LOVER INDEX
#23冷たくない雪―序章―
完璧だと、―――いつ間にか、勝手に思い込んでいた。
倒れることなど無いと…
雪が止む気配がまるで無い。
手が、足が、まるで何も感じないほど冷え切っている。
だというのに、まるで寒さを感じない。
心の方がずっと、冷えている。
今、ここで座ったら、二度と立ち上がれない気がする。
だから、立ち続けた。
理由など本当にそれだけ――――そんな理由しかない。
結局、わたくしは自分のことしか考えていないのだ―――。
EARTHを出てから、約一月。
辺りはすっかり雪景色へと変わった。一番最近の目撃情報があった場所から探る。微かな揺らぎさえも見逃さない。
部屋全体に描かれた魔導陣に天井から吊るされた、儀式用の星。
人探しは、好きではない。
やはり戦場で、戦略を練っている方が格段に好きだ。相手の動きを術で感じ、戦略を練る。自分の一言で戦況が一気に変わるのだ。これほどぞくぞくと、全身を感じさせることは無い。
しかし、そうは言っても今回の人探しはわけが違う。
必ず、この先、当の人物は戦いの中心になり、血が吹き荒れる。
これは占星術で読むまでも無く、確定した未来。
そんな時、不意に場が乱れた。来客だ。
ゼクス・マーキス。
彼では仕方が無い。緊張を解き、意識を切り替える。
「どうだ?調子の方は」
「悪くはありませんわ。何しろあの方の輝きは、半端ではありませんもの。黙っていても、軌跡が見えてきますわ。それを辿っていけば。時間の問題でしょう」
ドロシーは何の問題もないと言った感じで言う。
「それは頼もしいな」
「ですから、あと少し、彼らの居場所の特定が確実となったら、私たちも下に降りるのが賢明ですわ」
今いるのは空高い、飛行船。ここからではいくら場所をつかめようが、追い詰めるのは困難。
姫君の横には最強の騎士がいる。
ドロシーの口が、微かに笑みの形へと変わる。
「このドロシー。一刻も早くお二人にお会いしたいですわ」
フフフと、声をたてて笑うドロシーにゼクスは、そうか。とだけ告げると、部下から電話だと呼ばれ部屋を出て行った。
彼も忙しい。ここにいても世界中の戦場から、彼の助言が欲しいと絶えず連絡が入る。
OZの兵士たちからの人気がとても高い方。自分ともゆっくり話している時間も、そうそう取れないのも仕方がない。
事情をそれなりに知っている自分とは違う者たちからみれば、戦場において誰よりも有能な人物である、ゼクス・マーキスがこんな場所に居ることの方が異常なのだ。
それも追っている人物が、賞金首とは言え、一人の少女。
大した任務ではないと考えるのは通常。
こんな場所まで連絡を入れてくる、各地の戦場の指揮官たちの考えも分からなくは無い。
だからドロシーは再び、瞑想の中へと沈む。
こんな風に、ゼクス様が戦場へ指示を出せるのもあと少しだ。
自分はもう、殆ど捕らえている。
逃がしはしない。
近くではなく、遠くでもない。そんな距離。
とてもではないが、常人ではとらえどころの無い距離を、微かな情報からドロシーは、辿っている。一歩一歩確実に。
ドロシーにその背を掴まれれば、終わりだ。逃れることなど不可能。
まだ、はるか遠くだが、それでも見えている。翼が。通常よりもずっとサイズが小さな翼の背が確実に。
それに近づくための道を探さねばならない。膨大な数の中から。
ドロシーは、更に深い深層心理へと自らを持っていくために、意識を今度こそ落とした。
過去、彼女によって戦いに負けた街や村や国は、数知れない。
「あ」
既に条件反射になった。
咄嗟にリリーナのコートの首根っこを掴んだ次の瞬間、リリーナもろとも谷底へとまっさかさまに滑り落ちていった。
クソォ!
すぐさまリリーナを抱き寄せ、ゼロに繋がれているワイヤーを掴むことで、ようやく滑り落ちるのが止まった。
自分たちの足元や横をはるか下目掛けて、転がっていく雪の塊。
ゴロ ゴロ ゴロ
「…………………………すみません」
そんな、既に何度目かもわからない、リリーナの詫び。流石に、何も言う気にすらならない。
俺たちはワイヤーでゼロに上から引っ張り上げてもらう。
「リリーナ」
「わかってます!すみません。出来るだけ気をつけているんですが…」
必死に告げてくるリリーナ。わざとではない。そんなことはわかっている。
それでも、そろそろゼロのバッテリーが限界だ。
俺はゼロのバッテリーの残量を見る。
まだ行程の半分どころか十分の一も来ていない。
どうする―――。
雪山に入ってから、まだ2日。
だが、雪の余りの深さにゼロを押して進むほか無い場所も多く、今もゼロを押して進んでいた。問題が起こるのは大抵そんな時―――。
リリーナは足を滑らせ、そのまま谷底に落ちていくというわけだ。俺が歩いた跡を辿って歩けと、散々言っているのだが…どうも体重のかけ方のコツがつかめないのか、気がつくと、『あ』と言った後、滑り落ちていくというわけだ。
そして、ゼロにつながれたワイヤーを利用し引っ張り上げてもらうということに繋がる。
素直に、深刻な事態だ。
やはりどう計算した所で、ゼロのバッテリーが合わない。間違いなく山を越える前に無くなる。
「道を変えよう」
「え?でも、追っ手が」
「多少は来るだろうが、追っ手よりも自然の方が驚異だ」
道を変えると決めれば、行動は早い。俺はゼロのプログラムの変更をすぐに開始する。そんな俺に、リリーナが再び謝ってきた。
声が本当に落ち込んでいる。
「気にするな。お前のせいではない」
俺が言うが、リリーナの落ち込みようはあまり変わらない。そんなリリーナの頭には雪まで積もっている。
確かに追っ手も自然も、脅威だが―――。
「列車で行こう」
右手でリリーナの頭の雪をはらった。
列車の駅には、それから二日ほどで辿り着いた。
ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン
窓の外は吹雪。
そんな所に丁度ヒイロが戻ってきた。
「リリーナ、食事だ」
ヒイロがそう言って、大きな箱を差し出してきた。
「ありがとうございます」
箱の中身は弁当で、駅弁というらしい。
美味しい。
「なかなか進みませんね」
「この吹雪で、徐行運転中だそうだ」
「どうりで以前、砂の国に向う際に乗った列車よりもゆったりとしていると思いました」
「…砂の国か―――」
ヒイロはどこか遠い目をして言う。そんなヒイロにリリーナは懐かしいですか、と訊くが、無言だった。
この列車は全ての客室が個室になっており、二人が黙るととても静かだ。列車自体の乗客も、この時期とても少ない。
そんな中で、黙って食事を続ける。駅弁は作りたてなのか、とても暖かい。
モグモグ モグモグ
窓の向こうは、吹雪で1メートル先も望めないほどの悪天候。
「この地方は、いつもこれだけの雪が降るのですか?」
「そうだな。だが、これでもまだ降っていない方だろう。本格的な冬になればさらに降る。奥地に列車で行けるのはこの時期までだ」
「そうですか―――」
リリーナは窓の向こうをじっと見る。
「ヒイロは、この列車に乗ったことはあるのですか?」
「ああ。昔、一度」
「すごいですね!こんな場所にまで。ヒイロはわたくしとあまり年齢が変わらないと言うのに、世界中を旅しているのですね。いろいろな国を訪れるたび、感じます。すごいことだと思います」
「そんなことはない」
「いいえ。こんな場所にまで、来た事があるなんて、本当にすごいことです。今だって、この列車はこれだけ空いているんですよ?」
「列車に人がいないのは、この雪で山の閉山が近いからだ。俺が来たときは、もう少し人がいた」
「いつごろのことなのですか?」
リリーナの問に、ヒイロの言葉が止まる。
「すみません。貴方が嫌ならば、話さなくて良いです。それでも、もし差支えがないようならば、話していただけませんか?」
「……………………………」
明らかに悩むように、ヒイロの視線は僅かに伏せぎみになり、眉と眉の間の皺がますます深くなる。
そんなヒイロの様子に、リリーナはそっと呼びかける。強いわけではない。だが、引き付けられずにはいられない声。
「ヒイロ」
何故、こんな音で、声で自分を呼べるのかヒイロには理解が出来ない。
ヒイロ・ユイ―――。
この名も、所詮はコードネームの一つだった。
ヒイロ。
昔、平和を訴え、暗殺された指導者の名だ。ドクターJが、名が無かった俺に、この名を使えと言ってきた。
そんな、愛着も、執着も、何も感じない名だったはずだ―――。
「ヒイロ」
再度、名を呼ばれる。音を先程よりも、少し変え。
何も感じない名だったはずだというのに―――。
溜め息を必死に抑え、ゆっくりと顔を上げた。
「………………………………」
列車は大雪で動いてはいるが、いつ止まってもおかしくない状態。
この奥にあるというリリーナが言うサンクキングダムに一体いつ着くのか予想もたたない現在。
黙り続けるのは、明らかに困難。
「数年前。シルビアの護衛で来たことがあるんだ」
「お姫様と!こんな場所に?」
「今から向おうとしている途中に温泉があるのだが、そこに行ったんだ」
今から数年前のことで、季節は今よりも少し前。だから当時は、ここまで雪は降ってはいなかった。
「お姫様と温泉ですか。豪華ですね」
「豪華…。別に俺が入りにきたわけではない」
「え?では温泉には入らなかったのですか!?」
「いや、入りはしたが、豪華とかそういう事ではないと思うのだが」
リリーナの言葉に何と言って良いのか、素直に言葉に詰まる。
まるでリリーナの物言いを黙って聞いていると、俺とシルビアが二人で来た様に受け取れるが勿論そんなことは無い。大勢のお供に兵士がついていた。近くの国に行った帰りに寄ったのだ。
シルビアは列車が好きだったから。
「温泉ですか。これだけ寒いから、シルビア姫も温泉はさぞ喜んだのではありませんか?」
「確かに喜んではいたな。全身、温まると」
「絶対にそうですよ。だって、ここは本当に寒いですから」
リリーナはそう言いながら、両手を軽く暖めるようにさする。
「寒いのか?だったら早く言え」
ヒイロはそう言うと、立ち上がり、天井近くの棚にしまわれた毛布を取り出し、リリーナに渡す。窓のカーテンも、勢いよく閉めてしまう。
そんなヒイロの余りにすばやい行動に、リリーナは僅かに驚きながらも、微笑んで礼を言う。
「ありがとうございます」
「どうだ?まだ寒いようならば、お湯を貰ってくるが」
「大丈夫です。そこまで寒いわけではありませんから!さ、食事を続けてください」
「食事などよりも、寒いようならば遠慮せずに言え」
「…………………………………」
リリーナはヒイロの様子に心底驚く。自分が、僅かに寒いと言っただけなのだ―――。
クス クス
「リリーナ?」
「本当に大丈夫です。とても暖かいです」
リリーナは微かに笑い声を漏らしながら、毛布で体を包むようにして包まる。そんなリリーナの態度に、訳がわからないといった、どこか憮然とした様子の、ヒイロ。
「…………それならば良いが」
「本当に、貴方の様な護衛が傍にいたシルビア姫は幸せですね」
「幸せ?そんなことは無い。問題だらけで、俺といたせいで、シルビアにどれだけ厄介ごとが増えたか、想像すら難しい程だ」
「シルビア姫が貴方のことが厄介だと?まあ、確かに、ヒイロの経歴では大変だったかもしれませんね」
フフフとリリーナは可笑しそうに笑った。
そんなリリーナの態度にヒイロはピクリとする。
確かに、そうなのだが―――どこか、その言い方に納得がいかない気がするのは、俺の勝手な言い分というものだろうか。
「………………………」
しかし、リリーナはそんなヒイロの視線など気にせず、何かを気がついたという風に話を続ける。
「ですがそれならば、今はわたくしが貴方にかなり世話になっているということですね。かなりというか、殆どというべきか、厄介ごとばかりを押し付けて―――。だってヒイロひとりならば、この、のろのろ列車に乗ることも無かったわけですしね」
どこか、他人事の様に言うリリーナ。その態度の理由で思い当たるのは一つ。
リリーナはここ数日、自分のせいで山道を進むことが出来なかったことを、大いに悔やんでいるのだ。
だからといって、何故そこで、そんな態度に繋がるのか理解が出来ない。
似たような状況で、訊いたことはある。
何を怒っているのだと。
だが、怒っているわけではなく、少し悔しいだけだと、微笑を浮かべ返答された。
俺に負けたくないそうだ。
絶句。
つまり、他人事。なかなか、自分自身で受け入れることが出来ないということ。認めることが、出来ないと。
俺には出来て、自分では出来なかったと―――。
今以上に俺に勝ってどうする?
「本当にヒイロは一人の方が、余程楽に旅を出来ますよね」
「確かにそうだな」
大いにその意見には同感だとばかりに、即返答してきたヒイロの態度に、少しは遠慮をするべきだと、リリーナが本当に可笑しそうに声を上げて笑った。
2006/5/16