LOVER INDEX
#24 ハジマリの地−7−
高い山々がどこまでも続く。
見渡す限り真っ白な世界。木も、岩も、草も、建物もその全てがここでは雪で覆われている。
そんな世界でただ一つの異の存在。
深い蒼。青。藍の湖。
どれだけ気温が下がろうと、決して凍らない湖。
この世の物とは、到底信じることが出来ないほどに美しく、幻想的な湖だ。
しかし、故に。どこか、怖さを感じるのもまた事実。未知の存在。
古の話として、天空の城があったと伝えられる湖。
それが、ここ。ハジマリの地――――。
長年。何百年。何千年として、ここは、その姿を変えずにいた。
封印された地だ。
そんな地に刀を刺した。
鍵だ。玄関の戸を開けるように、封印が解かれようとしている。
地面が揺れている。
地震のような揺れではない。
地の奥の底から、鼓動のようなゆったりとした揺れ。
ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン
何かの目覚めを感じさせるようなそんな事態に、恐怖さえ覚える。
そんな事態にあたりから、困惑の声が僅かに上がっているが、そんな声は放ったまま、リリーナは刀を見る。
緊張をどうにか解こうと、息を大きく吐いた。
それでも、背中にヒイロが居る。
湖を向くわたくしと、背中合わせになるようにして立っている。
わかっている。護ってくれているのだ。バートン財団から。OZから。
いつの間にか、雪がちらついてきていた。
手袋もしていない刀を握る手は、真っ赤だ。
指先が実は冷たくてどうしようもない。
湖に刀が刺さってから、数分経ったが、静寂。辺りは、静寂だ。
わたくしとヒイロを囲むようにしている、バードン財団の傭兵たちも、その誰もが息をのんでいる。聞こえるのは、遠くで未だに続いている、戦闘の音だけ。
しかし、揺れは明らかに大きくなっている。
ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン
わたくしは、知らないうちに息をのんでいた。
喉がカラカラで。刀を握ったままの腕が、僅かに震えている。
だが、これは寒くて、わたくしが震えているわけではない。
そう。刀が震えているのだ。湖の奥で起こっている振動と合わせる様にして振るえる。
目を覚ませと、でも言っているようで…。
よく見ると刀を中心に、僅かな波が円を描くように立ちはじていた。
「!」
そんなとき、デキムが痺れを切らせたように、怒鳴り声を上げた。
「リリーナ・ピースクラフト!時間稼ぎは止めろといったはずだ!」
しかし、リリーナは擦れた声を漏らすだけで、デキムの言葉には耳を貸すことすらしない。
「逃げないと…」
「何だって?」
ヒイロがリリーナの呟いた声を聞き返す。本当に小さな声だ。
しかし、次のリリーナの声は誰もがはっきりと聞き取れるほどに凛と通る声。
「今すぐ、ここから離れてください!」
突然のリリーナの声に、誰もが目を丸くするばかりだ。それは、隣に居るヒイロだって同じことだが、リリーナは更に言う。
「早く!出来るだけ離れ…きゃ!」
しかし、リリーナが言葉を言い終わる前に、事態は急変する。
ズドォォォォォオオオオン!!!!
「!」
一同が見守る中、信じられない光景があたりに広がった。
そこいら中で、高さ30メートル以上はゆうにある石の塔が、轟音と共に湖を囲むようにして地面からいくつも姿を現した。形は様々だ。
「何だ!」
誰もが、事態がつかめないと声をあげる間も、塔は更に地面から突き出してくる。中にはサーペントを突き刺しているものある。
いまや地面の揺れは半端ではない!
「デキム・バートン!今すぐここから下がりなさい!」
リリーナが叫ぶが、デキムは不敵な笑みを浮かべたまま動く気配など微塵も無い。その為に、リリーナは再度叫ぶ。
「デキム・バートン!いい加減に…あ!」
だが、リリーナが言い終わる前に、数メートルはあろうかと言うほどの津波が襲い掛かってきた。
「リリーナ!」
ヒイロとリリーナが一瞬のうちに突き刺さった刀ごと、波に飲まれた。
だがリリーナたちなどには目もくれず、デキムは遠くを見つめたまま動かない。そんなデキムの視線の先の湖では、大きな渦が起こり始めており、風呂の栓を突然抜いたかのようにして、水が吸い出されている。
そんな光景にシルビアが恐怖のあまり声を漏らす。
「何が起こっているの…」
「気になりますか王女?台座を作っているのですよ」
デキムがどこまでも満足そうに言う。
「台座?」
わけが分からないといったシルビアの表情にデキムは視線を動かさないまま言う。
「王女。この辺りの地形にどこかで見覚えはありませんかな?」
「地形?」
シルビアは辺りをじっと見回す。湖の周りでははるか遠くの方でも、様々な形の突起物が地面から次々と姿を現し始めていた。他にも、湖のいたるところで渦が出来始めている。だが、ナイフが刺さったままの腕が痛むこともあり、あまり思考が働かない。
そんな様子にデキムの笑みはますます深くなる。
「とうとう、湖の底でもはじまったようですな」
そんなデキムの言葉どおり、湖のいたることで、突然穴が開いたように、水が滝のようにして下へ流れ落ちていっている。
「一体、なんなの…」
「わかりませんか?この湖の円周、形…どこかに似ていませんか?」
湖を見つめているシルビアの頭に、あるイメージが突如浮かぶ。
「……まさか…」
「そうですよ。現在の世界の中心。貴方が住んでもいらっしゃる。『EARTH』ここはEARTHがあった場所なのですよ」
「…あった…。ここにEARTHが…?」
「そう。EARTHとハジマリの地は元々一つだった。だから、ここ。ハジマリの地は長い封印から冷め、EARTHを受け入れるための台座を作っているのですよ」
辺りはより一層、地面の揺れにより、ひび割れ、辺りには狂わんばかりの勢いで叩きつけてくる波。突き出してきている塔もろとも、破壊しそうだ。それでも、水量はみるみるうちに減っていく。
湖の底から、確かに何かが姿を現そうとしていた。
シルビアの血の気が更に引く。
「さ、王女、そろそろお別れの時間だ」
デキムがそう言葉を発したと同時に、銃が向けられる。
「!」
シルビアの瞳が大きく見開かれる。
「殺せ」
辺りに銃弾が発射される音が響いたが、異変。
「何だ!?」
驚いたデキムが見たものは、シルビアを護るようにして突如現れた、土壁。
「!」
即座に事態を悟った、デキムが振り向いた先にはずぶ濡れのヒイロ・ユイが湖からこちらに向かって、音もさせずに走ってきていた。
「ヒイロ・ユイ!」
そんな声よりも早くヒイロが魔導弾を放つ!
「貴様!撃て!今度こそ、殺せ!!」
デキムの怒号が響く中、ヒイロの放った魔導弾により業火が巻き起こる。
が、それでも、バートン財団の数は半端ではない。全てを圧倒するには足りなかった。
「っ!」
僅かに舌打ちをするヒイロ目掛けて、銃弾が容赦無く放たれる。
そんなヒイロの目の前に今度は土壁。ヒイロのはるか後ろの、湖のふちに立つ、全身ずぶ濡れのリリーナだ。
それでも、それが今のリリーナの限界。
それがわかっているため、デキムも余裕だ。
「終わりだ。まとめて、片付けてやれ!」
「シルビア姫!」
リリーナの叫び声が響くそんな中、再び異変。
突如、ばたばたとバートン財団の傭兵たちが倒れていった。
「何だ!?何が起こっている!」
デキムの苛立った声の先にいたのは、笛を吹くひとりの青年。
「名無し!」
トロワの曲が完成したのだ。
その曲により、尚も次々と傭兵たちが倒れていく。
更にそんな隙を突くようにして、上空から現れるひとりの羽ビト。
「え!」
驚くシルビアを放ったまま、その羽ビトはシルビアを抱き上げると再び空へと飛び上がる。
「ミディー・アン!」
デキムは自ら銃を取り出し、ミディー目掛けて迷うことなく放った。
「つっ!」
直後、ミディーの鈍い声と共に、血飛沫が空から降ってくるが、ミディーはそのまま飛び上がる。
即座にミディーを援護するように、ヒイロが銃弾を放った。
「貴方は…」
シルビアが驚きのあまり声を上げるが、ミディーはそれには答えず、痛みに耐えるようにして、ただ自嘲するように呟いた。
「私が、OZの姫である、貴方を助けることになるなんて…」
「あ…」
ミディーは既に空高く上がっており、銃を放った所で意味など無いだろう。そんな状態に、流石のデキムも一瞬苦い表情を浮かべるが、その時、辺り一帯に大規模な地割れが起こる。
「え!」
あまりの揺れに立っていることも出来ず、リリーナは膝をつくようにしてその場にしゃがみこんだ。
下から何かが現れ始める。
「ヒイロ!直ぐにそこを離れて!あっ!」
ザッパァァァン!
リリーナに向って再び波が襲ってきた。
「リリーナ!」
ヒイロが叫ぶようにして湖に引きずり込まれそうになっているリリーナの腕を掴むが、とんでもない力で、湖に引っ張り込まれそうだ!
「な!」
だが、更に大きくなった地割れにより、足を取られヒイロもろとも湖に引きずり込まれた。
そして、地面から次第に姿を現し始めたのは道だ。
湖の中心へと向ってその道は延びる。そんな道が現れたのは、リリーナが初めに刀を刺した辺りだ。
それを見たデキムは、どこまでも冷たい笑みを浮かべた。
「これで、我等の長年の願いが叶う」
そう呟くと、デキムは道へと歩みを進める。
そのデキムに向って、湖からヒイロに捕まるようにして浮いているリリーナが必死に声を上げる。
「デキム・バートン!駄目です!待ちなさい!」
しかしデキムとその側近たちは止まることなく、湖の中心へと向って歩き続ける。更に、道に誰一人これ以上通さないとばかりに、傭兵たちがバリケードを作り始めてまでいる。
流石のトロワもこの状態では、一人では対処のしようがない。
だが、湖で浮かんだままのリリーナは諦めることが無い。掴まっていたヒイロから手を離すと、殆ど残っていない魔導を無理矢理発動させ、湖の上を走り出す!
一歩一歩、足に土の魔導を発動させ、水との反発を利用して力の限り走り続ける。
「リリーナ!」
即座にヒイロが驚いた声を上げるが、リリーナは止まらない!
「デキム・バートン!あれに触っては駄目です!あ!」
魔導が殆ど切れ掛かっているため、少しでも意識を他に移した途端、足が湖へと沈んでいく!それをリリーナは無理矢理引き上げる!
「聞きなさい!デキム!」
リリーナの凛と響く声に、デキムがようやく嫌々ながらに、振り返った。
「リリーナ・ピースクラフト。貴方の役目はここで終わりだ」
「デキム・バートン!あれに触れれば、どうなるかわかっているのですか!何故、EARTHの王族が我々に選ばれて…あ!」
しかし、デキムの言葉を待つよりも前に、リリーナの魔導が切れる。
ジャボォォォン!
リリーナは右足から湖の底へと沈んでいった。
ゴポゴポゴポォォォ
水が口から鼻から容赦無く入ってくる。
苦しいなんてものではない。手を、足を、羽をばたつかせるが、気がついた。上がどちらかも既にわからなくなっていることに。
ゴポォ
意識が遠のいていると言うことなのだろうか?
よくわからなくなってきた。
静かで、自分の周りはどこまでも青。
冷たいのに、暖かいようにも感じている。
ああ、神様。地上から悲しみを少しでも減らそうとしようなんて、欲張りな願いなのでしょうか…?
瞳をそっと閉じた。
この旅では、わたくしは殺されないとは言っても、死はいつだって直ぐ傍にいた。ずっと―――
いつだって、わたくしは、一歩も動くことなど出来なかった。
よくわからない人たちが放った、銃弾が飛んできていると言うのに、ピクリとも動けなかった。
いつもそうなのだ。
よく考えれば、死が直ぐ傍にいた。
追っ手が、賞金稼ぎたちが容赦無く放ってくる銃弾にわたくしは、一歩だって反応など出来ないのだ。
ただ、馬鹿みたいに突っ立っているだけで―――
そんなわたくしを、いつだって庇う様にして護ってくれていたのは、彼だ。
ヒイロ・ユイ。
あまりの自分の無力さに、涙がこぼれそうだ。
リリーナ
何となく、名を呼ばれたと思い、薄れる意識の中で見た視線の先にいたのはやはりヒイロだ。
「…………………………」
ああ…わたくしは、ヒイロがいなかったら……何度死んでいたのだろう。
涙が溢れてきたために、瞳をぎゅっと閉じた。
冷たい湖の中で、ヒイロによって重ねられた唇から空気が送り込まれてきた。
辺りの光景を上空から見つめる、シルビアとミディー。
「何が起こっているの…」
湖の姿は既に一変していた。
これほど高い場所でも湖の全容は見えないが、湖の真ん中には大きな円形の穴が開いており、その周りを囲むようにして湖の水が残っているような状態だ。
リングのような形。
そして、そんなリングの中心の底に見えるのは―――どうみても街だった。
2007/1/