LOVER INDEX

#30 Earth -2-

「―――あ」
不意に、涙がこぼれた。
それは別に、身を裂かれるような痛みでも、心を焼かれるような悲しさとも違う。
言ってしまえば、何も感じなくなった。
 それなのに…涙が溢れてくる。

手の中から、小さな星が静かに、消えていった。
 
「不思議な音…」
瞳を開けると白。
高い天井から、小さな星がいつくも吊り下げられている。
その星が、風に揺られるたび、音が聞こえてくる。
それは、凛とした鈴のよう。
不思議と、その音を聞いていると、再び眠りに落ちそうになる。

「無理をなさらないで下さい」
 そんなとき、気遣うようにして声をかけてきた。
「………………ラファエル……」
それだけで、わたくしには十分だった。
―――ヒイロが、ここには………いないのだと。
息をそっと吐いた。

次の日、体のあまり重さに驚いた。 
 ここは聖都だった。ラファエルの話だと、運び込まれてから既にひと月以上は経っているということだ。
 部屋のテラスからリリーナは、街を見渡しながら呟く。
「綺麗な都市ですね」
「今の時代で他の都市とは違い、一度も戦場となっていないことが、やはり一番大きいのではないでしょうか」
 以前ヒイロもそんな事を言っていたのを思い出した。
「そうですか。ありがとうございます。お世話になってしまって」
ラファエルは、静かに構いませんと、瞳を伏せた。

リリーナは軽い食事を取りながら、ラファエルから経緯を聞いた。
「ハジマリの地で、姫をヒイロ・ユイから引き受けた後、私は、そのままウィナー達の列車で、彼らと聖都へと戻りました。姫の治療には大聖堂が欠かせませんでしたから。ただ、共に行ったデュオは、残りました。ヒイロ・ユイのこともそうですが、辺りを調査すると…ですが、そのデュオも一週間ほど前に戻ってきておりますが…」
「ヒイロはあの後も…ゼクスと交戦を…」
わたくしを逃すために、だ。
「彼が…ヒイロがどうなったのか、デュオからは何か状況等は入っていないのですか?」
「……申し訳ありません。ハジマリの地には、聖都の人間もマグアナックの者たちも残っているのですが、今のところ、何も」
「…そうですか…」
僅かに視線を落すリリーナを、ラファエルは黙ったまま見つめる。
ハジマリの地が閉じてから、既にひと月――限界だ。
出ているのならば、どこかの機関から連絡が入ってもいい。それが無いということは、自ずと結果は出てくる。
だから教会も自分も、ウィナーたちはどうだかわからないが、ヒイロ・ユイの生存の可能性はゼロに近いと答えを出している。何しろ、ゼクス・マーキスは出てきているのだ。
ラファエルの視線が僅かに落される。
しかしそんなことを、こんな状態のリリーナに伝えることは出来なかった。
だが、そんなラファエルの思考に反するように、リリーナは言う。はっきりと
「ラファエル。ゼクス・マーキスと連絡を取ってください」
「――何の為に?」
 ラファエルの甘さの無い鋭い指摘に、わたくしは彼を思い出さずにはいられない。
彼らは似ていないようで、とても似ている。
「ハジマリの地を開けてもらうよう、願い出ます。刀がこちらに無い以上、彼に頼むしかありません」
「そうですが、反対です」
 言うラファエルの表情は鋭い。
「ゼクスと言うことは…OZということ。交渉を持ち込めば、何を引き換えに出してくるか、わかりきっている」
「そうかもしれません。ですが、このままにしてはおけません」
 お互いを助けると、約束したのだ。
「では、お聞きします。もしOZが、貴方の身柄を要求してきたらどうなさるおつもりですか?」
「――――」
気がついたら唇を噛んでいた。
 そんなことわかっている。自分が要求されたら、断る以外に無い。そして、わたくしはそれにかわる程の何かを、OZの要求に応えられるだけの何かを持っているのか?
否。何もありはしない。なにも――
 これでは聖都の船での二の舞。今度は助けてくれる彼がいない。
 OZと交渉するとはそういうことだ、と酷薄に告げる声が頭の中を響いた。
 頭を動かせ。目覚めたばかりで頭が働かないなどという、言い訳は許されない!しっかりしろ!
 自分からOZに弱みを見せてどうする。
 だから、想いを、感情を殺す。
「申し訳ありません。頭を冷やします」
 ラファエルだって、リリーナの気持ちがわからないわけではない。何よりも最後、ハジマリの地にヒイロを残したのは彼だ。
「申し訳ありません。ヒイロ・ユイは刀を借りて行きました。だから騎士だと、勝手に判断しました――だから、出られると」
 ラファエルの指す騎士とは、無論、星の騎士のことだ。星の騎士は問題なく出られる。王直属の者だから。
ラファエルは間違ってはいない。何一つ。ヒイロが星の騎士だと、そう思われても当然のことをわたくしはした。
「わたくしが悪いのです。――申し訳ありません。禁忌ですね」
 刀を星の騎士以外に使用させることは禁忌だ。それを知っていて、ゼクスと対峙した際、貸した。
 あの方法しか思いつかなかった。
だからヒイロが借りていったことに、何かを言うつもりはわたくしには無い。一度貸した刀だ。ヒイロには何度貸そうが同じことだ。
だというのに、別れる際、黒い刀を借りたときのヒイロは、ラファエルでさえ驚くほど、悔いているような表情を浮かべていたという。
 いいのに――。
刀は確かに大事な物だ。それでも――わたくしを逃す為だけに残った彼が使う。
 誰かが何かを言ってきたら、それはわたくしが甘んじて受けるから。ヒイロはそんなことを気にして欲しくなど無いのに…。
そんなことよりも気になることは、ゼクスはハジマリの地から、出て来たということ。そんな彼は現在、ヒイロが持っていたはずの、黒い刀を持っているという事実。
ヒイロ――
 気ばかりが重くなる。
 そんな気持ちを振り払うように、せめて良いことを探す。
「現状、星をゼクスが持っていった。つまり、ハジマリの地に星が無い。それならば、ヒイロのことです、大丈夫でしょう」
「――…」
 ラファエルは反論しようとして、止めた。
星が無いとは言え、どうにかなんて言葉で封印を解ける程、ハジマリの地は容易いものではない。
鍵である刀と、管理者がいなければ、ハジマリの地は開かないのだ。現状ではハジマリの地の管理者。
つまりゼクスが許可を出していれさえすれば、中から出てくることは可能だろう。ただゼクスが、ヒイロをどう扱ったかを知る術はこちらには無い。
第一、生きているかさえわからない現状。
仮に生きていたとしても自力でとなれば、先程も出た、リリーナが目を覚めるまでは期待を寄せていた件。
『星の騎士』ならば、特別権限で出ても来られるだろうが…ただ、ヒイロは騎士ではなかった。
リリーナだとて、そんなことはわかっているはず。
だが、それを承知していて尚、大丈夫だと言う、リリーナ。
それは、既に希望的観測に近いようにラファエルには思えたが、それを口に出すことはしなかった。ただでさえ、疲れきっているリリーナに、これ以上の心労を増やしたくはなかったからだ。
そして、本当は身体が動きさすれば、今すぐにでもハジマリの地へ行きたいという、リリーナの思いを悟ったから――。
「ラファエル。手が空いたときでかまわないのですが、お願いがあります。便箋と封筒を用意していただけませんか?」
「手紙をお書きになるのですか?」
「ええ」
その後は静かな食器の音だけが、午後の部屋に響いた。


再び眠りについたリリーナを残し、ラファエルが回廊に出たところで、ようやく声をかけられた。
「ヒイロ・ユイがいない。狙っちまえば良いじゃん」
 手すりに腰掛けるようにして、ジェイクが笑みを浮かべていた。
「あの野郎は星の騎士じゃなかったんだろ?」
「―――お前には関係ない」
ラファエルは歩き続ける。
「関係あるだろ?前とは違ってゼクスは、ハジマリの地の管理者になった。ということは、刀でけりをつけないと、いろいろ厄介だろ?」
 ジェイクの言葉は正論だ。だが――
「肝心の刀が無い。騎士がいたところで何の意味もない」
「刀が手に入ったときどうするんだよ?備えは常識だろ?」
 そんなことは指摘されないでもわかっている。
 ラファエルの眉が僅かに歪む。
「王女様には俺が言ってやろうか?騎士を選んでください。王女の腕では無理です。ミリアルド様は倒せませんって」
「ジェイク」
 ラファエルの鋭い視線が向けられる。
「何で?大体、お前が選ばれたわけだろ?それを我侭な王女が破棄した。自分で決めた者がいるって。どんな奴かは知らないけど」
 それどころか、詳しい事は聖騎士とは言え、知らなかった。当事者であったラファエル以外は誰一人として。そのラファエル本人が、何一つ話さないのだから、事情などわかるわけが無い。
 ジェイクは納得がいかないと、ぼやいた後、ようやく黙った。
 だからラファエルも、そのまま立ち去った。壁の一部を一瞬だけ、鋭く見つめはしたが。
 そして、ジェイクとかなり距離が出来てから、ようやく気配も無く横に並ばれる。
「バレてたか」
 デュオは悪びれもせず、飄々と言う。
「姫のそばで不審な行動はとるな。次は斬る」
「どっかの誰かさんみたいに結構、物騒だな」
 ラファエルの鋭い視線をデュオは軽く流す。
「で、さっきの話。何?お前が選ばれるはずだったの?」
 星の騎士については既に聞いていた。何しろ、ハジマリの地に最近までいたデュオだ。情報がなければ、対処のしようもない。
「ジェイクの提案どおり、一度試してみれば?何があったかは知らないけど、時間も経った。お嬢さんの考えも変わっているかもよ?」
「それはない」
 ラファエルは、悩むそぶりすらない。
「でもよ、冷静に見て。星の騎士はEARTHに対抗するには必要だと思うぜ。オレも。刀は奪えば良い訳だし」
 ゼクスの持つ刀を奪うなど、隠密行動が得意なデュオでなければ言えない事だろう。
 ラファエルがようやく歩みを止めた。
「そうだとしても、姫は選ばれない。誰も」
「何故?お嬢さんは既に決めた奴がいるから?」
「そうだ。姫は既に選ばれている。他の誰かを選ぶのは、その者が拒んだ後だ」
「誰なんだよ?何か弱みでもそいつに握られてんのか?」
 ラファエルが言うほどに、リリーナがそこまでこだわるとは、デュオには思えなかった。
 旅の間だって、そんな奴の話など聞いた事すらない。一人で行く、と一点張りだったくらいだ。
「現在の世界の状況でも、お嬢さんはそう言うと思うか?」
 戦争が半分始まっているような現在。
自分の知っているリリーナならば、間違いなく、世界を優先すると思うのだが、ラファエルの考えは変わらない。
「その気がおありなら、既に選ばれているはずだ。ヒイロ・ユイを。だが、選ばれてはいなかった」
「確かにそれはそうだ」
 デュオたちはヒイロが星の騎士だと判断し、自力で出てこられると待っていたのだ。だが、違うとわかった現在。
「お嬢さんじゃ、ゼクスを倒すことは不可能だろ」
 デュオの言葉は、ラファエルだって同感だ。だから間違ってはいない指摘に言葉が見つからず、沈黙してしまう。
「それがわかっていて、譲らないってのは、ある意味ですごいな。お嬢さんにとっては、ヒイロやお前以上の存在なわけだ」
「当然だ。何しろ姫は奴の為に――」
 ラファエルは、そこで言葉を止めた。その先は禁忌だ。
 翼を失った事は――――
「兎に角。姫は選ばれない。奴ですら選ばれなかった。つまりはそういうことだ」
 ラファエルはそれ以上、何も言うことなく、部屋へと消えた。


 そんな事情など知らないリリーナには、目覚めてからというもの、部屋には様々な客が訪れた。
まずは、教会の船でヒイロに片翼を切り落とされたジェイク。すっかり傷は完治したのか、何もなかったようにして歩いていた。
そして、開口一番。会いに来てやったぜ。と、船でのわたくしの彼に対する、最後の言葉に応える形の挨拶だった。
だが相変わらず、口調は崩した態度でわたくしに接してくる為、ラファエルは怒り心頭のようで――いつだって怒っている。
そんな二人のやり取りを聞いていると、ついついわたくしが微笑んでしまうものだから、今度は別の意味で二人が怒り出す結果となる。
だから、何となく気がついた。
 船ではじめて会ったときよりも、ラファエルとジェイクの関係は少し変わったのだと。良い方向に。
他にも、船で乗り合わせた多くの神父やシスター達が、次々と会いに来てくれた。
皆、わたくしが疲れない様にと、相当気を使っていてくれたのがわかった。
そして足の悪い中、訪れてくださったのが、聖都リーブラの法皇様に、デュオだった。
デュオはその前にも何度も来てくれていたらしいが、わたくしが、目覚めていなかったのだという。
法皇様はとても、優しい方だった。デュオのことにも、とても詳しくて、デュオが幼い頃起こしたイタズラなど、そんな話も交えながら気軽に話をしてくれる、年老いた素敵な方だったのだ。
しかし法皇様がそんなことを話すものだから、隣に居るデュオの口は止まる事が無い。それは悪戯ではなく、立派な大人に対しての抗議だとか、正当な細かい理由があってだとか…本当に聞いていて微笑ましい限りだ。
無論、カトルさんや、マグアナックの皆様も訪れてくれた。
実ははじめ、カトルさん達は、わたくしが疲れるだろうからと来なかったのだが、わたくしが会いたいからと、無理にお願いをして来て頂いたのだ。
わたくしの為に用意してくださった部屋は、とても広く、マグアナックの全員が入っても十分余裕があった。
そしてわたくしは、お詫びをした。
ハジマリの地へと向かう為とは言え、勝手に機械人形を一体、借りてしまったことを。
しかも、OZによって、彼は壊されてしまった。
あの機械人形はマグアナック隊の物だったと言う。だが、彼らは、あの機械人形がわたくしの身を護ったというのならば、良かったと、笑顔を返された。
 それからそれとは別に、カトルさんは表情をあえて変えずに、ヒイロのことについて口を開いた。
 ラファエルが言っていた通り、マグアナック隊の皆が毎日辺りを探してくれている上、他にもウィナー家の情報網を使って世界から探していると。だから―――
 カトルさんの言葉を遮るようにして、わたくしは声を出した。
「ええ。わかっています。ヒイロは大丈夫。生きています」
そんなわたくしの言葉に、カトルさんの瞳が一瞬、揺れた後、微笑んでくれた。
 意外な事に、シルビア姫の護衛である、ノインもやって来た。その際シルビア姫は――訪れるような事はなかったが。
 特につながりの無いノインが訪れたことは少し不思議だが、おそらくはOZ的にも、わたくしの具合が気になっていたということなのかもしれない。
その際、ハジマリの地でシルビア姫を助けたことを感謝されたが、当然のことをしただけなので気にしないで欲しいと伝えた。
 シルビア姫のことを思うと、気が重くなって仕方が無い。
 ヒイロの事態を嘆いていないはずが無い。
 ラファエルに聞いた所によれば、聖堂で毎日欠かさず祈りを捧げているという。
 彼女はどんな思いで待っているのだろう――。
 そして、わたくしは――。
 
 人が訪れないときは、ラファエルに用意してもらった便箋で手紙を書いているのが、日課だった。ベッドを一人で離れられるほど体力が回復しているわけでもなければ、ずっと寝ていなければならないほどでもない。手紙は打って付けだった。
 だから手紙の回数は自然と多くなってしまう。
 そんな事をしていると、目覚めてから、三週間が経っていた。
ラファエルが昼夜を問わずに、護衛として常にそばに控えていてくれた。その間も、世界の情勢を少しずつだが、教えてくれた。
 初めの頃は疲労感が酷く、一気に頭には入らなかったのだ。
日が経つにつれて、体調に合わせるようにゆっくりと、情報をくれた。わたくしが全て教えて欲しいと願っても、身体もついていかなかった。
 それでも、そんな少ない情報でも、のんびり寝ていて良い状況ではないらしい事は、わかっている―――十分過ぎる程。
 それでも、身体は正直で、動かないのだ。
 わたくしは瞳をゆっくりと閉じた。
 全てではないにしろ、わたくしの責任だ。
 始まってしまった。

 浮島『EARTH』が、―――動き出してしまった。

 四週間前から、動きがあったという。EARTHは、間違いなく、龍の国に向かっているらしい。
 EARTHはその途中、小さな林の国も、空中から過去の遺産の兵器を使用する事で、市街地ごとを焼いたという…。
『魔導砲』――そう言う名前らしい。
 魔導砲から放たれた炎は、決して水などでは消せないらしい。
放たれたが最後、三日間は燃え続けるという――。
 OZ――世界を壊すなんて…。 

それから数日すると、わたくしの体力もようやく戻ってきた為、聖堂内を一人でも歩く事が出来るようになった。無論、移動する際はラファエルが、必ず共についてきてくれた。
それにしても、動くようになって良かった。龍の国とOZの戦争は既に始まりかかっているのだ。
ぐずぐず、寝ているわけにも行かない。
聖堂内にはOZも居た。聖都は誰も拒む事が無いのだという。
そんなOZに、わたくしは自然と身構えてしまったのだが。その必要は、既に無くなっていた。
そのとき、偶然共にいたデュオが、そうそう。っと、付け足すように言った。
「世界各国がお嬢さんにかけてた賞金を、全部取り下げたんだ」
 リリーナの瞳が静かに見開かれる。
そんなリリーナに、デュオが苦笑交じりの、笑顔で聞いてくる。
「心当たりは?」
 十分過ぎる程ある為、わたくしは頷いた。
「そっか…じゃ、OZが言ってる事は真実か…」
 デュオは悲観するわけでも、喜ぶわけでもなく、ただ言った。
 リリーナは、自分の不甲斐無さに、瞳を閉じる。
 見なくても、聞かなくても、わかる。
感じるのだ。
 目覚める前、夢うつつの中。手の中から、星が消えてしまった。
 わたくしは――EARTHの管理者では無くなった。
 力づくで、奪われた。
 わたくしが、契約しているEARTHの核である星を…。
方法はまるで見当もつかないが、相手はわかる。
 ドロシー・カタロニア
自分に代わってEARTHの王になると言っていた。それが、ゼクスの願いでもあるからと…。
「奪われてしまった…わたくしが、しっかりしていさえすれば、EARTHも動く事は無かったのに…!」
 不甲斐無さのあまり、声が擦れた。
「そう言うなって。お嬢さんは良くやってるよ。確かに、問題も沢山あるけど、自由だぜ。ようやく。それは良かったじゃん」
「この様な形での自由など…与えられるべきでは、ありません」
 リリーナの怒りを殺した声が、静かに回廊にこだまする。
「確かに気持ちはわかるけど。EARTHが無茶苦茶やってるからな。それは、止めないとな」
「決まっています!」
「まあ、ただ――あいつは喜んでると思うぜ」
 付け足しのような言葉に、リリーナの瞳が隠しもせずに揺れる。
「自分が護れない状況なんだ。その間、お嬢さんは狙われない。理由なんて関係無い。最高だろう?」
「………………デュオ…」
リリーナの瞳は静かに歪む。
「…ハジマリの地は、どうなっていましたか?」
「蒼い湖の周辺は遺跡というか、建物みたいなので溢れてた。中心の湖自体は、閉じていたけど。それ以上変化は無かった。残念。オレも中心部を見てみたかったぜ。すごいんだろ?」
「…ただの、旧世紀の遺産です。あの地にも、魔導砲のような兵器等が大量に眠っている事でしょう――」
 リリーナの瞳が閉じられた。
「ごめん。そういう事を言いたかったわけじゃなかったんだけど。気が利かなかった」
「わたくしこそ、申し訳ありません」
 どうかしている。余裕が無い自分は王としてどうしようもない。
「いや。そうじゃなくて、聞きたいことはそんな事じゃないよな。ごめん――ヒイロは見てない」
「………そうですか」
 空は曇っていた。

お風呂に入った後、鏡の前で髪を櫛でとかすと、大分長くなっていたので、はさみを借りてきた。
 EARTHを出てから、一度も切っていない。切る機会が無かった訳ではない…。切るのならば、別にいつだって良かったはず。
何しろヒイロは、刃物ならばいくらだって持っていた。物騒な話だが。
それでも、切らなかったのは…。
切らなくても良いのだと、言われたから。
伸ばしたいのならば、好きにすれば良いと…。
全てが規制されていた中で…良いと言われた事が、ただ、嬉しくて…、自分で決めて良いのだと…。
 それは今考えても…無謀だったと分かるのに…。 
髪にはさみを入れた。
 
 バスルームから出ると、ラファエルを呼んだ。
「わたくしは、龍の国に行きます」
「ですが、まだ身体は!」
「行かなければなりません」
 譲るつもりは無い。EARTHが向かっているのだ。
そんな思いが通じたのか、ラファエルの瞳が、一度瞬かれる。
「――わかりました。連絡を取ります」
「ありがとうございます」
EARTHを出発した当時と、同じくらいの長さになった髪が、静かに風に揺れた。

「では、僕の列車で向かいましょう」
部屋にそう言って入って来たのは、ラファエルからリリーナの話を聞いたカトルだ。
「空路も考えましたが、ここら一帯の気流を考えると、陸路も空路もそう変わりませんから」
「ですがカトルさん…そんな所まで貴方を付き合わせるわけには」
 リリーナは反論するが、カトルは首を横に振る。
「砂の国での会談で、龍の国とは協定を結んでもいます。貴方の為だけで、僕は行くのではありません」
 カトルはやわらかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「では、出発は1週間後の明朝で合わせるよう、マグアナック隊の皆にも伝えます。戦争をしている国に入るには、それなりに準備が必要ですから」
 リリーナは深々と頭を下げた。

その日からリリーナも本格的に、出発の為の準備を始めることにした。服や靴、道具などを揃える事はしない。それらはカトルさんが、全て用意をしてくれるという。龍の国は、雨が一年を通して多いらしく、特別な装備が必要だからと。
今考えれば、おそらくヒイロも、同じ理由で買い物は全て引き受けてくれていたのだろう。邪魔だとしかいつも言わなかったが。
本当に気を抜くとすぐに、考え始めるので、意識を元に戻した。
 さて、わたくしは街で何をしているのかと言えば、情報・情勢を集めに出た。
 聖堂では分からなかったが、世界の情勢はとても酷い事態へと変わっていた。
 OZと龍の国という、強大勢力が起こしている戦争は、市場を大きく不安定にしていた。
物資が滞り始めている上、物価も上がる一方だという。
 一人で街を歩くのは久しぶりだ。ヒイロと居た頃は普通だったが、最近はデュオかラファエルが共にいた。賞金は取り下げられたと言っても、危険だからと。
 そんな彼らは、今日は出発の準備で流石に手一杯だった。それでも、再三、聖堂で大人しくしていろと忠告を受けたことは確かだ。その点、ヒイロはあまりそう言うことをうるさくは言わなかった。目立つ行動は避けろとは言ったが、一人で行動してはならないとは、言わなかった。
 その結果、多くの面倒にも確かに巻き込まれはした。
 それでも、彼は一言だって――言わなかった。
ヒイロやデュオ、それにドロシーを含めた多くの者は、わたくしがEARTHの管理者でなくなれば、自由だと言ったが―――そう言う意味でならば、わたくしはヒイロと居た時、既に自由だった。
「ヒイロ…」
無意識から出た声に、驚いた。
 少し前に、考えるのを止めようと決めたばかりだというのに…すぐに出てくる。
それでも誰かと居るときは、気を張り、気をつけている。
だが、一人になった途端…心を支配される。
わたくしにとっては、それほど、彼はとても近かったから。
 ヒイロ―――。
不安で、心細くて仕方が無い。これだけ大勢の人たちに支えられているというのに、わたくしは――…。
 商店で新聞と軽食とチョコレートを買った。
 チョコレート。いつから買うようになってしまったのか。
旅の間。ヒイロが、ふとしたとき――くれたからだと思う。
 その商店の横でポストを見つけ、手紙を入れた。
送付先は、とある国の私書箱宛。
何通目かは覚えてはいない。
二十通目以降は数える事を止めてしまった。
「……………………………」
その足で車庫へと寄った。
カトルさんの列車が止められている場所だ。
 そこではマグアナック隊を含めた多くの人たちが、列車の整備の最中だった。その中にはデュオも居た。
「よ、お嬢さん。丁度良い所に来たな」
「良い所?」
 デュオが手招きするので、行く。
「ちょっと前にようやく、大部分の整備が終ったばかりの、出来立て」
「出来立て?」
 そして列車の陰から、ようやく姿が見えたものに、わたくしは言葉を失った。
「…………」
「ほら。お嬢さん達が乗ってた『XXXG―00W0』の同型。お嬢さん好きだったろ?」
「……ええ、とても」
「最新のパーツに組みなおしてはいるけど。殆ど同じだろ?ヒイロが戻ったら、必要だろうってカトルと」
「…そうですか」
わたくしは声が震えない事だけに、意識を集中した。
「そう。だからカトルは、別の型にしようとしたのを、わざわざまたこの型にしたんだと。『XXXG―00W0』」
 デュオがむき出しのままのコードに触れた。
――わたくしは、この機体がとても好きだ。とても――
でもそれは、彼が――ゼロが居たから。ゼロが…。
 デュオの声が耳にまるで入らなかった。
「良かったら少し動かしてみようか?」
「いいえ」
「ごめん。そうだよな。体調も完璧じゃないもんな」
 デュオは気にしないでくれと言ってきたが、わたくしの方は、それどころではなかった。
 例え同じ機体でも…ゼロのいないこれは、――別物の何ものでも無い。
そんな機体を、これ以上は見ていられなかった。
 わたくしは車庫にそれ以上いる気にもなれず、そこを後にした。
 そして気がついたときには、走り出していた。
 泣いていたのかもしれない。人通りも少ない住宅街をただ、走った。頬を暖かいモノが伝う。体調がやはりよくない。
ギシリギシリと、うなりをあげ――――でも!それでも!
「ああぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――」
 声を出さずにはいられなかった。
ゼロは本当に居なくなってしまった。



 ハアハア ハアハア ハアハア ハアハア ハアハア
 流石に限界が来た。
冷えた草の上に倒れこむようにして、寝転んだ。
 見上げる空は、日が短いこの時期、すっかり夕暮れ。
 息が整うまでに、相当の時間を要した。
しばらくして、ようやく身体を起こし、気がついた。
思いのままに走った末、たどり着いたのは、聖都の中でも高台の丘だった。ここからは、街が、山が、海が見渡せる。
 その全てが黄昏に染まっていた。
「世界は、本当に美しい。涙が無性に溢れて来る程に…」
 思った事を声に出した途端、涙が落ちた。
「世界は美しくなど無いと、貴方は言っていたけれど、本当は好きだった事をわたくしは知っている。わたくしが指差す先を見るときの、横顔はいつだって――」
言葉を飲み込むようにして、息を吸った。
「どうして!一人で!わたくしは護られてばかり!」
 あぁ。嗚咽がとまらない。両手を瞳に当てた。
 泣くな! 泣くな! 泣くな! 泣くな!
 そんなわたくしを慰めるように、風がそっと、頬を通り過ぎた。
「ヒイロ。今でも本当は、貴方を迎えに行くべきだと、手が、足が…心が、訴えているのです…」
自分の判断に心が追いつかないのだ。EARTHを止めに行くと決めた自分の判断を、心が拒否、抵抗している。
 ハジマリの地がある、北へと視線を向ける。
「でも、わたくしは――王だから。管理者として、実質何も出来ていない現状でも、EARTHを任されているから。EARTHをこれ以上、戦いの道具に使わせることは、絶対に止めなければならないことだから…。魔導砲を止めなければ、世界が燃えてしまう。わたくしにまだ、出来る事があるならば―――」
 決意をするように言う。自分に言い聞かせるように…
「だからヒイロ。わたくしは、貴方の元に――行けない。行けないのです」
 声がかすれるが、気になどしない。
皆の前では泣くことはしないから。
「貴方はどんな時だって、来てくれたのに…わたくしは…わたくしは…」
 日は既に沈んでいた。



 ガタンゴトンと、一定のリズムを保って列車は進む。
 そんな列車から眺める風景は、どこか懐かしい。
数ヶ月前、ヒイロの運転するゼロで似たような風景を通り過ぎた。
列車も窓を開ければ風を感じられるが、やはりゼロとは違う。瞳を閉じ、額をそっと窓にコツンと当てた。
窓は外気でひんやりとしていた。
「廊下は寒いから風邪引くよ。お嬢さん」
 気配も無く現れたのはデュオだ。
「すぐに戻ります。ただ、部屋に一人で居る気分ではなくて」
 リリーナの瞳が悲しそうに揺れる。
「じゃ、オレが一緒にいて慰めてやろうか?」
デュオが深い笑みを浮かべる。
「慰める…わたくしを?」
「そ、手取り足取り、なんなりと」
 仰々しく頭を下げるデュオに、リリーナが隠しもせず、怪訝そうに眉をひそめる様子がおかしくて仕方ない。
おかげで、とうとう笑ってしまった。
「デュオ…からかうつもりならば、行って下さい」
 リリーナがムスッとした様子で言う。
「ごめんごめん。半分以上本気だったんだけどね。お嬢さんには通じなかったか」
 デュオがとても残念だとばかりに、手を上げる。
 まるで懲りる様子が無い。
「何か用事ですか?」
「ああ、一人でいるのが嫌なら、広間に来れば良いじゃん。食事の時だって、皆と一緒に食事すれば良いじゃん」
 リリーナの表情が曇る。
「――わたくしが居ては、彼女に気を使わせてしまいます」
「彼女って、シルビアのお姫さん?」
 リリーナは無言だ。つまりは肯定。
 そんなリリーナを見て、デュオは内心驚く。
「お嬢さん。――変わったね」
「…変わった?…そうでしょうか…」
「ああ、変わった。教会の船で別れてから聖都で会うまでに。ちょっと、見て無い間なのにな」
 リリーナの瞳が揺れる。
「最初の頃は正直、王様とか、羽ビトの生き残りだとかで、恐れ多くて近づけないほど、神々しかったもん。ある意味」
 どこか演技ぶったような態度だ。
「そうでしょうか…?」
 初めの頃の自分は、そんな状態だったのだろうか?
リリーナの瞳が悩む様に細められるが、デュオは気にしない。
「ああ、でも反対に考えれば残念か」
「残念?」
 リリーナにはデュオが何を言いたいのかわからない。
しかし、次の瞬間――悟る
「恋を知っちゃうなんて。大いなる罪だね」
 リリーナの頬が染まる。
 心の奥底を、突然覗かれた様な感覚。
 血の気が一気に下がる――。
「お嬢さんのこと、オレ、結構本気で狙ってたのに。ヒイロかよ」
「デュオ!」
リリーナの咎める様な声が廊下に響くが、列車の音で他の車両に、届く事は無い。
「確かに相手はどうよ?って感じだけど、まあこの際それは」
「デュオ!」
リリーナは言い放つが、デュオはあっけらかんとする。
「何で?だって、本当の事だろ?好きだろ?親愛じゃなく、異性として。明らかにこの間と今日とじゃ、変わったろ?」
 断言をするデュオの言葉に、リリーナは内心激しく動揺する。
「…何故、そう言えるのですか――?」
「簡単。見てれば分かる。オレから言わせれば、隠す意味が分からない」
 見ていれば――自分はそこまで、あからさまなのだろうか?
 隠しとおす事が出来ない程なまでに――?
だが、例えそうだとしても――
「それは、貴方の思い違いです。貴方の言うことは、王には許されません。許されてはいないことです」
 リリーナは出来るだけ、平静にして言う。
「何で?良いじゃん。王様は恋しちゃいけないのかよ?」
「許されません――禁忌です」
「悪いが、オレは引かない。何しろ、オレ。ヒイロのことが、好きらしいから。知ってんだろ?」
 デュオの含むような笑みに、リリーナは息を呑む。
「シルビアのお姫さんを気にすることなんて無いだろ?好きなら好きで良いじゃん」
リリーナは瞳を歪めるようにして、僅かに伏せる。
「それとも何か?お嬢さん、あいつ嫌いなのか?」
「嫌いだなんて、ありえません!ですが、彼は…ヒイロは」
護りたい人がいる。ちゃんと。
 唇を…重ねていた。
 あぁ。本当に何故、見てしまったのだろう。見なければ、知らなければ…思考を止めるように、瞳を閉じた。
「………………………」
 突然強い口調で反論したかと思えば、今はすっかり美しい眉をよせるようにして、うな垂れてしまったリリーナ。
デュオは、嫌味ではない柔らかい笑みを浮かべた。
流石に苛め過ぎたかと、息をはく。
 それでも、自分の発言を取り消すつもりは無い。
「恋する王様。可愛くて良いじゃないか」
「そんな単純ではありません――」
 捨てると――二度と、抱かない想いとして、誓ったものだ。
 誰からの忠告の一切を受け入れることさえ出来ないほどに、惹かれたあの日を忘れてはいない。
 いろいろな理由をつけて、騎士にするからと、彼らの声を強引に抑えつけた自分の暴挙を、忘れたわけではない。
 ただ、後悔も――してはいないが。
 それだと言うのに、わたくしの心は――…
 再び黙ってしまったリリーナに、デュオは視線を上へと向ける。
「相変わらず、固いね。そこがお嬢さんって感じだけど」
「デュオは知らないから、そんなことが言えるのです」
「何を?」
 言いたいが、言って良いのかさえ悩んでしまう事柄。
デキム曰く、ヒイロがわたくしといた経緯他、様々だ。
ドクターJに指示された。
それが真実なのか、虚偽なのかさえ、わたくしにはわからない。
ただ考えてみれば、デュオたちは初めから、ヒイロは怪しいとか、裏があるとかいろいろ言っていた。今更伝えたところで、反対に、今頃気がついたのかと言われそうな気もする。
やはり、皆に言うことは控えた方が良いようだ。

列車は走り続けた。
 デュオから逃げるようにして部屋へと戻ると、ラファエルが戸の前に立っていた。
「姫様。お疲れの所、申し訳ないのですが、宜しいでしょうか?」
「構いません。どうぞ」
 そう言って、部屋へと入った。
「龍の国に着く前に、お耳に入れておいた方が宜しい事がございまして」
「何なのでしょうか?」
「まずはホワイトファングについてですが」
「そう言えば、聖都ではカーンズを見かけませんでしたね」
「カーンズだけではありません。残りの二人の聖騎士に、兵士達もですが――」
 ラファエルの眉が僅かに歪んだ。
「ラファエル?」
「…彼らはOZにつきました」
 リリーナの瞳が、隠すことが出来無い程に大きく揺れた。
「正確には、OZという訳ではないのですが…その」
「…ゼクス…マーキスについたのですね」
 今度はラファエルが内心動揺するが、表情に出す事は無い。
「そうです。それで姫様、その理由はご存知でしょうか――?」
 ラファエルの問いに、瞳を逸らすことはせず、リリーナは小さく頷いた。
「―――…ゼクスは、わたくしの兄なのでしょう?」
 確信を持った、澄んだリリーナの声がラファエルの耳に響く。
 だからラファエルも、隠すことはせず、頷いた。
「彼らがEARTHの武器、システムの封印を次々と解いていると聞きます」
 淡々とした様子なのだが、それでもラファエルの声は、落ち込んでいるように聞こえた。
「…それでも、ラファエルは残ってくださったのですね。ジェイクも…ありがとう」
「私は姫にお仕えすると、あの時も誓っております。しかしジェイクは、私も意外でした」
 リリーナは微笑んだ。
「ラファエルも、ありがとうございます。言葉では言い表せない程、感謝しております」
花のように微笑むリリーナに、ラファエルはまた、言えなくなる。言わなければならない事を。


「で、カトル。雪の国に残ったマグアナック隊からは何か、連絡は入ってないのか?」
 デュオの言葉に、カトルは静かに首を横に振った。
「そっか。流石に死んじゃったかね。あいつ」
 あっけらかんとした声に比べ、表情は明るく無い。
「時間と状況を考えれば…難しいのも確かだけど…ただ、もう少しだけ、待ってみようとは思う」
「そうだな。それに俺としても、あいつには言いたい事がある」
 ふうと、ソファに深々と座ったデュオの様子に、カトルは何かが引っかかった。
「デュオ…まさかとは思うけど、彼女に何か酷いことしていないだろうね」
 カトルが鋭く視線を向ける。カトルの指す彼女とは無論、リリーナのことだ。流石空気の読みは、半端無い。
「何にもしてねえよ!…酷い事は」
「彼女は、EARTHのことだけでも、相当責任を感じているんだ、分かるだろう?傷つけることだけは止めてよね」
 カトルのことだ、何か察したらしいが、知ったことではない。
「傷つけてない。どちらかと言えば、応援」
 とげを隠さずにデュオはそんなことを言う。
そんな態度のデュオに、やはり何か言ったのではないかと、カトルは深々と息を吐く。





「lover index 5 」より


#30 Earth -3-

NEXT

inserted by FC2 system