LOVER INDEX

#23冷たくない雪―2―



「荷物を全て下ろせ」
「はい」
 言われたとおり、ゼロに取り付けられている荷物の紐を次々とナイフで切り、下ろしていく。
 もともと数も少ないため、すぐに終わった。
 その間ヒイロは、ゼロに寄り掛かるようにして何やら入力を続けている。そんなヒイロは、息も荒く、額には脂汗まで浮かんでいる。
 どう考えても無茶だ。だって、わたくしが荷物を下ろし終えたことに気がついていないヒイロなんて、見たことが無い。
 今だって、傷を塞ぐよりも、兎に角痛みを麻痺させるような魔導を優先してかけろと頼まれたのだ。
 勿論、抗議だってした!
 でも、すぐに黙れって!

 だが、そんなことを考えている間もなく、ヒイロから次の指示が出た。
「そこの戸を開けろ」
 ヒイロが指差す先は貨物庫の戸。
「!?」
 考えてはいたが、そうなのだ。
 外に逃げる。この吹雪の中を?
 頭に次々と疑問や不安、それに抗議が浮かぶが全て吹っ飛ばした。
 こんな状態のヒイロに反論しても、それはヒイロの体力を奪うだけだ。
「うう!」
 力一杯扉を開けるが、重いためなのか、凍っているためなのか、がたがた言うだけで戸は一向に開かない。
「リリーナ、構わず吹っ飛ばせ」
「!」
 振り返るとヒイロがゼロにまたがっていた。


 ドカァァアンン!!!!

 列車に爆音と振動が響いた。
 先程のゼクスとヒイロの戦いはドロシーによってはられた場で行われていた。だから、列車も止まることは無かったが、今のはそうではない。
 リリーナの魔導をまともに受けた列車は突然のことにバランスを崩し、殆ど脱線しながら止まった。元々スピードが出ていなかったもあり、大事故には繋がらなかったが、走行は不能だ。

 そんなところから、ゼロで迷わず飛び出した。
 ブォオォォォン!


「ゼクス様」
 ドロシーが納得いかないように、チクリとゼクスに告げる。
 あと少しで追い詰められたというのに。
 しかし、ゼクスの方はそんなドロシーを気にすることは無く、指示を出す。
「三人一組で追え。私も直ぐに行く。あの身体に、この天候だ。遠くには行けまい」
 ゼクスの声に、一斉に兵士たちがスノーモービルでチームごとに飛び出していった。
 ゼクスは自分もコートを羽織りながらドロシーへと声をかける。
「ドロシー、お前はどうする?来るか?」
「当然ですわ」


 吹雪が容赦なく車体と二人に襲い掛かる。
 ヒイロの腰を掴むリリーナの手が寒さのあまり、今にも離しそうだ。
「ヒイロ!」
「舌を噛む、話すな!」
 でも!
 リリーナは心で反論し、ぎゅっと唇を噛む。そして、ヒイロの傷の手当てに再び戻る。
 止まることが不可能ならば、いま自分に出来ることはこれだけだ。必死にそのことだけに集中しようとする。
 だが!
「きゃ!」
 道でもない道を進んでいるため、車体の揺れも半端じゃない。
 だから、そんな道を進んでいるヒイロの腕は尋常ではないということなのだが、集中も途切れる上、ヒイロの傷からは血を流し続けている。
 神様!
 祈るようにヒイロを後ろから抱きしめるようにして、背に額をあてた。

 辺りは暗く、音はゼロの音以外は風だけだ。

「リリーナ」
「!」
 突然のヒイロの声にリリーナが勢いよく顔を上げる。
「この辺りは、小さな集落が点在している」
「はい」
「何かあったら、川を見つけて迷わず下れ!」
「行くときは、貴方も一緒です!」
 わたくし一人でだけ、行くことを前提に話すヒイロ。
 そんな中、ゼロがまっすぐに追って来ていると指示を出してきた。
「!」
「え!」
 リリーナは何とか後ろに振り返るが、OZの姿はまるで見えない。
「まだ、遠いのでしょうか」
 流石のOZもゼロのスピードとヒイロの腕にはそう簡単に追いつくことは出来ないのは事実だ。

 だが、ヒイロやゼロが気にしていることはそうではない。
 どう考えても、納得できないことが多い。
 どうやってこんなに早く自分たちの位置を特定して追いかけてきている?

 雪の上のゼロのタイヤの跡?
 否。この吹雪だの上、これだけ深い木の中を進んでいるのだ。そう簡単にタイヤ痕をこの短時間で判別できるはずが無い。機械人形が共にいはするだろうが、それに関してはゼロが対処している。
 機械人形本体にアクセスし、それを不能にしている。
 だが、奴らは自分たちの場所を正確に掴んで、迷うことなく追ってきていることに間違いはない。
 それをまず掴まないことには、どれだけ進もうが逃げ切れない。

 大体、どうやって、ゼロの網を抜けて列車に乗り込んだ―――?
 エネルギーが少ないとは言っても30分おきにチェックは入れていた。
 そのチェック自体を操作されていた?
 ゼロに改ざんされたデーターを送る?不可能だと考えたいが、可能なのだ。おそらくは。
 相手はあの、OZだ、それく―――
「な!」
「きゃ!」
 思考を一気に中断させられた。
 突然車体が浮き上がり、そのままの勢いで雪に突っ込んだ。

 ザァァアアン!

 リリーナに受身を取ることなど勿論無理で、ヒイロも身体がまるで言うことを聞かず、二人ともそのままの体勢で雪に激突することとなった。
 
 辺りは先程よりもずっと酷い吹雪で、数メートル先もぼやるほどだ。

「ああ…ああ」
 実際は数十秒だったのかもしれないが、それでも数十分雪の上で倒れていたような感覚だ。
「う…ぅっ」
 リリーナは軽く脳震盪を起こしたようで、目の前がチカチカとする。ただ、突っ込んだ先が、この吹雪のおかげで硬い地面でなかったことは唯一の救いだろう。
 雪の上に手をつき、どうにか四つん這いになりながらも、起き上がった。
「…ヒイロ?」
 頭を軽く抑えながら辺りを見回すと、少し先に倒れたまま、ピクリとも動いていないヒイロを見つけた。
「ヒイロ!」
 大慌てでヒイロに近寄ると、意識が無く、眉をきつく寄せ、ゼエゼエと苦しそうな息をはいていた。
「ヒイロ!?」
 身体を見てみるが、もともと先程から血塗れなのだ。今のことで増えた傷はどこかとか、そう言うことは問題ではない程にヒイロは傷だらけだ。
「どうすれば…」
 頭が真っ白になる。OZがそこまで迫っている。
 ヒイロの身体についている血がこの寒さで凍り始めていた。
 兎に角、ヒイロを雪の中から引き上げ、自分の膝の上で抱えるようにして、治療を開始はするが…数分でどうにかなるようなものではない。

「ああ…ああ。ゼロ」
 助けを求めるように声を出すが、ゼロからは何の反応も無い。タイヤの片輪がくるくると余力で周っているだけだ。
 今のことで、故障したのだろうか?
 ヒイロがゼロの運転を誤るなど、あったことが無い。どんなに、走り難い所でも、ヒイロはいつだって道なき道を難なく進んでいた。
 ヒイロに言ったら、機械人形相手にそんなものが有るかと、一笑されるだろうが、それでもわたくしはいつも思っていた。

 ゼロとヒイロのお互いに対する信頼は本当にすごいもので、それは羨ましいほどだと。
 ヒイロの身体が冷たい。
 この雪山で、こんな状況で、…途方にくれた気持ちになってしまう。


 そのとき、ふいに音がした。エンジン音だ。
「!」
 がばっと、音がした方向に視線を向けるが吹雪で何も見えない。
 決して聞き間違えでは無い。まだ大分遠いが、迫っていることは事実。
どうすれば……ああ。

「…………………………」
 彼らに、助けを求めるべきだと、一瞬浮かびはしたが、直ぐに否定した。
 どうかしている。
 相手はOZだ。
 自分の父も母も、無抵抗な者たちを簡単に大勢殺した相手だ。
 しかも、ヒイロがわたくしの為にしてきたこと考えてみれば、そんなことを考えた自分がどうかしている。
 ギュッとうつむくようにして瞳を閉じた。

 どうするかなど言っている場合ではない。
 いいから、動け。それしかないではないか。
「ヒイロ」
 声を抑え、必死に呼びかけるが、眉を寄せたまま苦しそうな表情を浮かべるだけで、目覚める気配も無い。
 本当は起こしたくなど無い。
 大丈夫。安心してここで休んでいてくださいと。もう大丈夫だから。っと、言いたい。だって、ヒイロは本当にボロボロで。
 それでも、呼ぶ。
「ヒイロ」
 結局、一人で何も出来ない自分。
 ヒイロに頼るしか、動くことしか出来ない自分。
 ポタリ
「あ」
 ヒイロの頬に水滴が落ちた。
 ポタリポタリ
 駄目だ!
 泣くな。まだ、泣いては駄目だ!
「!」
 直ぐ傍で、複数のエンジン音と人声だ。
 ヒイロの血がついた左手で涙を拭い、息を潜める。
 音から察するに十人くらいは居るのではないだろうか?
 ヒイロを掴む腕に、知らない間に力が入っていた。
 話している気配はわかるのだが、何を言っているのかは、風と雪の音でまるで聞こえない。だが、その場から動く気配も無い。
 このままでは、直ぐに見つかってしまう。
 ゆっくりと瞳を閉じ、息を吐いた。
「大丈夫」
 言いきかせるように、呟いた。
 迷っている時間など、もう無いから。

 ヒイロを膝からゆっくりと下ろした。そして、着ていた上着を脱ぐと、白い布は今ではすっかり血で染まってしまっていたが、ヒイロにかける。教会の人たちが言っていたように、とても暖かいから。
「ヒイロ。少し待っていてください」



「…申し訳ありませんゼクス様。間違いなく辺りに居るはずなのですが。これほど厚い雲で空が隠れていると流石に、そこまで正確には位置が掴めなくて」
 ドロシーの占星術士としての腕は、星空の下で最大限に発揮されるのだ。
「いや、この天候で列車を掴んだだけでも上出来だ。さ、この辺りだ、くまなく探せ」
 ゼクスの声で兵士たちがスノーモービルを降り、辺りを捜索しようとした瞬間。
ザバァァっと。右方向から雪が大量に落ちる音により、視線が一気にそちらへと向けられた。
「…………………………」
 一同が耳を澄ますが、その後は、無音。
 だが、ゼクスは手の動きだけで、見てくるように指示を出し、2組の兵士たちがすかさずそちらに向った。
 が、その直後、今度は微かだが、後方でちかちかと光るものが動いている。
 1組の兵士たちがざっと、様子を見にそちらへと走った。

 しかし、そんな兵士たちとは違い、ゼクスの瞳はすうっと細められ、ドロシーにもふっと口元が緩められる。
 そして、そんな二人が想像していた通りのことが数十秒後に起こる。
 今度は前方で異変が起こったのだ。
 ボンと、音を発して小爆発を起こしている。
 ゼクスの瞳がますます細められる。ドロシーの方は笑い声を漏らさないようにすることで必死だ。
 そんな小爆発した方向に兵士の1組が今度も様子を見に行こうとするが、それをゼクスが静かに制し、告げた。
「必要ない、私が行こう」

 そんな様子をリリーナが少しはなれた木の陰からじっと見ていた。
 何故行かないのだろう?
 先程まではとは違い、誰も動こうとはしない。
 見えなかったのだろうか?ならば、もう一度、あちらの方向で爆発を起こそうかと、そう考えた次の瞬間、動き出したが、望んでいた形とは違ったもので。
「ん?…え!?」
 今、自分たちが居る方向に向って、ゼクスが一直線に向ってくるではないか!
「!」
 何故?
 だって、彼らがいる位置から左に位置する、自分たちが今居る方向ではなんの異変も起こしていない。
 だが、自分の考えることなど、相手には赤子の手を引くようなものということなのだろうか?
 どちらにしろ、血の気が一気に引くのがわかった。
 だって、ヒイロをあの短時間で倒した相手なのだ。
 先程のことでだってわかるように、魔導が効かなかった。
 効かなかったのに!
 そんな相手にどうやって向えばいいのか…先程と同じように命を絶つと言ったところで、意味なんて無い。
 それに、そんなことを実行した所ですぐに取り押さえられてしまうだろう。

 残っている方法としては、刀。
 ふと、ラファエルが思い出された。
 自分が切ると言ってくれた、彼を。
 自分の為に、この、どうしようもなく厄介な刀の所有者になると言ってくれた彼。嬉しかった。本当に。


 それでも、今この場に居るのは自分だけで。
 刀は自分で持つと言ったのだ!

 しっかりしなさい!
 リリーナ!

 気持ちを入れ替え、まっすぐに前を見る。
 わかっている事は、自分のこの場所を通すわけにはいかないということ。わたくしの少し後ろにはヒイロが居るのだから。
 刀に手をかけたが、震えて上手く掴むことが出来ない。
 それは、寒いからなのか、恐いからなのか、理由はあえて追求することはやめた。
 刀を握った手に魔導を込める。パーガンが言ったことで嘘は一つも無い。
 だから、手を抜くことなく刀に魔導を込め、飛び出していけるように腰を浮かせた。
 そして、あと、3歩…
 心臓が口から飛び出す瞬間というのはきっとこういうことだ。
  2歩…
 刀を僅かに引き―――そして 
 1歩!!

「ん!」


「ドロシー」
「はい。ゼクス様!」
 ゼクスの声にドロシーがそちらの方向に向った。
「確かにこの辺りに居たようだが既に移動している。見ろ」
 ゼクスの視線の先には、雪の上に血の痕が大量に広がっていた。
 だが、誰もおらず、残されているのは二輪車だけだ。
 二輪車に近づいてみるが、壊れているのか、既に車体の半分以上が雪に埋もれている。

 その時、後ろでスノーモービルが走り抜ける音が響いた。
 ブォォォォ!
「!」
 ハッとし、ゼクスが慌てて振り返るが、既に走り去った後だ。
「なんてことだ!」
 すかさずその場に戻るが、兵士たちはその場でうずくまり、残ったスノーモービル全ても、煙をあげ、壊されていた。

「ヒイロ・ユイ!」
 ゼクスが声を荒げ、スノーモービルが走り抜けた方向目掛けて、魔導を放ったが、直後、爆音を上げ相殺される。
「!」
 リリーナだ。

「っ!戻れ!」
 ゼクスは声を張り上げ、兵士たちに戻るように言い、自らは再び魔導を放った。
が、相殺された。
「チィッ!」
 ゼクスは舌打ちを隠しもせずにすると、更に魔導を放ちながらも大声で呼んだ。
 持って来たモノを。
 トレーズに、ドロシーの他に、もう一体、連れて行くといいと、渡されたモノを。
「エピオン!」


「ガフッ!」
 血で軽くむせた。喉に血が回っている。
 だが、気にしている場合ではない。
「リリーナ!」
 ヒイロがはっきりと声を上げる。
「はい!」
「一気に橋をこのまま抜ける。絶対に離すな!」
「え?橋?」
 リリーナがヒイロの脇から前をのぞくと、深い谷間にかかる細い橋が見えた。
 普段は列車が通っているのだろう線路がところどころ雪の合間から見える。
 あの場所からこんなすぐ下に橋があったことなど、まるでわからなかった。
 もう、東の空が少し明るい。

 あの時、木の陰から飛び出そうとしたそのとき、後ろから口をふさがれ、押さえられた。ヒイロに。
 頬も唇も何もかもが、真っ青なヒイロに!
 ヒイロの腰を掴む腕に力を込めた。ぎゅっと。いつもよりもずっと強く!

 橋に入ると、線路の上を走っているため、想像以上に揺れる。
 橋は単線のため、とても細く、下は深い谷。
 ヒイロは焦点が定まらない中、じっと前だけを見る。
 先程みたいな醜態を晒すわけには行かない。

 車体を制御できないなど!

 だが、まるで五感が働いていないのがわかる。
 感覚がまるでないと言えばいいのか、言葉すらあやふやで―――。

 そのとき、不意に訪れる。
「ゼロ?」
 胸のポケットに入れたままだった通信機にゼロからの連絡だ。
 そんなヒイロの様子に、後部座席でリリーナはゼロの存在にほっとする。
 壊れていなかったのだ、と。

 ゼロはエネルギーの残量が少なく、ヒイロの指示にのみ従うまでに機体の制限全てを落としていた。
 ゼロにとって主はヒイロなのだから。

「機械人形が追って来ている?」
 ヒイロは振り向こうとして直ぐにその考えを改める。焦点も合わないようなこんな状態で、目で一体、何を確認しようというのだ。
 サイドミラーは雪で何も写ってはいない。
「距離は?」
 ヒイロの問にゼロは600メートル後方と返答。
 橋にはまだ入ってはいないが、相手が機械人形では直ぐに入ってくるだろう。
 だが、この場面で機械人形?
 つまり、やはり居たということだ。ゼロの妨害を抑えて動ける機械人形が。列車でも一度ゼロに通信出来なかったことでもそれが証明されている。
 ゼロと同等、若しくはそれ以上の機械人形が追ってきているということだ。
 ゼクスは、ドロシー以外にもまだこんなものを隠し持っていた。
 眉間に深い皺が生まれた。

 だが、問題はそれだけではない。この間も、ゼクスが放ったと思われる魔導が絶え間なく襲い掛かってきている。その威力はとんでもないものだ。リリーナが魔導を発し、相殺しているとは言え、全てではない。
 しかも、相殺しきれていない部分の魔導が発動し、辺りで小爆発が起こってまでいる。
 それは、ゼクスの方が魔導でも上ということを示している。
 羽ビトとは言え、そんなことが可能なのだろうか?

 だが、事実だ。
 状況判断は誰よりも早い。
 そうでなければここまで生き残ってなどこれなかった。ああ。そうだ。わかっている。

「―――ゼロ」
 この状況で、考えたのは一瞬。
 出した答えに、後悔は無い。
 それでも、もう一度名を呼んだ、この行為の意味はと、問われたとき――――、答えを持ち合わせていない。

「ゼロ」

 ヒイロの声に迷いは一切無い。

「自爆しろ」

「え?」
 あまりに突然で、何をヒイロが言ったのか理解することが出来なかった。
 が、そんなことを考えている間もなく、辺りが閃光に包まれた。

 バァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!


 ヒイロは休息を訴え続ける身体を一切無視し、腰を掴んでいるリリーナの腕を掴もうとするが、閃光に遅れてやってきた爆風により叶わない願いとなった。
「!」


 ザダァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 雪山は突然の爆発の衝撃により、あらゆる方面で雪崩が起こり、橋の一部は谷もろ共崩れ、はるか彼方に轟音と共に落ちていった。
 それまで、喧騒とは無縁だった雪山は、例えようもないほどに、騒然としたものへと一気に変わった。



「カトル様!」
「ああ、直ぐに調べてくれ。それから、列車を直ぐ止めるよう運転手に」
「は!」
 アブドルが直ぐに出て行った。
 カトルは窓から外の様子を見続ける。
 西の空が明るく輝いている。それは今でも続いており、ときおりとんでもない爆音までが響いてくる。

 どうしたのか、無性に胸が痛い。


 冷たいのか、熱いのか分からない。
 雪の感覚でこんなことがあることを初めて知った。
「う…」
 仰向けに倒れていた。
 こんな短い間に二度も雪に投げ飛ばされることになるとは、思ってもいなかった。
 瞳を開けると、雪の噴煙で空全てが覆われており、この世の光景とは思えない。
 そんな中、突然現われた。
「リ…リーナ、立て」
「ヒイロ!」
 見るとヒイロの右手がだらりと下がっており、右足だって引きずっていて、バランスも全ておかしい。
 直ぐに支えるように立ち上がった。
 無理矢理ヒイロの腕を取り、肩を貸した。
 だが、わたくしの身長がヒイロには合わないため、ヒイロがどうしても前屈みとなってしまい、傷に触るのか、苦痛に顔を歪めている。
 痛みに隠しもせずに苦しむヒイロなど初めてで。いや、もう、何もかもが初めてで。
「ヒイロ!もう、いい!」
 が、それでもヒイロは前に足を進めた。
 リリーナの声で気がついた。耳が血と雪で塞がり、聞こえがとんでもなく悪い。
「もう追ってきません!休んでください。大丈夫、お願いです」
 リリーナが半分涙声になりながらも叫ぶが、ヒイロは答えない。
「死んでしまいます」
 リリーナが自分の方に回した腕を取り、歩みを止めた直後、ヒイロの怒号が響いた。
「歩け!」
 リリーナの全身がビクリと震えた。
 怖い。
 そのまま黙ったまま歩みを止めてしまったリリーナを相手にせず、ヒイロは引きずるようにして強引に歩き始める。
「あ!」
 ヒイロに半分引きずられながら前に進むリリーナ。
「クソ!」
 血でリリーナの身体を掴む腕が滑って、力がまるで入らない。
 どこに向っているのかさえ分からないほどに辺りはまだ暗く、吹雪の上、雪の噴煙がまっているのだ。
 それでも進んだ。
 ボタリボタリと、真っ白な雪の上にどろどろの血の大きなしみが次々と出来上がる。
 リリーナももう何も言葉が出てこず、黙って同じように歩いた。
 ヒイロの身体を、ただ支えた。ヒイロの体重がだんだんと自分の方に傾いてきている。もう限界なのだと、叫びたいのに、ヒイロがそれを許さない。
 何で!
 何故!

 馬鹿みたいに叫びたい衝動で支配される。泣きじゃっくってしまいそうで。

 なのに、ヒイロは泣き言など一切言わない。
 今だって自分を引っ張り、前に進んでいる。
 その腕が緩む気配すらない。
 
 本当に自分は今までヒイロの一体、何を見てきたのかというほど、壮絶で、―――生に対する態度は尋常ではなくて――
 
 ヒイロが今まで、生きてきた世界の一瞬に触れたような気がした。
 
 涙が頬をつたった。
 
   
 それでも限界は、すぐに訪れた。
 ヒイロが崩れ落ちた。
「あ!」
 リリーナにそれを支えることは不可能だ。
 ヒイロもろ共、雪の中に倒れた。

 ズボン!

  本当に雪が深く、上手く立ち上がることもなかなか出来ない。
 それでも、強引にヒイロの下から抜け出し、急いでヒイロをうつ伏せから仰向けへと抱き起こそうとするが、それも一苦労だ。意識を手放した人間の、何たる重さ。

 はあはぁああ ごほぅごほっ はあはあはぁあぁ
 血が混じった、汗が滴り落ちた。
 暑い。熱い。
 今日一日で、何度駄目だと思ったか分からない。だから、数えるのをもう止めた。
 遠くで響く雪崩の轟音もすごいが、今は自分の吐く息遣いの方がよっぽど酷い。身体中が酸素を欲している。
 生きようともがく様に苦しいほどに、息苦しい。
 だが、ヒイロの息はゼエゼエとしているが、弱い。
「ヒゥ、ヒイロ!」
 咳き込みながらも、叫ぶように呼ぶ。
 身体を揺さぶり、頬を軽く叩くがぐったりして反応がまるで無い。
 涙が顔をつたうが、もう気にしない。
「ヒイロ…」

 治療魔導を発動させるが、反応がとても弱い。しかも、わたくし自身の魔導もそこをつき始めているようで。
 魔導を発動させた途端、ガクンとはっきりと自覚できるほどに体力を持っていかれた。
 刀にとんでもない量を持っていかれた。

 だが、歯を食いしばって、無理矢理治療を続けるが効果が無い。
 分かっている、魔導で治すのは限界があるのだ。
 ここまできたら、包帯で、布で血を止める方が余程効果的なのだ。
 だが、一体どこを?
 どこの血を止めればいいのか?
 全部。勿論全部だ!
 そんなこと、わかっているが、不可能だ。
 布がまるで足りない!

 ヒイロ!
 救いを求めるように、抱きついた。

 ヒイロ ヒイロ ヒイロ ヒイロ ヒイロ ヒイロ―――…

 全てを投げ出してしまいそうで! 
 嘘だ。本当は初めから逃げ出したくてどうしようもなかったのが真実でしょう?
 
 それをヒイロがいたことで、必死に抑えて、隠しているだけだった見苦しくて惨めでどうしようもない、精一杯の自分。
  もう、何も考えることが出来ず、馬鹿みたいに名前をただ呼ぶことしか出来なくなった。

「ゼロォォォ!」
 大声で叫んだ。
 
 
   そんな二人を雪が容赦なく襲い、すでに頭にも肩にも雪が積もり始めている。





2006/8/13


#23冷たくない雪―3―

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