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#24ハジマリの地−1−


 夜明けに近い時間、激しく吹雪く音が響く中、カトルは教会の回廊をひとり薬を持って歩く。
 この地方は本当に雪がよく降る。
 季節が本格的な冬へと変わろうとしているのだ。

 カトルは歩きながら窓の外を眺める。
 東の空が少し明るくなっている。
 気がついたら、こんな時間になってしまった。おかげで、体がとてもだるい。疲労が流石にたまってきた。

 夕方、教会の本堂に現れた文字の解析を今の今まで進めていたが、現時点で成果があったとは言えない。
 今もマグアナック隊の他の皆が解析を続けてはくれているが…解けたとしても数日はかかってしまうだろう。
 カトルの眉間に皺がよる。
「………………………」
 こうなっては、やはり、トロワと維持でも連絡を取るしかない。
 ラシードの話では、雪が酷くて通信すら上手くつなげないと言っていた。それでも、今は維持でも連絡を取ってもらうしかない。
 それでも、見つからなかったときのことを考え、自分もマグアナック隊に混じり、今も解析を続けるべきなのだろうが、ヒイロの様子も見に行かねばならない。

 点滴が切れる時間だ。

 ヒイロが寝ている部屋に辿り着くと、響かない程度にノックをする。
「?」
 しかしいつまで経っても、いつもならば出てくる、シルビア姫が出てこない。
 その為もう一度、戸をノックするが、何の反応も無いためにそっと戸を開けると、そこにはヒイロ以外誰も居なかった。
「………………………」
 ようやくここ数日、ヒイロの様態も落ち着いてきたために、今晩は別の部屋で休んだのだろうと、カトルは思う。

 だが実際は、昨日のリリーナに魔導で眠らされてから、未だに眠らされていると言うだけのことだ。

 勿論そんなこととは知らないカトルは、そのまま奥の寝室に向う。すると、点滴の中身がすっかりなくなっていた。
 カトルはまずいといった表情を浮かべる。
 来るのが、少し遅れたということだ。
 最近はすっかり、ヒイロに関してはシルビア姫が、点滴の中身が無くなった、または様態の変化があったなど、逐一報告に来ていてくれたためにすっかり頼っていたということだ。
 姫だって疲れているというのに。
 カトルはそんなことを考えながら、点滴を取り外したところで、目が合う。
「ヒイロ…」
「………………………」
「心配ないよ。点滴を換えるだけだから…」
「…………ああ、心配していない」
 ヒイロは、擦れた声でそう答えると、すうっと息を吐いた。
「僕の気配で君の目が覚めるってことは、大分良くなったってことだと思うけど、…本当に君の回復の速さは毎回ながら、驚くよ」
 カトルは点滴から流れてくる薬の速度を調整する。
「それから、君の目が覚めているのなら丁度良いから、傷の様子も今、見て行こうと思うけど、大丈夫?」
 カトルの言葉に、ヒイロは黙って頷いた。

 カトルがヒイロに巻かれた包帯を解いていく。
「どうかしたのか?」
「何が?」
 カトルはどこまでも平常を装って答える。
 そんなカトルをヒイロはじっと見る。
「普通じゃない…」
「そりゃ、少しはね…君がこんな状態で、更にゼクスを相手にしているんだ。普通って方がおかしいだろう?」
 カトルは軽く微笑みながら答え、そんなカトルの態度にヒイロは僅かに眉をよせるが、それ以上は何も言うことはしなかった。
「……………………」

 カトルは知ってはいたが、心底思い知らされた。
 やはり、ヒイロはとんでもなく侮れない相手だと。
 商売の取引相手にも少しはヒイロを見習えと言いたくなる。

 何しろ、今だって、おそらくばれている。
 何かあったのだ、ということが。
 ヒイロには昨日の夕方に現れた文字については何も伝えていないのだ。
 否。他にも伝えていないことは山ほどある。しかし、今はヒイロの様態を考え、選んで情報を与えざるを得ない情況なのだ。
 なにしろ、相手はヒイロだ。今にも動き出すと言い出しかねない。
 例えば、ゼクス達が乗っていると思われる列車が特定の場所から動いていないだとか、他にも正体のわからない部隊のいくつかが近辺の村や町に集まっては移動していることなど、上げ始めたら、まあ、それなりに隠し事はある。
 だが、仕方ない。
 とてもではないが、ここ一週間は動かせる状態ではなったのだから。

 カトルは出来るだけ普通に包帯を解き終わると、灯りを傷口に近づけ見ると、僅かに驚いた。
「………………塞がっている」
 あまりに驚いて、思わず呟いてしまった。だから、もう一度、今度は指で触診して確認するが、昨日まではまだ膿が出ていた傷口が所々にまだ血は見えるものの、殆ど塞がっていた。

 明らかに、異常。
 いくらヒイロの傷の治りが早いとは言え、どう考えても自然界ではありえない速さだ。
 まるで訳がわからないと驚いているカトルに、ヒイロが言う。
「おそらく昨日だと思うが…」
 おそらくとつけたのは、ヒイロの時間の感覚がまだ正常でないためだ。自らのこととは言え、呆れるばかりだが、眠るたび、何時間、何日経っただとか感覚がまるでないのだ。
「昨日?」
「ああ、昨日の夕方に俺の怪我をリリーナが魔導で治療していった」
「魔導って、リリーナさんの!?」
 カトルはどこまでも信じられないといった様子で、ヒイロの傷口を再び見る。確かに塞がっている上、傷の跡だって、大分薄くなっている。
「それが、もし本当だとしたら…彼女の魔導は一流だね…とんでもなく」
 カトルはこれほど力の強い魔導を見るのが初めてだった。
「デュオの話では、彼女の魔導は、その…こう言っては何だけど、力は強いけど、荒削りで、基本が何もないって話だったから…」
「基本か…確かにそうだろうが。あいつに魔導の基本だとかそういった次元で話を進めること事態が間違っている」
 カトルたちは知らないだろうが、あいつの魔導は精霊そのものを相手にしているのだ。他の者たちのように、目に見えない相手に対して加護だとか恩恵だとか言っているわけではない。形どころか、意思までも持っている精霊を相手にしているあいつ。
 ヒイロはそっと、自分の胸に手を当てる。
 自覚はまるでないが、風の精霊が自分の中にいる、この事実。
「あいつの魔導は確かに半端じゃない…だが、ゼクスはその上をいっていた…」
「そうか…」


 その後カトルは、包帯を再び巻き終わると、静かに部屋から出て行った。
 その際、部屋を見張るようにと、マグアナック隊を二人残した。
 それから、カトルもようやく睡眠を取るために寝室へと向った。
 辺りは日が上っていた。




 そして、カトルが次目覚めたのは、突然の来訪者のためだった。
 シルビア・ノベンタ姫。
「カトル様!来て下さい!ヒイロが!」
 あまりに切羽詰った様子に、急いでヒイロの眠る寝室へと向った。
 時間は既に昼前だった。相当疲れていたにしても、今の状況下では明らかに寝すぎだ。

 そうこうしていると、ヒイロが眠っている寝室へと辿り着いた。
 部屋の見張りについていたマグアナック隊の二人と、シルビア姫の護衛のノインが困ったように顔を見合わせていた。
 カトルはそんな彼らを横目で見ながら、部屋の奥へと向う。

 居た。
 そして、あれだけシルビア姫が困ったように慌てて現れた理由も、聞くまでもなく悟る。
 ヒイロがベットで座っていたのだ。
 そう。つまりこれ以上はもうベットで寝ているつもりはないと言うことだろう。
 しかも、着ている寝具を脱ぎ始めてさえいる。
 素直に頭を抱えたい状況とはこういうことだ。
 そこに、シルビア姫がやって来た。
「カトル様からも言ってください!絶対安静だと!」
 シルビアが言うが、ヒイロは気にせず、上着を脱ぎはじめる。すると胸に巻かれた包帯が痛々しく現れた。シルビアが居ようが一向に気にしない。
「!」
 シルビアは、さっと視線を横にずらした。
 だから、仕方なくカトルが声を出す。
「ヒイロ」
「今は寝ていられる状況ではないだろう」
 困ったように言うカトルに対し、冷たく返すヒイロ。
 やはり、今朝のカトルの焦る内心はすっかりヒイロに伝わっていた。
「…確かにそうだけど、でもね」
「それに、いつまでも寝ていては、身体がなまる」
 ヒイロはそう言い、寝具を脱ぎ終わると、カトルの後ろの棚に置かれた服を取るように告げる。
「はあ」
 カトルは隠しもせずに溜め息をつくと、マグアナック隊のひとりに服をヒイロに渡すように告げる。
 ヒイロはその服を受け取ると、黙ったまま着始めようとするが、カトルがそれを止めた。
「ヒイロ。その服ボロボロじゃないか。もうわかったから。今、服を直ぐ用意するから!アブドル、僕の上着と―――」
「カトル様!」
 即座にシルビアの抗議の声が上がるが、カトルは首を横に振る。
「姫。お気持ちはわかりますが。確かに動けるのならば、動くのも大事なんです。寝ていては肺に水もたまるし、身体だって弱るんです。人間は立ち、点滴ではなく口から食べ物を入れないことにはどうやったって回復なんてしないんです」
「そうですが!」
 シルビアはそれでも納得がしないといった様子だが、カトルはそれを放ったまま、マグアナック隊に更に指示を出す。上着の他ズボンや靴、兎に角一式を用意するようにと。だがヒイロは必要ないと、断った。
「でも…ヒイロ、それ、血のしみだって酷いよ。所々、穴もあいているし」
 カトルはヒイロが広げている服を指差して言う。
 服のいたるところに、大きなしみが出来ている上、黒ずみ、穴まであいている。それでも、ヒイロは言う。
「これで良い」
「…でもさ」
「確かに、相変わらず洗濯も下手だと思う。いや、得意なことを探す方が難しいとは思うが…折角、洗ってもらったんだ。これで良い」
「下手?」
 ヒイロはカトルの何を言っているのか、訳が分からないといった呟きを放ったままじっと、服を見つめる。
 初めの頃は、服をたたむ事だってまともに出来なかったあいつ。そんなあいつが、知りたいと言うから一つ一つ教えていった。
 だから、聞かなくともわかることがある。
 血の落とし方は、まだ教えていなかったな…と。
 ヒイロは上着を頭からかぶった。

「カトル」
「え!何?」
 突然のヒイロの声に、カトルはビックリしたように言う。
「現在の状況を全て教えろ」
「……………………………」
 今度こそ、カトルはどうしたものかと言った風に、天井を見上げるしかなかった。
「それと、シルビア」
「! はい」
 シルビアはヒイロと目が合う。
「手を借りたそうだな…助かった」
 その言葉に、シルビアは胸が一杯となり、いいえと言うのが精一杯だった。



 部屋の窓を少し開けると途端に冷たい空気が入ってきた。
 そのあまりの冷たさにヒイロは知らずうちに眉を寄せていた。
 本当に、身体がなまっている。

 それでも、窓をしばらく開けておくことにする。
 部屋に充満した消毒液、薬、血、その他のよどんだ空気を入れ替えるためだ。
 今日は久しぶりに晴れていた。
 
 そして、のろのろと重い足を無理矢理前に出すようにし、再び窓からベットへと向う。
 身体が確かに軽くなったとは言え、動かすたび痛みがズキンズキンと走るのは事実だ。左の脇腹だって、腕だって胸だって。痛い。
 ヒイロはゆっくりと、ベットへと腰を下ろそうとしたとき、それをシルビアが手を貸した。
「大丈夫ですか?」
「…ああ」
 ヒイロはそう答えると、はあっと息を大きく吐き、ようやく、ベットに腰を下ろした。
「ヒイロ。マグアナックの方が食事を用意してくれました」
 シルビアはそう言うと、食事の乗ったトレーを隣の部屋から持って来た。

 パンがスープでふやかされたような、食べ物だ。
 少しずつ口へは運ぶが、想像以上に胃が受け付けないようで、なかなか飲み込むことが出来ない。更に、喉につまり、軽くむせた。
「ゆっくりで良いですから」
 シルビアがヒイロに水を手渡した。

 室内に、ヒイロがスプーンでスープをすくう音だけが響く。
 部屋にはヒイロとシルビア、二人だけだ。カトルは、起きて直ぐここに来たため、一旦最新の情報を聞いてくると先程出て行った。
 つまり自然と、ヒイロに対する現在の状況説明他は食事の後と、いうことになった。

 食事を始めてから十分ほど経つと、流石に胃も慣れて来たのか、はじめよりは飲み込むことが楽になった。
「OZを出たそうだな…」
「はい…あそこにいても、私に出来ることはないから…」
「本気でOZに刃向かうつもりなのか?」
 ヒイロの問いに、シルビアは一瞬躊躇った後、静かにうなずく。
「OZは相手が敵となれば、王族であろうと構わず殺されるぞ…」
「……………………………」
 シルビアの瞳が揺れる。

 そんな、部屋に重い空気が流れたとき、見計らったようにその空気を打ち破るようにしてカトルがノインと共に戻ってきた。



 カトルはとりあえず、簡略だが、現在の状況を一通り話した。
「辺りの町や村に、部隊が集まっている…」
 ヒイロは何かを探るかのように声を出す。

「偵察も出したんだけど。どこの部隊かまだ特定できない。報告では傭兵の寄せ集めみたいな部隊らしい」
「はい。ノインにも今、確かめてきてもらいましたが、OZからはその様な者達が動いているという情報は無いそうです。だから、ゼクス=マーキス以外のOZの部隊がここに派遣されていると言うことはありません」
 シルビアの言葉にノインは間違いないと頷く。
「だから、相手も分からないけど、どうやらこの村が目的ではないみたいだし、ひょっとしたらゼクスが来ているから、そっちが目的なのかもしれないけど。とりあえず今は、そっちは放っておいているけど」
「そうだな…お前がそう言うのならば、俺もそれで良いと思う。今は放っておいても問題はないのだろう」

 ヒイロはそう答えはしたが、頭の中で相手をいくつか想定してみるが、やはりもう少し詳しい情報がなければ特定するのは不可能だ。
 その為、躊躇わずに次の話へと移る。
「それで、肝心のゼクスたちは?」
「大体のこちらの居場所は掴んでいるはずなのに、何故かこちらには向かっていないらしい」
「では、どこに向っているんだ?」
「列車の居る場所は掴んでいる。山の中腹辺りの線路に居て、四日前からその場所をまるで動いていない。故障なのか作戦なのか…それとも、列車を既に出たのか」
 ノインも、理由はわからないと言う。
「動いていない…それでは、先ほど言っていた、教会に現れたという文字は読めたのか?」
 カトルは難しい表情を浮かべたまま、首を横に振る。
「いや。マグアナック隊の皆の解析も未だに進んでいない」
「トロワは?」
「その…トロワのことなんだけど…」
カトルの表情がますます曇る。
「何かあったのか?」
「実は、来ているんだ。ここに」
 ヒイロの瞳が驚きで開いた。


「久しぶりだな…ヒイロ」
 そう言って挨拶をしてきたのは、ヒイロやカトルと古い付き合いのある方の、トロワ・バートンだった。
「これ以上の挨拶や、ここに来たなど細かいことは後にしよう。早速だが、カトルから頼まれたこの文字、試してはみたが、読めない」
 トロワは教会に現れた文字を書き写した紙を前に出した。
「何故なら、この文字は完成されたものではないからだ。せめて、現れたと言う床本体が残っていれば、どうにかなったが…」
「完成されていない……そうか。だからこれだけ掛かっても、殆ど読めなかったんだ」
 カトルが呟くようにして、どこか納得した。
「そうだ。この文字は、何か足さないと読めない。それがわからないことには、何時間かけようが無駄だ」
 トロワの言葉に、ヒイロとカトルの言葉が止まる。
 これで文字を読む手段が、全てなくなってしまったと、半分途方にくれたその時―――
「こうなったら、やはりリリーナ様に読んでいただけば、良いのではないのでしょうか?」
 ノインだ。
 そして、そんなノインの言葉に息をのんだのはカトルに、シルビアだ。
 カトルの方はといえば、リリーナが読めることを二人に隠していたからだ。それに対し、シルビアは、昨日あんなことがあった後だ。正直、会いづらい。

「リリーナ?」
 部屋にはヒイロの低い声が響く。
 そんな様子に、カトルの事情などまるで知らないノインは戸惑った。
「いえ。こんな状況です。流石にリリーナ様も話してくれるのではないかと…」
 ノインの言葉にヒイロとトロワは、カトルに視線を戻す。
 こうなっては、カトルも黙っているわけにはいかなくなる。
「ああ。そうなんだ。彼女、つまりリリーナさんは読めたみたいなんだ。だけど、彼女は言わなかった。ゼクスたちはこの村にはもう来ないってことを言っただけで。だから僕が調べているんだ。彼女はあれ以上何を言っても答えない」
「そんなことを言っている場合ではないだろう!」
「僕だって、勿論そう言ったさ、ヒイロ。だけど、無駄だと思う。僕たちが去った後、リリーナさんは教会に残されていた文字だって、彼女自ら消すことまでしたんだ」
「兎に角、ここに一回連れて来い」
 ヒイロの言葉にカトルは、確かに今はそれしかないと、マグアナック隊にリリーナを呼んできて欲しいと指令を出した。
 ヒイロだって、無理矢理聞き出すのは本意ではないが、こんな状況だ。
 あいつだって、そんなことはわかっているはずだ。だから何故こんな状況になっているのか、その理由がわからない。
「っ…」
 それにしても、今、咄嗟に声を張り上げてしまったために、腹がキシリキシリと痛みがぶり返してきた。




「では、その女が来るまで、俺が少し話をすることとしよう」
 トロワがゆっくりと瞳を開けた。
「まず、ヒイロ。礼を言っておく。ミディー・アンの件だ。あまりに急で、直接行くことが叶わなかった」
 ヒイロは淡々と言うトロワに、だからといって、ライオンを使いによこすなと文句の一つも言ってやりたくなるが、身体がこんな状態だ。
 声を出すのも一苦労のこんな状態。文句など言えるはずもない。
「だが、それで俺がここに来た件に繋がるのだが…バートン財団の動きが最近活発でな…それを調べていたら、ミディーにあたったというわけだ」
「じゃ、バートンを追ってここに来たって、そうか…」
 カトルはトロワに聞き返しつつ、途中であることに思い当たった。
「バートン財団だったんだ…辺りの村や町に居る部隊の上に居るのはバートン財団というわけか」
 カトルが確信を持て言う。
 これで全てが一致した。寄せ集めの部隊なのはバートン財団ならば納得がいく。あふれるほどの金の力で人を集めるのも、彼らならば、納得がいく。
そんなカトルにトロワは言う。
「理由はわからない。だが、その動きの不穏さから俺もそれを追って、この辺りに来ていた。そのときに、カトルから連絡が入ったと言うわけだ」
「そうだったのか…助かったよ」
 そんなカトルとトロワの会話を他所にヒイロの瞳はますます鋭くなる。
 バートン財団。
 奴らが長年かけて用意していた兵や部隊など、その殆どを俺が潰したのだ。
 奴らの本当の目的を知っていたから。
 だから、今、ここで奴らが動いてきたこの行動の意味の不気味を感じずにはいられない。


「それで、トロワはここに来る前は、今回はどこにいたんだい?」
 ヒイロがまだOZに入る前の頃は、トロワはバートン財団に属する傭兵だった。しかし、そんな彼も、ヒイロがバートン財団を潰したことにより、再び各地を次々と移動する傭兵へと戻った後、今はどこかの大道芸の一員として各地を回っていた。
「ああ。龍の国にいたのだが…ひとつ、言っておいた方が良い事があるのだが」
 トロワの言葉にヒイロとカトルの視線が一瞬鋭くなる。
「近々、戦争が起こるかもしれん。OZと龍の国の間で」
 その言葉に、ヒイロとカトルが黙っている横で、シルビアは瞳を僅かに下へと伏せた。シルビアは既にそのことに関し、EARTHに居たときから予想していたことだ。
 EARTHを出てきた理由のひとつでもある。自分が何と言おうが、戦争は止まることがないと…。
「OZの近年の行動に、龍の国も退く事が出来る限界まで来たようだ」
「そうか…。僕も心配はしていたんだ。砂の国でも動きが最近突然活発になったって聞いていたから…避けられないのか…」
 カトルは胸がキシリと痛んだ。

 再び部屋に重い空気が流れる。
 誰もが口を開かない状況だ。
 だから、カトルが重い空気を変えるように、あえて口を開く。
「それにしても、遅いですね。どこまで探しにいったんでしょうね?」
「あいつの部屋は遠いのか?」
「いえ。リリーナさんの部屋は隣の棟です。といっても、小さい教会だからね…部屋に居るのならば直ぐだよ」
 マグアナック隊に、リリーナを探すように頼んでからすでに三十分は経っている。
「彼女、最近は教会の手伝いをしたり、村に居る怪我人の治療をしていたりしてたみたいだから、部屋にはいないんだと思うけど…」
 この村はとても小さい。マグアナック隊が捜索に出ればすぐに見つかるはずなのだ…。
 だから、カトルも何か引っかかる。


 そうして、それから十五分ほどするとようやく、報告が来た。
「居ない?」
「はい。まだ探してはいますが、いません」
「部屋は?」
 カトルが聞く。
「はい。リリーナ様の部屋には僧服しかありませんし…。そもそも、村人も昨日の夕方以降見たと言う情報がありません。更に共に居た機械人形の反応もありません」
 ヒイロの片眉が軽く上がる。
「まあ、服はここのところ、僧服と元々着ていたものを交互に着ていたから、今日は僧服じゃないんだろう。それからこの地方の人たちは、あまり夜は外を出歩かないだろうから、目撃情報はあてにはならない。そう考えることは確かに出来る。でも、居ない。…パン屋は?」
 この間も、突然パン屋で寝ていたと言う件もある。だから、今回も、その可能性はと思い、聞くが、マグアナック隊は首を横に振る。
「何しろ、小さな村ですから。よそ者は自然と目立ちます。それでも、みつからないということは、夜の間に連れ去られたのでしょうか?」
「いや、僕の結界が揺らいだ気配はない。だから、外部から誰か入ったということはありません」
「しかし、内部の者の反抗ならばどうでしょうか…」
 マグアナック隊のその言葉は暗に、この村に居るOZが関係しているのではないかと含ませている。
「…それは…」
 僅かに口ごもるカトルにシルビアが声を上げた。
「そんなことありません!この村に居るOZの方々はそんなことはいたしません!」
「ならば、OZの方にも心当たりがないか、シルビア様から確かめていただけませんか?我らでは聞いても答えてくれません」
 マグアナック隊の言葉に、いいでしょうと、答えるとシルビアはノインを連れて部屋を出て行った。
 そして、マグアナック隊のひとりも、再び探してみると部屋を出て行ったためにこの部屋に残るのは、ヒイロにカトル、それにトロワだけだ。

 だから、カトルは言う。
「ヒイロはどう考える?」
 その声は低い。そして、そんなカトルの言葉に返すヒイロの声もまた、低い。
「探しても、おそらく無駄だ」
「だろうね」
 カトルも考えていたことは、ヒイロと同じようだ。
「参ったね…予想していたのに…!」
 カトルは頭を抱えながら、吐き出すように言った。
「だからこそ、教会に書かれた文字を読まなければならなかったのに」
 カトルは立っていられないと、椅子に腰を下ろした。
「つまり、内容の大方の予測はついているということか?」
 トロワが再び文字の書かれた紙を見ながら問うと、カトルはああと、軽く頷いた。
「簡単なことだ、OZの狙いは彼女だ。この村がもう襲われることはないということは、つまり、彼女と交換という事だと思う。だから、その詳細が書かれていることを調べなければならなかった」
 再び部屋に沈黙が訪れるかと思われたが、そうはならなかった。
 ヒイロだ。状況の切り返しは誰よりも早い。
  「トロワ、頼みがある」
 
 ヒイロの声にトロワが視線を向ける。
「この村の近隣に居る、獣たちに当たってくれないか?」
「そうだな…獣ならば何か知っているかもしれないな」
 トロワは猛獣使い。獣たちとの意思の疎通においての能力は、驚異的なレベルである。だからこそ、ライオンなんて使いを寄越して来たりするのだ。
「いいだろう。では、その女の特徴、それに、匂いのついた物は何かあるか?」
「匂いは、僧服があるらしいから、それでいいんじゃないかな?」
 カトルの発言にトロワはそれで良いと頷く。
「では特徴は」
「身長154センチの細身の女だ。髪はベージュで、腰まではないが、長い。一つに結んでいる」
 ヒイロは淡々と言う。
今は、よけいな私情を挟んでいる場合ではない。
 感情を殺す。殺す。殺す。

「それで、服装だけど、白いコートに、白いマフラーを巻いている。僕が服を用意するって言ったんだけど、必要ないって。君とおんなじだね。ヒイロ」
 カトルが笑みを浮かべた。
「白か…」
 トロワは僅かに眉を寄せながら呟く。
 この地方では雪にまぎれるようにと、白い服を着用している者が多いのだ。白い服だけでは、特徴が明らかに足りない。
 そんなところにヒイロが言う
「刀」
「ああ、そうだね。彼女刀を持っているんだ。特徴だと思うよ」
これで特徴に関する情報は事足りると、トロワが部屋を出て行こうとしたとき、そんな考えを一掃する内容のことが部屋に響いた。
「すまないが、それは特長には含まれん」
 三人の鋭い視線の先に立つのは、ヒイロやリリーナをこの村に受け入れてくれたOZの隊長の男だった。
 隊長の男の後ろにはシルビアとノインが立っていた。
 隊長はシルビアたちから話を聞き、直接事態を伝えるために訪れてくれたのだ。
 そんな隊長の男にヒイロは言う。
 どういう意味だと。
 その声は、鋭く、低い。

 すると男は、すっとある物を差し出してきた。
「!」
 ヒイロの瞳が、隠すこともせず見開かれる。
 隊長の男が差し出してきたのは、刀だ。

 トロワはそれを見ると、わかったと一言残し、後は任せたと部屋を出て行った。
 人探しは時間との戦いだ。

 そんなトロワは放って、隊長は話す。
「奪ったわけではない。条件だ。許せ」
 そう言うと、隊長の男は部屋の戸を閉め中に入ってきた。
「今、姫から聞いた。彼女がいないと。まず言っておくと、我らではない」
 そんな隊長の言葉にカトルは即座に答える。
「ええ。わかっています。貴方方では、彼女はきっと止められないから」
 リリーナはやはり、強い。
 カトルの言葉に、事態がつかめない隊長の男にカトルはとりあえず椅子を勧めた。
「すみません。こちらも正直焦っています。だから、あり得ないとは思っていても、こんな時だからこそ、一つずつ潰していくしかない。力を貸していただけませんか?」
 カトルは柔らかい口調で言う。
「ああ。私もそのために来たのだ。こんななれない気候の地方で出て行ったとなれば…私はOZだが…人として心配だ。部下たちにも探すよう指示を出してきた」
「すみません。助かり―――」
 カトルが言い終わる前に、ヒイロの言葉が飛ぶ。
「それよりも、お前が何故、その刀を持っている」
「ヒイロ!」
 カトルがなだめようとするが、勿論ヒイロは退かないどころから、今にも飛び掛って行かんばかりの様子だ。
「奪ったわけではないと言ったな。条件?同じことだろう?あいつが、刀を手放すことはあり得ない」
 ヒイロは断言する。
 迷いなどあるわけがない。この数ヶ月嫌と言うほど見てきた。どんな状況だろうが、あいつは大事に物として持ち続けた刀だ。それは、歩き難い状態だろうが、眠るときだろうと、関係がない。
 教会の船で、あのラファエルから受け取りに行ったほどだ。
 更に、それほどまでに刀に固執する本当の理由を何となく悟った今となっては、手放すとは到底信じることが出来ない。
 だが、隊長の男は言う。
「だが、手放した。これが事実だ」
「…殺して奪うことも可能だが?」
 信じることが出来ない。だからヒイロは、本当になんでもないことのように言う。
「ヒイロ!いくらなんでも、失礼だわ」
 今度はシルビアが声を上げるが、隊長の男は構いませんと制した。
「私が彼女と出会ったあの時、君は死にかけていた。処刑命令さえ出ていた」
 カトルからもその状況は聞いている。
「だが、姫との関係のある君だからこそ我らは助けたいと思った。それに、若者が死ぬのを見逃すことが出来なかったのも本当だ」
 ヒイロは思う。
 この隊長の男の弱さはここだと。兵士に優しさは必要ない。
 だから自分は感情を殺すのだと。
 隊長の男の話はまだ続く。
「だが、我らにも護らねばならないものがある。君たちをかくまったと知れれば、大変なことになる。そこで条件をだした」
「………………………………」
「受け入れる代わりに、刀だけは渡してもらおうと。上からそう手配書に書かれているのだ。彼女の身柄。君、ヒイロ・ユイの死。それから刀だ。だから、彼女に刀を渡すように言ったのだ」
 ヒイロの瞳がすうっと細められる。
「わかって欲しい。確かに奪ったことと結果は変らないかもしれんが、理解して欲しい」
 隊長の言葉に、カトルやシルビアたちの言葉が止まる。
 納得できることが多いから。
 そして、隊長の人柄がわかるからだ。本当に悪い人ではないと言うことが。
 本来は殺される状況で、この人物の判断だけで救われていたのだから。
しかし―――
「確かに、お前の言うこともわからなくはない、だが、こちら退くことは出来ない」
 隊長の男の鋭い視線が向けられるが、ヒイロは怯むことすらない。
 身体の痛みだって、おくびにも出すことがない。
「助けてもらったことは感謝する。だが、それは返してもらう」
「わかった。何か事情があるのだろう。だが、少し時間をくれないか?」
「悪いが断る」
 ヒイロは即、返答する。
「急ぐ気持ちもわかるが、こちらにも―――」
 隊長の言葉をヒイロは途中で遮る。
「いくらだ?」
 ヒイロの言葉に隊長は、大きく息を吐き、首を振った。金の問題ではないと。
 だが、ヒイロは譲ることがない。
「一千くらいでどうだ?そんな、古びた刀。お前では何の役にもたたんだろう?一千だって、十分過ぎる金額だと思うが?」

 ヒイロの言葉は強く、まるで揺るがない。
 そんな彼らの様子に、カトルは事態を眺めるしかない。
 一方、シルビアの方だって、突然の金額のやり取りに、目を白黒するばかりだ。
「確かにそうだが、話にならない。我らには何かあったとき、取引するための物が必要なのだ」
「ならば三千だ。大金だ。脅されたとでも言えばいいだろう?」
 隊長の男の言葉をヒイロは一切受け入れる姿勢すらない。
 そんなヒイロの様子に、流石に隊長の男も揺るぎ始める。
「だから、わかってくれ。…大体、金で解決するにしても、せめてその十倍は貰わないと…簡単にうなづけるものではない」
 そんな隊長が漏らした言葉をヒイロは、見逃さない。
「わかった。その金額で手を打とう」
「!」
 隊長の男の顔色が一気に変わる。
 当然だ。三千の十倍。勿論単位は万だ。つまり、三億。
 相手が頷くなどと、考えてもいなかったからこそ言ったのだ。10倍だと。
 相手が頷くとわかっていれば、そんな提案をするはずがない。
 三億!?この刀の一体どこにそんな価値があると言うのだ。
 隊長の男は慌てて立ち上がる。
「ちょっと、待ってくれ!」
「駄目だ。それで、渡してもらう。でなければ、本当に殺してでも渡してもらうことになる」
「いや、そうではない!」
「俺は本気だ。それで、納得しろ」
「だとしても、そんな大金を受け取れるわけがない!」
 隊長は言うが、ヒイロは答えもしない。
「カトル。悪いが今すぐ、小切手を用意して欲しい」
「え…あ、それはいいけど。いや、あ。わかった。直ぐ用意するよ」
 カトルは何かを言おうとして、止めた。
 正直、カトルでも驚いた。
 何しろ、3億は相当、大金だ。
 大事なものだということは知ってはいたが…そこまで大事なものだったとは明らかに認識不足。

 兎に角今は、急いで小切手帳をマグアナック隊に取りに走らせた。

 シルビアも、あまりの金額の高さに言葉が何もでないでいるような状態だ。
 何故…そんな汚い刀にそこまで払うのか…。そして、その刀の持ち主は…。唇をギュッと噛んだ。

 そんな誰もが、驚く中、ヒイロは用意された小切手に旨く握ることが出来ないペンで
『¥300,000,000縁   Heero.Yuy』
 と、サインした。








2006/9/4


#24ハジマリの地−2−

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