LOVER INDEX

#30 Earth -1-



 無。
世界の終わりは、おそらくこの様な感じなのだろう…。
 何も感じない世界で、話しかけてくる。
頭に直接――
『君が「星の騎士」かね――?』
 誰だ?
『私は、鍵を創った者だ』
 鍵?あの、刀の事か―――?
『そうだ。あれは私が創った物だ』
 厄介な物を創ったな。あれのせいで、リリーナがどれだけ縛られていたか…。
『そうかね?ならば、今の彼女は自由というわけか…王であって王ではない今は』
王であって王ではない?何を言っている。
『そうか…君はまだ知らないのか。当然だな。彼女はEARTHの管理者では無くなった』
 何だと――?
『そろそろ目覚める時期ではないかね?』
「!」
一気に覚醒した。

瞳を開くと、一面淡い白の世界だった。
 時間の感覚が無い。
ここはどこだ…?
辺りを見回すと、ようやく理解した。
ハジマリの地だ。
ゼクスに倒された地点から動いてもいない。
「…うっ」
 痛みを抑え、起き上がった。だが、想像以上に身体が軽い。
 誰かに治療でもされたのだろうか?
それにしては、おかしい…。包帯もなければ、服を着替えさせられたという事も何も無い。倒れた当時のままだ。
辺りの床や壁は血が既に乾いてもいるが、こびりついている。加えて、服だって血が固まっている――だというのに、傷は無い。
先程の声の主の仕業だろうか?
 ゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。
倒れるときはあった、刀が無くなっている。
 その時、微かに音がした。何かを打つ音。
 カーン カーン カーン カーン カーン カーン カーン
 俺はそちらに向かって、重い足取りのまま歩みを進めた。
 それにしても相変わらずここは、不思議な所だ。この世なのかどうかすら、たまに疑ってしまう程、澄んだ空間。
そんな中をしばらく歩くと、一軒の家の前にたどり着いた。
戸は開いているので、そのまま入った。
 中に入った途端、一人の男に声をかけられた。
「こちらの鍵は久しぶりだから…鍛え直さんとな」
 男はこちらに背を向けたまま、刀を魔導で鍛えている。
 先程頭に直接響いた音は、この音だ。
「あれから、どれだけ経った」
「ひと月」
「…ひと月も…」
「すまないな。私の力では鍵が精一杯で、君を運べなかったんだ。何しろ、ハジマリの地の星がなくなってしまってね。太陽だけでは、エネルギーもなかなか溜まらない」
 男の言葉に驚いた。
「…機械…人形なのか…」
 若干、驚きを隠せずに聞いた。人にしか見えない…。
「そうでなければ、何千年もここには留まれないだろう?私は、ここの看守だ。浮島の看守に比べてまだまだ、年数は若いがね」
 当然のようにそう言うと、男は作業を止め、振り返った。
顔に髭を生やした、中年風の男は笑みを浮かべていた。
「その棚に、着替えや傷薬が入っている。鍵を鍛えるまで、まだ時間はかかる。まずは隣の家の湯でも浴び、身体を清めてくると良い」
 確かに、髪から足の先まで血が固まり、酷い状態だ。 
 だが、そんなことはどうでも良い。気になることは
「リリーナは無事なのか?」
「現在はわからないが、ここを出た当時は君よりも酷い状態だった」
「酷い――だとしても、生きているのか?」
「確かな情報は無い。私は星が関わっている事しか、外の情報はわからないのだ」
「…――俺の治療は、お前が?」
「私にはそのような機能は無い。精霊だ。君の中のな」
「………」
 胸に何かが突き刺さった気がした。

あの看守だという男が用意したのか、隣の家には、湯がはられた足つきのバスタブがあった。その湯を桶にすくい、身体にこびり付いた血を洗い流す。ひと月以上も放置されていただけあって、身体についた血や埃は固まって、なかなか取れるものではない。
それでも、確かに傷は癒えている。
ゼクスに突き刺された刀傷さえ、既に塞がっている。精霊が。
『大丈夫。風に愛されている貴方ならば』
リアルに聞こえた声に、一瞬息が止まった。
「………………………」
だから瞳を閉じ――頭ごとバスタブに沈めた。

湯を浴び終わり、部屋に戻っても尚、男は刀を鍛え続けていた。
「どれくらいかかる?」
「あと数日。適当に本でも読んでいると良い。地上では失われてしまった物も多い」
 隣の部屋は壁一面本が置かれていた。
しかし、ヒイロはそちらにはまだいかない。
「管理者では無くなったと言っていたな…どういう意味だ」
「正確には、彼女をまるで感じなくなった。私には分かるのだ。浮島とハジマリの地の管理者が誰かという事が。リリーナ・ピースクラフトは、そうではなくなった。七日前に、星との繋がりが切れた」
「何故…?」
 自分でも想像以上に声が擦れていたことに、衝撃を受けた。
「書き換えられたのだ。不正に」
「書き換えられた?」
 ヒイロの眉が歪んだ。
「OZは元サンクキングダムの者である、ホワイトファングを受け入れた」
「聖都のカーンズたちのことか!?」
「そうだ。奴らはEARTHのシステムを不正に書き換えた。星と彼女のつながりを切ったと言うわけ」
「まるで機械だな」
「私から見れば、EARTHは所詮機械だ。違いは旧世紀のモノと言うだけ」
「看守のわりに、随分な言い様だな」
 看守は苦笑する。
「そうだな。ただ、だからと言って、不正に書き換えて良いものではない。法で縛られたモノを破ることは――禁忌だ」
 看守は言葉の割に、力が無い。
「EARTHの看守、パーガンがいれば、不正なアクセスも防げただろうに。私も抵抗はしたが、止められたのは僅かだ」
「僅か――」
 OZはいつでも卑怯で狡猾。だからこそ、厄介だ。
「私はハジマリの地の看守。こちらの星に関してのアクセスしか許されてはいないのだ。EARTHのことに関しては弱いのだ」
「では、ハジマリの地の星の管理者は誰だ?」
「ミリアルド・ピースクラフト」
「…ミリアルド・ピースクラフト―――?」
 ゼクスではなく――ピースクラフト。
だからあれだけ苦しく、今にも泣きだしそうな表情だった彼女。
引っかかっていたものが、取れたような気がした。
「では、リリーナはEARTHの管理者ではないのか?」
「法で見れば、リリーナ・ピースクラフトのまま。しかし、システム上は、誤って認識されている。彼女の名を使い、別の者が使用している状況だ」
「ドロシー・カタロニア」
 ヒイロは断言する。
「彼女の名を扱うにしても、それなりの者で無ければ不可能だからな。止めさせるには、本人であるリリーナが星を直接操作すれば、再起動はされるが」
「EARTHにある星に近づくなど、現状では不可能だ」
「そうだ。だから今の彼女は王であって、王ではないのだ」
男は、息を深々とはいた。
「地上が気になるだろう?」
「無論だ。すまないが、俺が眠っていた間の世界の情勢を教えてくれないか」
「わたしに分かることで良いのならばいくらでも」
 男は、優しい笑みを浮かべた。

「ハジマリの地の星が加わったEARTHは現在、地上を焼きながら移動している」
 管理者が変わったから。
 だが――
「ゼクスの目的は何だ?奴だって羽ビトだろう?何故、自分たちの国を滅ぼしたOZに手を貸す」
 単純な疑問だ。
 奴の正体がピースクラフト家の者となれば尚更だ。
 だが、男の答えは意外なものだった。
「細かくは多々あるのだろうが、――戦いを終らせる為」
「終らせる…――?」
「彼は、終らせる為に戦うと、ハジマリの地の星に誓った」
 男は刀を鍛えながら、静かに話した。
「言っている事が理解出来ない」
 俺の言葉に男は苦笑するようにして首を振り、それ以上は自分もコメントのしようが無いと言葉を続けなかった。
その後は、世界各国の動きを聞いた。世界大戦が始まろうとしていると。そんな中で、リリーナは一体どうなったのか…星との繋がりを妨害されている現在。知る術は無いらしい。

そして次の日、周辺を歩いて回った。しかし、出口らしきものを見つけられることは無かった。
ここは湖の底。
「ここから出る方法はあるのか?」
「星のなくなったハジマリの地だ。結界は弱っている。入ることは不可能だが、出ることは可能だ。ただ、問題はあるがね」
どこか含みを持たせ、男は言う。
「問題ない。どうせ出るんだ。それで、その刀をいつまで鍛えるつもりだ?」
 置いてある書物も確かに利用できる物もあるだろう。
しかし、今はそれ所ではない。
「あと、二日。急ぐ気持ちはわかるが、待ちなさい。君たちには、刀があった方が必ず助けになる」
「何が目的だ――?」
 ヒイロの瞳が鋭くなる。
「看守ならば、ハジマリの地の星と契約した、ゼクスを助けるのが道理ではないのか?敵の俺たちではなく」
 男は手を止め、こちらに視線を向けてきた。
「何故、力を貸す」
「不思議だろうが、これがミリアルドの望みだ。君に鍵を残していった。奪うことも可能だっただろうに――ハンデを嫌うんだ」
「俺にではない。リリーナにだ」
 そんな俺の言葉に、男は僅かに微笑んだ。
「君に刀について話しておこう。彼女は詳しくないこともあるが、あまり話したがらなかっただろう?」
 確かにそうだ。そういう意味では何一つ、詳しい話を聞いたことが無い。戦いの最中、あいつ自身、ゼクスに教えられ唖然としていたくらいだ。詳しくもないのだろう。
「彼女は長い間、監視を受けていた。知らない事も多いのだ」
 男は鍛えている刀を見つめる。
「この刀は『鍵』と『武器』。二つの意味を持っている」
「管理者を殺す事が出来るのだろう?EARTHを落とさずに」
 だからリリーナは、刀を肌身から放す事が無かった。
「それは『武器』としての役割だね。しかし、管理者が請け負う役割は『鍵』であって、『武器』ではい。両方の役割をも請け負うのはある時期までだ」
「ある時期?」
「『星の騎士』が決定されるまで」
目覚める前にも出た単語だ。
「星の騎士とは何だ――?」
「星の騎士とは名前の通り、戦いの際、刀を媒介として星の扱いを許される騎士だ。管理者には必ずひとり、星の騎士がつく。はるか昔から続く、古い仕来りだ」
 ヒイロは僅かに、瞳を細める。
「管理者はEARTHの全権を担うことになる。その者が管理者として相応しくない際、止める者が必要だ。それが星の騎士ということだ」
 リリーナも言っていた事だ。独裁に走った者、権力に溺れた者。問題のあった者はそれなりにいたと。
 その為、刀で王族の命を絶つと。
だが星の騎士など、単語すら聞いたことすらない。
「リリーナにそんな人物がいるとは聞いた事が無い」
「そうか。やはり…探さなかったのか」
「探す?」
「彼女もいるのだ。ずっと昔から。ただ少し事情はがあって、共にはいないがね」
「――事情?」
 男の口元がふっと上がる。
「何故彼女は、刀を自ら持っていたと思う?」
「――管理者を殺せる人物だ。OZが狙わないはずが無い」
 リリーナの騎士は、OZの人間の誰かなのだろう。
「君は聡いな。OZは確かに騎士を選んでいた。しかし、言ったろう?彼女は少し、事情があってね」
「何が言いたい?」
「OZは、ミリアルド。彼女の兄に騎士を選ぶ権利を許したのだ。彼がOZの忠誠な兵士になる事を条件にね」
 ゼクスはあいつなりに、リリーナを護っていたというわけだ。
「ミリアルドは騎士を選び、OZに入ったと言う事だ」
「ゼクスが選んだ者。星の騎士はラファエルか――」
「そう。ミリアルドはラファエルを、と考えていた。彼女に伝えられた名は違ったがね」
「アルファ―α―」
「感心するよ。君の情報力、推察力には」
 機械人形相手に感心されてもどうなのだとは思うのだが、口に出す事はしない。
「だが彼女にはミリアルドの名は勿論、事情は何ひとつ知らされなかった。だから相手が誰であろうと、納得はしていなかったがね」
「OZに決められた騎士だ。当然だろう」
「パーガンも私も、賛成していたのだがな」
 正当な理由で彼女と共に立てる権利。
ラファエルは自分とは、どこまでも違う。
騙し、隠し、想いを利用し、自分勝手な謝罪だけで動いている自分とは。羽ビトの法、規則、法律を何一つ知らない、俺。
 そっと、ため息を殺した。
「リリーナが何と言おうが、ラファエルはあいつを裏切らない。良い人選だ」
「OZとしても大幅に譲った案だ。当時の状況では、これ以上に無い程に」
 男は言葉の割にどこか力が無い。
「だがリリーナは納得をしなかった」
 俺の言葉にも、男は何も言わない。
「まあ、その続きは後にしよう。それよりも、一つ聞いていいかね?」
「…何を?」
「今、もし彼女の意思で騎士を選ぶとしたら、自分を選ぶと思うかね?」
 男の言葉にヒイロの眉は寄せられる。
「……………選ぶはずが無い」
「何故?」
 理由など酷く簡単だ。
この血でまみれた自分を。
 男は困ったように苦笑する。
「あそこまで彼女を護る君だ。権利はあると思わないかね?」
「違う――契約だ」
「契約?」
「俺達はそんなに良い関係じゃない。旅の間、お互いを護るという盟約の元、共にいただけ。あいつは護ってもらいたい為に俺といた訳ではない」
「そうかね?」
 男は、どんな答えを期待しているのか、まるで理解が出来ない。
「どう思っているかは知らないが。あいつは、俺の身が危なくなったら、躊躇せずにOZへとあいつを差し出すと言ったことで、俺を選んだだけ。いざというとき、自分を切り捨てられる俺とならば、共に行っても良いと――妥協しただけ」
 気がつかぬうちに、ヒイロは僅かに瞳を伏せた。
俺はそれを知っていて――利用した。
あいつの想いを、心を。自分と来るよう仕向けた。
「俺は目的の為には何だってする。わかるだろう?ラファエルとは違う。そんな俺を――選ぶはずが無い」
 室内に魔導の炎の音だけが響いた。
「――君と彼女は似ている。とても強情だ」
「…何が言いたい」
 男は深く笑みを浮かべた。
「君たち二人は、お互いを気遣っているようで、まるでわかっていない――」
「…………………………」
 ヒイロからの不信な視線を受けても男は笑みを浮かべた。
「もう少しで刀の修理は終るよ」
部屋にはカーンカーンと刀を鍛える音だけが響いた。

 また次の日。
「…………………」
「どうした?」
 不意に上空へと視線を向けたヒイロに、男は声をかけるが、何でもないと首を振った。
 今朝、刀はようやく完成した。
そして、この場所を出る為の道へとやってきた。
「それで、お前の後を辿って行けば出られるのか?」
「そうだ。だが前にも言った様に、少し問題があってな。君は恐らく私を見失う」
「何故?」
「ハジマリの地は時が止まった、特殊な空間だ。記録、記憶が、多く入り混じっている。羽ビトは元々、魔導を受けにくい性質がある。ここは彼ら用につくらていてね」
「王族が魔導をまるで受け付けないようにか?」
「そういうことだ。だから侮ってはいけない。旧世紀の魔導の力は強大で、恐ろしい。君の中にだって、容赦なく入り込んでくる」
「了解した」
「感覚がおかしくなるとは思うが、君ならば大丈夫」
 大丈夫――一体何を根拠に言っているのかと、悩むような事を男は言う。
「私は出口で待っている。そして、外の状況をつかんでおこう」
「ああ。必ずたどり着く」
「では行こう」


見失うだろうと、忠告を受けてはいたが、歩き出した次の瞬間、男の姿はまるで見えなくなった。
そして数日が過ぎた。過ぎたように感じるだけなのかもしれないが。
無音で、冷たく、どこまでも永遠に続くと思われる暗闇。
一言で言えば、闇だ。方向感覚など、とうの昔に失った。最も、そんなものはここでは関係が無いと言っていたが。
前方、後方、左方、右方をどれだけ確認したかわからない。進んでも進んでも、終わりの無い道。
五感の全てを潰され、進まなければならない状況。
ああ。確かに一筋縄ではいかないようだ。
途中、腕に足に、身体全身に絡み付いてくる闇。そして、頭の中に直接訴えかけてくる声。断罪するように、強く。
思考さえも許されない。厄介な場所だ。
簡単に言えば、記録、記憶の保管庫と言っていたが――旧世紀の代物ともなると、性質が悪い。
過去の羽ビトの王族だろうか?鋭い怒りを込めた声。
『ここはお前が入って良い場所ではない。聖域だ。血に塗れたお前が汚してよい場所ではない』
ならばどうする?
『報いを受けるが良い』
 報いか。確かにそれは、正当な理由だな――
 そして、再び無音となる。
そんなことの繰り返しだ。
闇が濃すぎて、自分の姿だって見る事が出来ない。今では、瞳を開けているのか閉じているのかさえ、区別がつかないほど。
だが、それで恐怖を感じることは無い。
闇はいつだって、自分の体の一部だった。
だから、怖いのは――考える事すら、拒否していたこと。
放棄さえしていた。
考え始めると、止まらなくなることがわかっている――
死。ああ、恐怖だ。彼女の――死。
ここを無事出られたとして、あいつが死んでいたら…?
いなくなっていたら――?
本当にこの暗闇以上の闇――。
そっと、左耳にあるピアスに触れる。
瞳を閉じた。辺りは変わらず暗闇で、瞳を開けてようが閉じていようが、変わりは無いが。
嘲弄するように笑った後、久しぶりに声に出して呼んだ。
「リリーナ」
一瞬、闇の中にいる事を忘れた。

――だが、次の瞬間、目の前を何かが通り過ぎた気がして、瞳を開けた。
 そして息が止まる。
「!」
立っていた。暗闇の中に。こちらをまっすぐ見つめ。
「リリーナ…」
「…………………………」
 無論、現実ではない。こんな閉鎖された状態で、幻だと確信を持って言えるのは、そこに居る彼女の姿が幼いものだから。
 あの夜、出会った姿のままだ――。
 だから翼も大きく、美しいままだ――。
「お前は俺の記録か?」
 だがリリーナは、それに対する返事はせず、反対に聞いてきた。
 まるで迷子のように――澄んだ瞳を向けてくる。
「空の番人は――?」
 その問いは、俺にとって驚きや衝撃、疑問、その他全てのものを凌駕するほどだった。
だから気がついたときは、答えていた後だった。
「4つ目の星の角を曲がれば――」
幼いリリーナは――やわらかく微笑んだ。
「星のヒト――」

 そして俺は、幼いリリーナと共に歩いている。リリーナの小さな右手は俺の左手を握り、足音をさせずに歩いている。歩幅が違う為に、どうしても進みは遅くなる。
 確かに――強力な誘惑だ。
幼いリリーナをひとり残したまま、行く事が出来なかった。どうやっても――。
そして彼女が現れた後も、辺りはやはり闇のまま。
ただリリーナが現れてからは、俺たちの周りだけは僅かに光っている。そんな中で見る、幼いリリーナは記憶とかわらず、まるで話さず、静かだ。
 それでも握っている手は、暖かく、震えてはいない――。
 そうやって無言まま、何時間も歩き続けた。しかし途中、リリーナは進めなくなった。羽ビトの足は長時間歩くように出来てはいないのもあるのだろうが、体力もそこまで無いのだろう。
 だから、幼い彼女と視線を合わせる様に膝を地面につけ、手を差し出す。
 幼いリリーナは、表情は決して変わらなかったが、確かに驚いたように、息を呑んだ。
 そして、かなりためらった後、ようやく俺の手を取った。
今度は幼いリリーナを抱かえて進む事になった。俺の首に腕をまわすようにして、身体を支えている。幼いリリーナの翼が目の前で揺れている。
 幼いリリーナは日によって、四時間から八時間程度眠りに落ちる。すると辺りは再び暗闇となり、あのうっとうしい囁きが再び聞こえ始めた。幼い彼女が起きているときは、それが一切無いのだ。こうなるとやはり、幼いリリーナ自身が偽りの存在の可能性も高いのだが――…。
 それから幼いリリーナは目を覚ますとすぐに、辺りを少し見回し、黙ったまま指を指すのだ。そちらに進んで欲しいと意思表示をするように。
そんな事が数日続いたある日。彼女が眠っているときだ。今までとは少し違った囁きが唐突に訪れた。
『何故捨てない?』
 どこかで聞き覚えのある声だ。記憶の底を掘り起こす。
『その娘が、本当はただの人形だとは考えないのか?ここはお前を惑わす為に、何だって利用する。わかっているのだろう?』
 諭すような口調。随分と懐かしい声だ――。
『そうか。それがわかっていて、尚――自分からは手放せないというわけか』
 アディン・ロウ――思い当たってから、視線だけを向けるとそこにいた。
 消えろ。奴は死んだ。お前は違う。
『死?彼女も死んでいるかもしれないのに俺は偽物で、その娘は手放さない。差は何だ?同じ事だろう?』
 ――――。
『騎士気取りか?彼女はそんなことを求めてもいないのに?』
 鋭く胸を突く――。確かに、あいつはそんなことは望んでいない。それでも――
 何度も言わせるな。消えろ。
『お前は騎士になりたくて仕方が無い――』
 それだけ言うと、アディンの姿をしたモノは唐突に消えた。
 幼いリリーナが目を覚ましたからだ。そんな彼女は気のせいか、僅かに悲しそうな表情を浮かべている。
 どうかしたのかと、声をかけようとしたとき、彼女は何日か振りに声を出した。
「ウイング――」
 何のことだと、リリーナに視線を向けると、ためらうようにして俺の胸辺りに、そっと手をあてた。
「中に、風の精霊『ウイング』が」
あの毛玉はそんな名前だったのか――と、そんなことを考えていると、幼いリリーナは瞳を閉じ、音をとらえるように息まで止めていた。
「素敵な風――」
やはり幼いリリーナは、今のリリーナとは違うようだ。
現在の彼女は風の精霊を感じる事は、酷く困難だから。
 
 だから、気がついた時には声に出していた。
「お前は、無事なのか?」
 幼いリリーナの、澄んだ空のような瞳が向けられる。
「何故いつも、命を軽んじる?騎士がいるのならば、護衛も一つの手だっただろう?」
 ラファエルは申し出だってしたのだ。
しかし、リリーナは――――
「それは出来ません」
「何故?あいつは強い。少なくともお前よりは、ずっと」
「知っています――ですが、わたくしの星の騎士は、違うのです」
 無表情のまま、幼いリリーナはそんな事を言う。
「違う?何が?」
「勝手に決めてしまったのです――本人の意思を聞かず」
 ゼクスが決めたとしても、自分の知らない所でだ。
 男も言っていた通り、自らが納得しない限りは、意見を曲げる事が無い彼女が受け入れることは、確かに難しい。
「そうだとしても、ただ殺されるわけにはいかないだろう?王として」
「そうだとしても、わたくしはひとりで行くと、決めたのです」
 凛と言い張る声に、昔から全く変わっていないのだと、思い知らされる。拒絶。だから、何か違和感を覚える。
「何故そこまでこだわる?」
会って、当人と話すくらいは、いつもの彼女ならばしそうなことだ。いつだって、対話を積極的に求める彼女だ。
しかし、返ってきた答えは意外なもの。
「OZが探しているのです。ずっと」
探す。思えば、看守もその単語を使った。リリーナは探していないのかと、落胆していたとさえ、感じられるように。
「何故探す必要がある?騎士はゼクスと繋がっている。知らないのか?」
 俺の言葉に、リリーナは首を横に振る。
「いいえ。OZは探し続けています。今も――ずっと」
「何故、そんな事をする必要がある?」
 ラファエルはいつだって聖都にいた。探す必要など無いのだ。
「無論。命を奪う為です。あの人の騎士としての地位が欲しいのです」
「命を――」
 俺はため息を殺した。
 ラファエルを殺して、新たな騎士を作ることが目的。
 確かにOZならやりかねないが。それでも、ゼクスだ。
当時の情報が少ない為、実際、現場がどうだったのかを知ることは出来ないが、ゼクスがそんな穴の開いた取引をするとは思えない。
「リリーナ。あいつは殺されない。そう言う取引なんだ」
 しかし、幼いリリーナは首を横に振る。
「OZは何としても、わたくしから聞きだそうとしました。しかし、無駄です。わたくしには答える気が無いのだから」
「――聞き出す?」
 話しに明らかな歪みを感じる。
 男も最後、言っていた。事情が、少し問題があったと――。
「無論、パーガンからも多くの叱責を受けました。一人の為に払う代償としては、大きすぎると。王として間違っていると。ですが決めたことです」
「代償…?」
「OZの問いに沈黙することに、抵抗する事に、意味が必要だというのであれば」
 リリーナの瞳が揺らぐことなく向けらる。
「あの人を騎士にすると、看守たちに誓いをたてました。護って欲しいわけではありません」
「―――誓い?」
何かが、おかしい――。
「王は、一人のモノではないから。それでも、騎士の為の沈黙となれば、世間への名目はたつ。十分です。そしてわたくしも、その判断を後悔したことは、一度だってありません」
「何故?」
「理由などありません。わたくしはあの人に、騎士になってもらいたい。無論、あの人が了承してくれればの話ですが」
「―――――――――」
「あの日からあの人を忘れた事などありません。一度だって。名を問わなかった事を、どれだけ後悔した事か」
幼いリリーナが瞳をすっと閉じた。
「わたくしはあの人の強さに、優しさにただ、惹かれたのです」
 澄んだ声に、動きの全てが封じられる感覚。
「――――誰の事を…言っているんだ?」 
 幼いリリーナの瞳が、真っ直ぐに向けられ――
「わたくしの大切な星のお姫様」
息が止まった。
 
次、声を出そうとしたとき、そこにいたのは――俺をここに導いた機械人形の男だった。
表情を鋭くさせた俺に反し、奴は笑顔だった。
「すまない。騙しそうとしたわけではないのだが」
「――どういうことだ」
 警戒心を隠そうともしないヒイロの声。
「私にもこの状況を、どう対処して良いか実際、とても困っていたのだ。無論、君の事もすまないが調べさせてもらった」
「それで最後に、幼いリリーナを用意したというわけか?」
「結果的にはそうなるが、ここ数日話してみたが、君はとても警戒心が強く、優秀だ。何を話すのにも、脳波も心拍数も変わらない。だから最後に、彼女にならば話すのではないかと、試したのだ。しかもこの空間の彼女はある意味、本物だ」
「だいぶ幼かったがな」
 男は苦笑する。
「半分は、私の記憶だからね。あれ以降の彼女の情報は一切こなくてね。しかし私としても、間違えるわけにはいかない。刀を渡すという事はそう言うことだ」
 男の立場はよくわかる。管理者を殺せる刀だ。簡単には渡せないだろう。しかも、自分の経歴では尚更。
「それでようやく私も納得がいった。君は本当に知らないようだ。そして、彼女も知らないわけだ」
「――――――――――」
「不思議だったよ。私の記憶に残る彼女は、あれだけ拒絶していたはずの者だ。自分が接触をすれば、命を危うくする事になると、最後まで譲らなかった。EARTHを出る時でさえ。だと言うのに、そんな刀を持つ者と彼女は共にいた」
「――――――――――」
男が視線をじっと向けてきた。
「君は彼女の星の騎士だ」

 先程まで暗闇だった空間が、今はとある部屋。EARTHの彼女の部屋だ。
「私の名はドーリアン。順を追って説明しよう。ただ、私が知っている事のみしか、教えられないがね」
「まだ何か隠すつもりか?」
「そうではない。私も知らないのだ。細かい事は何一つ」
「何故お前は、俺だと知っている。あいつ本人は勿論、OZですら、知らないことではなかったのか?」
 幼いリリーナも、OZが今でさえ、探していると言っていたほどだ。
「無論。私も先程、知った。君の記憶からな」
「4つ目の星――」
「あれは君しか知らない。だから、驚いているよ。彼女が君を探し出したとずっと思っていたから。だが、実際は逆だった」
「――――――」
「君が見ていてくれたんだね」
 ドーリアンはそう言うと、部屋に置かれた椅子に腰をかけた。


「君が想像しているよりも、当時の彼女は、OZに反抗的ではなかった。彼女はEARTHの管理者になった直後から、心を閉ざしたのだ。自分のせいで両親が亡くなったと、責任を感じていたんだ。その為、表面上はとても従順だった」
 ドクターJの資料にも、口数は少ないとはあったが、従順。
わからなくは無いが。
「それもあり、騎士の件は問題なく進んでいた。興味すらなかったのだろう。彼女はミリアルドが選出したアルファとも、会おうとすらしなかった程だ。だから、当時はそこまで監視も厳しくなかった」
 思い出してみれば、夜、EARTHの外階段を自由に歩いていたほどだ。
「だがある日、突然変わった。OZに明らかに敵対するようになったのだ。彼女の本質が現れたと言えば良いのか。私もパーガンも、驚いた。とてもね」
「だが、その方が、あいつらしい」
そんな俺の言葉にドーリアンは苦笑をする。
「その日とは、あいつが地上に降りた日――」
「そうだ」
 ヒイロの瞳が歪む。
「私たちには理解が出来なかった。何故、地上に降りる事になったのかさえ。更に、地上から戻ってきた彼女は、一言も話さなかった。同行者がいたことは、誰もがわかっていたのに。頑固にね。自分が話せば、その者が殺される事が、わかっていたからだ」
「馬鹿だあいつは――」
「当然、OZの怒りは激しいものだった。誰に地上に連れて行かれたのだと、何時間も何日も問い詰めたが、彼女は答えなかった。どこかの機関、国にさらわれたのかと問うても、一言も。困り果てたOZは、パーガンをも呼んだ。しかし、結果は同じだったがね」
 ドーリアンは苦笑しようとして、失敗する。
「その為、彼らは最後の手段。翼を奪うと脅しをかけ始めた。羽ビトにとって翼は大事なものだ。それが王となれば、尚更」
「それでも、あいつは譲らなかった」
「私達も、彼女の説得を諦めはしなかった。王が特定の者の為に払う代償として、翼を失うなど、許されないと。何度もね。だが、彼女は言った。何一つ迷うことなくね」
 ドーリアンは視線を俺へと向けた。
「自分の騎士にすると。それならば問題ないだろう?っと。あのときの含んだ微笑は、今でも忘れない」
「――――――――――」
「馬鹿だ。逃げたと、さらわれたと言えば良かったんだ。言いさえすれば、翼を失うことも無かった」
「そうだな」
 ドーリアンは苦笑した。
「騎士とは言え、王の翼を引き換えに出来るほどの存在かと、問われれば、難しいものがある。だが、数少ない彼女の望みだ。だから我等も認めることにした」
ヒイロの眉が、大きく歪む
「それに、それからも問題はあった。騎士を決めたと言っても、彼女が言っているだけで、正式に騎士になっているわけではない。OZは当然納得しない。自分たちの決めた者を、今すぐにでも騎士にせよと命令をしてきた」
 ドーリアンは当時を思い出すように、瞳を閉じる。
「だが彼女はそんなことは、気にもしなかった。自分の騎士は、誰に縛られることもなく、何度でもOZを倒しに来ると。強い言葉ではっきりと宣言までした」
「――――――」
瞳を歪めるヒイロの横で、男は僅かに苦笑する。
「それからの彼女は、さらに厳しい監視下に置かれた。全く困ったものだな」
「そして、あいつは…翼を失った――」
「はじめはただの、脅しだったのかもしれない。だが、OZは許さなかったのだ。彼女の反抗的な態度を」
「どうかしている――」
 嫌気が差し、吐き捨てるように言った。
「そうだな。騎士にするとは言え、たかが取替えのきく星の騎士を、自らの翼と引き換えにするとは――王としては、失格だな」
「――――馬鹿だあいつは」
「だが彼女は、そんなことは十分知っていた。その上であの方法選び、我々看守に誓った。我侭は、これを最後にするからと」
 ヒイロの表情が渋いものに変わる。
「――翼を犠牲にしてまでかばう事に、一体何の特がある」
 男はそっと微笑む。
「彼女の言葉を聞いただろう?あれが全てだと思う」
男は静かに瞳を閉じた。
「彼女にとっては、譲れない事だった。私たちが、どれだけ考え直せといっても――意味が無いほどに」
リリーナの無鉄砲さは変わっていないと、思い知らされる。
「しかし、問題はそこなのだ」
「問題?」
「だからこそ、OZは奪ったのだがね」
「――どういう意味だ?」
「彼女にEARTHは、OZは止められないという事だ」
「止められない――?」
 
部屋が空へと変わった。
「!」
 目の前に浮かぶのはEARTHだ。
「これが現在のEARTHだ。龍の国にはまだ、たどり着いていないがね」
「戦いが始まったのか――」
「OZは彼女の名を使い、旧世紀の武器。魔導砲の封印を解いた。そしてそれを使い、地上を焼き続けている」
 視線の向こう。EARTHが通ってきた道は焼け野原だ。
「トレーズはゼクスと共に、旧世紀の兵器を次々と復活させているようだ」
「ゼクスは今に始まったことじゃない。あいつは今までだって、EARTHの技術の多くをOZに伝えていた」
 だからこそ、あそこまでの地位についていもいるのだ。
「それに加え、ミリアルドは星に、少し厄介な事を刻んでいてね」
「厄介?」
「私としても、どうしてもそれだけは止めたい。そこで数万のシュミレーションを行った」
 数万とは、流石機械人形ということかと、おかしな所で感心する。
「結果は良くないものばかりだったがね」
「予想は予想でしかない。現実は違う、諦める気は無い」
 ドーリアンはヒイロの強い言葉に僅かに驚き、笑いが漏れた。
「彼女が君に惹かれる理由がわかる気がするよ」
「――――――――」
するとドーリアンは鍛え終わった刀を取り出し、地面に刺した。
「君に預けたいところだが。正確にはまだ騎士ではない。彼女へ返してくれるかな?」
「過去どう思っていたかは知らないが、今もあいつが俺を選ぶとは限らない」
「確かにそうだな。だが、私にはわかるよ」
 何を期待しているのか、ドーリアンはどこか含んだ笑みを浮かべる。だからヒイロの表情もどこか鋭くなる。
 しかし、ドーリアンは気にせず笑顔だった。
「さあ。どんな結果が出ようと、彼女が二度も信じた君だ。わたしも信じてみようと思う」
 ドーリアンは深く笑みを浮かべた。
「――力を貸して欲しい」
 ドーリアンの声は機械人形とは思えない程の、様々な感情が込められているような気がした。
「EARTHがこれ以上、地上を焼く事を」
 ドーリアンは優しく微笑んだ。





「lover index 5 」より


#30 Earth -2-

NEXT

inserted by FC2 system