LOVER INDEX

#23冷たくない雪―3―

どれくらいそうしていたのだろう。
 太陽が大分昇り、辺りが明るくはなってきたが、響き渡る轟音はなおも続いている。
 こうして上空から見ても、その被害の大きさが分かる。
 ただ、太陽が昇ってしまってはドロシーの力は沈黙することとなる。逃げた二人の足取りを今すぐ掴むことは不可能だろう。
 だから、こうして今は雪崩と爆発に巻き込まれた部下を上空から探している。
 ゼクスは通信機に呼びかけた。
「見つかったか?」
『いえ…まだ五人…所在すら…』
 雑音が入るが、内容を把握するだけならば何の問題も無い。こんな所でもエピオンのすごさを知ることとなった。
「流石、トレーズが寄越してきた機体と言うだけのことはあるということか…」
 ゼクスはひとり呟くと、通信機に再び辺りを旋回してみると告げた後、もう少し山の下の方へ向って飛んだ。

 ヒイロ・ユイ。
 予想をはるかに超えた行動を取られ―――結局、連れ戻すことが出来なかった。
 これでは完全に私の負けだ―――。
「リリーナ…」
 ゼクスは雪の噴煙がなおも巻き上がる中を飛んだ。



「……………………………」
 複数の銃口がこちらに向けられている。
 わたくしは、ヒイロをかばう様にして立ち、そんな銃口を向けてくる彼らと対峙している。
 気がついたときはすっかり囲まれていた。後ろは先程の谷で、逃げ場は無い。
 否。どちらにしろ、ヒイロをこの場に残したまま去る選択など存在しないのだから、場所など関係ない。
 ロゴを見る限り、OZだということに間違いはない。
 でも、先程まで襲ってきていたゼクスたちの部隊とは別の部隊なのだろう。
 制服がまるで違う。
 だから、既にこの辺り一帯に包囲網がしかれていたということなのだろう。
 この場を直ぐに離れようとしていたヒイロの判断はどこまでも正しいということだ。正しいと!
 いつだって、まるで理解していないのはわたくしだ。
 そんなとき、不意にそれまで沈黙を保っていた兵士の一人がわたくしたちに近づこうと、一歩前に踏み出した。
 ザン!
 迷わず刀を抜き、雪の上に差した。
「それ以上近づいたら、わたくしが相手になりましょう」
 その言葉で兵士たちの動きが、再び止まった。
 もう手など抜いている余裕など、わたくしには無い。
  そして、この場を何としても刀だけでおさめなければならない。魔導を使うなど、絶対に避けねばならないことだ。
 下手に使えば、ゼクスに即座に発見されるだろうから。
 彼は羽ビトだった。自分とは違い空を飛べる羽ビトにとって、先ほどの谷など一切問題無く渡って来るだろうから。

 そのため、双方どうすることも出来ないまま、数分が過ぎたとき誰かがやって来た。
「通せ」
 そう言って現われた少し年のいった男は、どうやらこの部隊の隊長のようだ。
 その隊長はわたくしとヒイロを眺め、口を開いた。

「お前たち銃を下ろして、直ぐに担架を用意するんだ」
 その声で部下たちは反論することなく一斉に銃を下ろし下がって行った。
「?」
 事態がまるでつかめないリリーナを残したまま兵士たちは森の奥へと次々と走っていく。
「お嬢さんもそんなものを早くしまうといい」
 隊長の男は雪の上に刺さったままの刀を指して言う。
 リリーナにはどうしていいか、まるで事態がつかめず混乱するばかりだ。
 そんなリリーナに隊長の男は、落ち着いて話す。
「既に君たちの事は、連絡を受けている。どんな事情があるかは知らないが、見つけ次第、OZ本部へ引き渡すように」
「わたくし達は、OZに引き渡されるわけにはいきません」
「ああ。その様子ではそうだろうな。特にあんたと違って、そちらは処刑命令が出ているからな」
 隊長の男はヒイロを指しながら言う。
 処刑
 わかってはいたが、こうして言葉で改めて言われ、激しく動揺している自分がいる。
「まあ、引き渡すのは後から考えるとしても、処刑は我々としても保留したいと考えている」
 一体、何を言いたいのかリリーナは判断すること出来ない。
 だが、隊長の男はリリーナが想像もしていなかったようなことを言った。
「なにしろ、我々の大切な姫の男を殺すわけにはいかないだろう?」


 それからどれくらい移動したのだろう。
 その男たちの暮らす村に着くまで、車で一時間くらいは走ったのだろうか?時間の感覚がまるで無かった。
 ただ、ヒイロの様態は変わらず酷い。
 何とか教会のベットを借りて、包帯を巻き、点滴をしてはいるが、中身はただのブドウ糖だ。それしかここにはないらしい。
 この村に医者がいないという。
 そして、今医者を呼べば、それはOZに居場所を知らせることを意味していると。電話もなにもかもが、今は網が張られているだろうと。
 今度こそ頭が真っ白になった。
 それでも、凍死はまぬがれた。だが、それだけ―――?
 ヒイロはこのままでは、間違いなく命を落としてしまう。

 そんな風に途方にくれていると、先程の隊長の男がやって来た。
「食べ物を用意したから、隣の部屋に来なさい」
 こんなとき、ヒイロならばきっと食べない。
 眠り薬や毒でも入れられていたら、適わないと…。
 だが、それはきっと無い。
 だからわたくしは、用意された、小さなジャガイモが入ったスープと乾燥したパンを食べた。
 ゆっくりと。
 本当はお腹など空いてはいない。だが、これはヒイロと決めた約束だから。
 食べられるとき食べておくという、生きていく上で大事な約束だと。
 そうだ。今から思えば、ヒイロはいつだって、生に対して、わたくしに対し、まっすぐに訴えてきていた。

 わたくしは、ヒイロにも、このパンを食べてもらいたくてどうしようもなかった。


 本当は隊長の男の人に少し休むといいと別の部屋を用意されたのだが、ヒイロと同じ部屋で良いと、断った。眠気などまるで無い。
 寝室に戻って見るがヒイロはなんの変化も無い。
 ただ、生きている。今はそれだけでも、とても嬉しい。
 ここまで弱った身体に魔導は反対に毒だ。だから、わたくしに今出来ることは本当に何も無い。
 部屋の窓から外を眺めた。
 この教会はとても古い建物で、全てが石造りだ。
 街の様子も、EARTHや砂の国とはまるで違い、とても皆、昔ながらの質素な生活を送っている。
 雪深い、とても小さな村だ。
 そしてこの村には小さいが、良質な温泉があるそうだ。

 そう。ここは、偶然か皮肉なのか、列車の中でヒイロに聞いたあの温泉の村だったのだ。
 ここに来るまでの間、車の中で隊長の男からその話を聞いた。
 彼らは自分たちをかくまっている事が知れると、村にも被害が出るのは避けられないと、自分たちの名をあえて、告げないと初めに言われた。必要最低限のみを与えはするが、よけいな馴れ合いもしないと。これは全て、自分たちの姫のためにするのであって、わたくし達のためではないと、はっきりと言われた。
「……………………」 

 それでも、彼らはわたくしたちにこれだけのことを与えてくれた。
 ベットを借りるのも実は相当大変だった。
 どの宿も、ヒイロのことは泊めると誰もが言ってくれたのに反し、わたくしは駄目だと、はっきり断れ続けられたからだ。
 素性も分からず、突然現われた、わたくし。近くの山であんな大爆発が起こった後だ。関連性が無いと考える方が無理だ。
 それでも、ヒイロと姫の関係を知っている村の人は誰もが、ヒイロのことは温かく迎え入れると言ってくれたことは、本当に嬉しい。
 そんなこんなで、少ない宿を回った後、辿り着いたのが教会だったのだ。
 教会ですら、初めは難色をしめされたのだが…わたくしの着ていたコートのおかげで泊まる事が出来たのだ。
 それは血でまみれ、初めとは見る影も無いほどに変わってしまっていたが、教会の神父様は何かを悟ってくれたようで。
 法皇様と僅かでも関係のあるような方を、無下には出来ません。と…。
 教会の船で貰った服のおかげで、わたくしは今、ここに居る。
 今わたくしが着ている服だって、この教会のシスターのものだ。
 素性がばれないようにと、シスターたちと同じ格好をした方が良いと。
 わたくしは、多くの人に十分過ぎるほど、助けられている。
 涙が出そうだ。


 この村の人たちは、シルビア姫をとても愛している。
 それは今こうして助けてもらっていることもそうだが、この教会に来るまでにも感じたことだ。
 例えば『ルーシェ』。
 聞いた事も無い名前だった。それどころか、わたくしには何のことかすら、分からなかった。
 ルーシェとはピンク色のバラの名前だという。言われてから気がついた。村中の家々に置かれていた。

 そのバラはシルビア姫が、一番好きな花で、本来この気候では咲かない花だったらしいが、毎年避暑にかならず訪れる姫の為にと、この村の人たちは必死に咲かせることに成功したという。姫の喜ぶ顔が、見たいのだと。
 わたくしは花の名前など、知らない。
 綺麗な花は沢山見た。それでも、その花のどれ一つさえ、名前を知らない。
 だって、そんなこと、鳥たちだって一度も言わなかった。
 北の山で咲いたとか、湖のそばでようやく咲いたからと花を持ってきてくれたりしたが、名前なんて誰も言わなかった。

 EARTHに居た当時が、本当にはるか昔のことのようだ。
 本当にこの数ヶ月。一年にも満たない期間なのに…。

 ゼロがいない。ゼロがもういない。逝ってしまった。

 ポタリポタリ

 涙がとめどなく溢れてくる。
 ヒイロが、自爆しろと言った、あの声が耳を離れない。
 何の感情も無かった。
 わかっている。そう聞こえただけ。
 いつだって、感情の一切を隠すヒイロだから。
 全部、わたくしが自分で起こしたことだ。
 もう限界だった。
 頭にかぶっているベールを口に噛み締め、声だけは維持でも漏らすまいとして、膝を抱いて、子供のように泣いた。


 そして、その日の夕方。
 目が覚めた。
 見慣れない石の天井で、直ぐ横にシスター姿のリリーナが居た。
 状況の何一つ、把握することが出来ない。
「…ここは?」
 ヒイロの声は擦れていて、とても聞き取り辛い。息しか出ていないと言っても過言ではないほどだ。
「温泉の村です。列車で話してくれた、あの村です」
「そうか…ならば今すぐ…――移動しないと」
 驚愕することに、ヒイロはそう言うと、起き上がろうとする。
「ヒイロ!無理です!もう止めてください!」
 リリーナが慌ててそれを止め、ヒイロを再びベットへと戻した。それにより、リリーナの力に抗えないほどの自分の状態をヒイロは、冷静に判断した。どおりで身体が重いわけだと。
 だが、そんなことを言っている状態ではないのだ。
 再度起き上がろうとするが、苛立つことにリリーナがそれを邪魔する。
「邪魔だ」
 優しさのかけらも無く、怒鳴りつける。
「ヒイロこそ、自分の身体をもっと大事にしてください!」
「大事?お前にだけは言われたくない!」
 そう吐き捨てるように告げると、今度こそ、リリーナの手など一切構わず一気に起き上がった。
「クゥ!」
 身体中がミシミシと悲鳴を上げ、途端に眩暈が起こる。当然だ、血があれだけ流れたのだ。
 腕に刺さっていた点滴の針を一気に抜いた。
 どうせ、液体を見る限り、ブドウ糖あたりだろう。
「ヒイロ!」
 そんなヒイロの様子に、リリーナのその声にとうとう怒りが含まれ、ベットに戻そうと再び手を差し出してきたが、がっちりとその手首をヒイロに掴まれる。
「お前の甘さに付き合っていられるほど、OZは甘くない!」
 ヒイロの容赦ない怒号が部屋にこだまする。
「わたくしがヒイロの身体の心配をすることの一体何がいけないというのです!」
「心配?ここで眠っていればどうせ直ぐに見つかる。そうすれば直ぐに死だ。何も分かっていないお前が、一体何を心配するというんだ?」
 掴まれた手首がギシリギシリと痛い。
「それは今動いたって同じことでしょう!OZが来ようが来なかろうと、死んでしま―――」
「奇麗事はいい加減にしろ!」
「!」
 一瞬何が起こったのか、わからなかった。

  気がついたときにはドサリと、掴まれた手首ごとベットに反対に押し倒されていた。
 こんな状態のヒイロにも押さえつけられているわたくし―――。
「…………もう、やめてください」
 ヒイロの肩から腰辺りに巻かれた包帯に血が滲み始めていた。もうこれ以上見ていられなかった。
「止めろ?…ならば今の俺と同じように、力づくで従わせたらどうだ?」
 上から見下ろし、どこまでも冷たく告げられた。
 ヒイロの瞳が鋭くリリーナにそらされることも無く、向けられる。
 本気になったヒイロは、真実―――怖い。
 OZなんかよりもずっと!
 だが、わたくしはそのことを必死に隠し、ヒイロの腕から抜けようと力を込めるが、まるで動かない。
   それでも、声を出した。
「怪我人相手に力づくなど出来るはずが無いでしょう!」
 リリーナのそんな言葉に、ヒイロの口元にフッと微笑が漏れた。
「怪我人?いい加減にしろ!苛立たせるな…」
「ヒイロ…」
 リリーナの声は絶望と、困った心が混ざったような音で…。

 それに対しヒイロはどこまでも本気で、その瞳の鋭さは他の一切を否定する程の輝きを放っていて…。
「?」
 リリーナは瞳を閉じ、力の一切を抜いてしまっている。
「…………リリーナ?」
「貴方の思うようにしてください」
 リリーナは抵抗する気がまるで無い。
「…!」
 こいつは…!
 リリーナの態度に苛立ちが頂点に達する。それは、今すぐ、この腕で殺してしまいそうなほど。

 いっそ、この甘い女を殺してしまいたい!
 そんな、表しようの無い怒りに、身を任せた直後…。
「?」
 胃から一気に湧き上がってきた。
「!」
 転がり落ちるようにして、受身も取れずにベットから床へと落ちた。
 ズトン

「ヒイロ!」
 突然のことに、リリーナががばりと起き上がり、その目で見たものは、床で這いつくばるようにして、血や胃液、よくわからないものを吐くヒイロの姿だった。
「ガボッ ゴボォゲゥホッ…ガッ」
ぐちゃ ボタボタ
「ヒイロ!」
 リリーナが半分叫びながら差し出してきた手を、手加減することなくビシリと払い飛ばし叫ぶ。
「触るな!お前などに…!ガッ、ゴブゥ!ゴポゥツ!」
 言い終えることも出来なかった。咄嗟に手で口を抑えるが、その指の間から止めどなくあふれ出る。
 ぐちゃ グチャ
「ヒイロ。今すぐ、助けを、誰か呼んできますから」
「うるさ…い!お…前に…ゴボォ。ゴフゥッ…グェォッ…」
 喉や口の中が、血と胃液の何ともいえない味が一気に広がる。
 クソッ。上手いこと悪態をつくことも出来ないまま―――
 バタン!
 ヒイロがそのまま床に再び倒れ、ぐったりとしている。
「あ…あああ…誰か…誰か!」
 気がついたときには、部屋を飛び出して叫んでいた。
 用事があるときは部屋の電話で伝えろと言われていたことなど、覚えてもいなかった。
 教会の広い回廊をただ駆け抜けた。
 僧服の長い裾が足に絡みつくが、一気に駆け抜けた。

 ヒイロが死んでしまったら、わたくしのせいだ。
 神様。神様。神様。彼をお助けください。
 全力で駆け抜けながら、一心にそれだけを願った。
 救ってくださるのならば、何だってする。
 わたくしの命が必要ならば、それだってかまわない。
 だから、だから、彼を、ヒイロを連れて行かないでください。


 何度も転びそうになりながら、願い、そして、回廊を抜けた先で―――







2006/8/14


#23冷たくない雪―4―

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