稼ぎですか?」
 リリーナが驚いたように訊いて来る。
 大体、見ればそんなこと分かるだろうと、言いたくもなる。しかも、本人目の前に、よくそんなことを堂々と訊いたりするものだと思いもするが、とりあえず、まあ似たようなものだと答えることで、ようやくリリーナも事態を悟ったようで――。
 
  悟った後の彼女は、どこまでも早い。
 
  右腕をすうっと横に引いて、事態はあっけなく終わる。
 ミディーは金縛りにあったように、指一本動かすことすらかなわないようで―――。どこまでも、唖然としている。
 素直にリリーナの腕は賞賛に値する。
 魔導の癖がどうだとか、そんな物は一切関係が無い。強い。
 
  しかし、そんな俺の感想など一切関係なくリリーナがやって来る。
「ヒイロにお客さんなのです」
「客?」
 まさかお前の横にずっと居る、そのライオンが客と言い出すのではないだろうな…と、思っていたが、間違いなく、そうらしい。リリーナが、俺に対して威嚇をするようにうーうーと、うなり声を上げるライオンの首に腕を回し…話しかけている。
 今にも俺に、襲い掛からんばかりの勢いのライオン。
 
 本当に、俺の客なのか?などと、俺の思考は動くが、黙ったまま耐える。そんなことを言おうものなら、今度はリリーナが何を言い出すか分かったものではない。
「彼がヒイロです。だから、取りますね」
 リリーナはそう言うと、ライオンの首に巻きつけられた首輪から紙を取り出している。その間、ライオンは大人しい。相変わらず、怪しい限りだが…会話が通じているのだろうか…?
  いや、そんなことよりも先にやっておくことがあったはずだ。そう思うと黙って、洗面台に置かれたままだった銃を取り、腰に付ける。この女の仲間がいつやってくるかわからない。
 俺がそんなことをやっているところに、リリーナが紙を差し出してきた。中身を見ると、驚きだが本当に、俺宛だった。
 手紙の封は開けられてもいない上、封には名も書かれてはいない。
「…………………相変わらず、すごいな」
「はい?」
 リリーナの疑問には答えず、手紙を読む。
 差出人は、トロワ・バートン。
 この間、船で出会ったトロワ・バートンではないトロワ・バートン。
「スミマセン。この子が緊急事態だと言うから、急いで来たのですが、なかなか建物に入れてくれなくて…」
 …それはそうだろう。娼館にお前みたいな奴はなかなか入れてはもらえないだろう…。大体入れてもらえたとしても、逆に何をされるか分かったものではない。
「わたくしもどうしようか迷ったのですが、わたくしが読もうとしても、怒って、取らせてもらえなくて」
「…………………………」
 無理にライオンから奪い取って、怪我などされるよりは、確かに来てもらった方が良かったには良かったが…こんな所には、二度と来るなと、後で伝えねば。ゼロにも二度と口を割るなとプログラムを組みなおす。
 だが―――。
「確かに、これは急ぎだな」
 手紙を見ながらつぶやくように言うヒイロに、リリーナは至極満足したようにうなずく。
「そうでしょう!」
「ああ―――だが、少し遅かったな」
「はい?遅かった?」
 きょとんとして聞き返すリリーナに、俺は丁寧に答える。
「バートン財団の刺客が来るそうだ」
「え!?え?遅いっというか、刺客って!ええ!彼女のことですか!」
 リリーナは自分で言いながら、事態を確認している。
 俺はそんなどこまでも驚いているリリーナに、ミディーにかけている魔導の一部を解除し、話せるようにして欲しいと言う。
 
「バートン財団の者だったわけか」
「バートン財団が貴方を許すと思って?」
 ミディーの言葉に俺は内心で、確かにそれは無いな、と同意の意を示す。

 そんな二人のやりとりに、リリーナは驚愕の視線を向ける。
 バートン財団といえば、この間自分たちが乗せて頂いた船の持ち主だ。そんな者たちが自分たちを追わせている。
「何故、貴方のような人が…―――?」
 リリーナが、どこか悲しげに言うが、ミディーはそんな彼女とはまるで正反対。
「何?信じられない?こんな翼を持った私が刺客だって。羽ビトは天使だとでも思った?幸せね」
 ミディーは、どこまでも淡々と答える。そんなミディーの様子にリリーナは更に信じられないと、表情が明らかに曇る。
「羽ビトだって、盗みもすれば殺しもするわ。生きるためだもの。当然でしょ?わたし、あんた達みたいに幸福じゃないもの」
 だが、そんなことを言うミディーは一見、リリーナを馬鹿にするように告げるが、自らをどこか嘲るように言う。
「……………………………………」
「誰も助けてくれない。だから、人を沢山殺して。私には、家族も、暮らしもあるんだもの。でもね、これだけやっても手に出来るのは、三人の弟たちと病気の父がなんとか食べていける金額なの。わかる、幸せなお嬢さん?」
 そんなミディーをリリーナは悲しそうに見つめるが、そんなリリーナの横でヒイロの瞳はどこまでも冷めている。
「言いたいことはそれだけか?」
「―――そうよ。ヒイロ・ユイ。どうせあんたたちを連れて行けないとなれば、ただでは済まない。好きにすれば良いわ」

 どこか吹っ切れたミディーにヒイロは―――
「さっさと、行け」
「…………………」
 余りに予想外の返答に頭が真っ白になる。
 しかし、ヒイロは既にミディーには興味が無いと言ったように、ベットに置かれた、ミディーが初めに持ってきた服を手に取る。流石にタンクトップとスパッツ姿のインナーのままではこの雪が降る中どこにも行くことができない。
「ヒイロ・ユイ!馬鹿にしているの!」
 ミディーの怒鳴り声が響き渡るが、ヒイロは黙ったままだ。 そして、そんな二人をリリーナもただ困惑したように見比べるのみで。
「私が羽ビトだから?羽ビトが殺せないから?羽ビトに弱いって理由だけで私は選ばれ、そして生きて帰る!こんな屈辱はない!」
「別に羽ビトだから、生かしているわけではない」
 ヒイロがゆっくりと振り向くと、リリーナから先程受け取った手紙をミディーへと差し出す。
 そんなヒイロの姿を見て、リリーナが慌ててミディーにかけていた魔導を解く。
 それにより、ミディーは若干戸惑いつつも、手紙を受け取ると、中身を見る。


「……………………………嘘…嘘…」
 ミディーの瞳は大きく見開かれている。
「名無し……トロワ…―――」
 ミディーが、本当に微かな声でつぶやく。
 そんなミディーの呟き聞き、リリーナは困惑の表情を浮かべる。
「トロワ?」
 あの?
 この間、バートン財団所有の船に乗ったときに出会ったトロワ・バートンのことだろうか?その人物から、ヒイロに手紙? 足元のライオンを見る。
「……………………………」

 いや、やはりどう考えても、それは無い。だって、ヒイロとトロワの関係は最悪だった。そんな彼が何故ヒイロに、刺客が来るなどと忠告をするだろうか。つまりは別の人物なのだろう。
 ヒイロと、目の前の彼女の共通の知り合い。一体トロワは何人居るのだろう。ヒイロが全く説明してくれないおかげで、ややっこしいこと、この上ない。
 
 そんなリリーナの視線の向こうでは、手紙からミディーは、顔を上げることすらしない。
 一心不乱に見続け、どこか放心している。
 少し前まで感じた、刺々しい態度は微塵も無い。
 
 そんなミディーをヒイロは黙ったまま見る。
 
 手紙の内容は、バートン財団から刺客が送り込まれること。そして、その刺客として選ばれたひとり。ミディー・アンは自分と古い知り合いで、できれば上手いこと、ことを運んで欲しいと手紙には書いてあった。
 トロワ・バートンからの頼み。
 貸しがある。それも大量に―――。
 偶然か、必然か。
 一番初めに出会ったバートン財団の刺客が彼女だったと言うだけのこと。
 船に乗ったせいで、バートン財団に事情が知れ渡ったようだ。
 ドクトルSにも、忠告をされたこと。
 だからある程度覚悟はしていた。これは想定内。
 おそらく、ドクターJにもこの事は知れているだろう。人を
 喰った様な笑みを浮かべる老人が苦労せずとも、脳裏に浮かぶ。
 バートン財団。昔、俺が居た組織だ。
 ドクターJが居た組織がバートン財団だったのだ。
 そこで多くのことを学び、実行し―――破壊した。
 ヒイロは瞳を閉じる。

 ―――組織の殆どを、その復活が困難なまでに破壊した。

 確かに、そんな俺を許すはずも無い。
 それこそ、許すなどと言って来た日には明らかに罠だと、俺は信じもしないだろう。
 瞳を開けた。
 
  羽ビトの女、ミディー・アンの瞳には、涙が浮かんでいた。
 そんなミディーの様子に、ヒイロは、どこか嘲るように内心、愚痴を吐く。
 助けがない?
 よく言う。
 
 
 ミディーが部屋から何も言わずに出て行った。
 
  部屋に残される、ヒイロとリリーナとライオン。
 娼館全体にミディーによってかけられている魔導は、しばらくは解けない。
 リリーナならば、解く気になれば解けはするだろうが、刺客が襲ってくるからと、しばらくはこのままにして置くのが良いと先程俺が言ったために、これだけの高級娼館だというのに、どこまでも静寂。
 大金を払い、娼館に来た奴らは、目覚めたら朝。なんて事態もありそうだが、諦めてもらうほか無い。
 
  そんな、それこそどうでも良いことを思いながら、上着を着ようとしたとき、リリーナがある物を持って、横に立っていた。
「怪我をしたのですか!?」
 とことん今夜は駄目だ。
 リリーナが手に持つのは、血にまみれた俺の服。
「…怪我はしていない」
「だったら!」
「俺の血ではない。いいから、そんな物はさっさと離せ」
 奪うようにリリーナの持つ服を取り上げる。そんな俺の態度にリリーナが明らかに不満そうな表情を浮かべているが、相手にしない。
 俺は黙ったまま、服を着続ける。
「賞金稼ぎですか?」
「……………………」
「それともOZですか?」
「……………………」
「刺客ですか?」
「……………………」
 
 俺が一切答える気がないという態度を示そうが、リリーナも退く事がない。
「襲われたのならば、呼んで下さればすぐに駆けつけました」
「必要ない」
 どこまでも突き放すように言うヒイロに、明らかに憮然とするリリーナ。ヒイロは、話す気が本当に無い。
 何故ここまで、話そうとしないのか理由が分からない。
「確かにヒイロは強いです。少しくらいの者に襲われても心配は無いのかもしれません。ですが、いつもはあれだけ直ぐに場所を移るだとか、気を抜くんじゃないだとか神経質なくらい、気にする貴方が、賞金稼ぎやOZ、刺客に襲われている状況だというのに、こんな所に何をしに来たのですか?」
「……………………………………」
「娼館ですよ?」
 そんなこと確認されなくても理解していると、説明する気にもならない。
 その間リリーナは、こんな状況で襲われたらどうするんだとか、危険だとか、いくら物好きでも少しは自嘲すべきだとか、中には訳の分からん忠告もあるが、大体はいつも散々俺が逆にあいつにいい続けていることを言ってくる。
 
 
 それでも黙って、何の反論も示さない俺をどう思ったのか、リリーナも僅かに黙った後、とんでもない事を言ってくる。
「そこまで黙っているということは―――…答えられないようなことをしていたのですか?」
 その物言いに、どこか棘があるように感じるのは俺だけだろうか?
 娼館で答えられないようなこと?
 ―――いっそのこと、試してみるか?とでも言って、リリーナの反応を見てやろうかとも思ったが、止めておく。
 それでもせめて、優しく。そっと、出来るだけ抑えて――答えてやる。
 ああ、そうだ、と。
 人に言えないようなことをしていたのだと。
 俺があまりにあっさりと答えたせいか、リリーナの表情が虚をつかれた様に、心底驚いた物へと変化したかと思えば、次は頬を赤らめる。
 
  それっきり、リリーナは静かになった。
 唯一、邪魔をしてすみませんでした、と、どこまでも論点のずれた、詫びを入れられたくらいだ。
 
  娼館の外に出ると、ライオンは勝手にどこかへ走っていった。猛獣使いとは言え、二度と獣に伝言を頼むなと、次会ったとき、確実に一言いってやらねばなるまい。
 
  外に出ると、深夜でも雪は変わることなく降り続いていた。
 
 




2006/5/12


#23冷たくない雪―序章―

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